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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
1.コソ泥に人権などありません

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1-7

 エクホルムの悪魔。

 それはレアード王国に限らず、他国いや大陸全土に広く知れ渡っているであろう殺人鬼の名だ。

 相手が誰であろうが見境なく手にかけるまごうことなき悪魔であることから、平民も貴族もその名を出せば簡単に震え上がってしまう。

 つまり。このとんでもない騒ぎと混乱は特に珍しいことではなく、寧ろ正常な危機回避能力の表れと評価すべきだろう。


「よし、撒けたか……相変わらず便利な名前だな」


 追手から逃れるためにこの名前を使用したのは、今回で──何度目だろうか。お騒がせ常習犯と呼ばれても仕方ないが、これがまた毎回面白いほど上手く行くからやめられないのだ。

 大混乱に陥った広場をするすると横断したグレンは、先程の男よりよっぽど扱いづらくて物騒な件の殺人鬼を思い浮かべては、サッと頭の外に放り投げておいた。殺人鬼の風評被害など考える必要はない。


「……さてと、ギレスベルガーはちゃんと話つけたんだろうな」


 未だ騒々しい中央広場の対岸、モニカとフォルクハルトがいる宿屋を見遣る。

 どうやら怪しい連中に付け狙われている様子のモニカとは、この辺りでしっかりと縁を切りたい。彼女に迫る危険はそのままグレンに直結するのだから。

 心臓も返してもらって、お供の契約も白紙にして、綺麗さっぱり関係を断つ。これで万事解決だ。めでたしめでたし──。


「ちょっとごめんよお兄さん、通しておくれ」

「は?」


 背にしていた扉がいきなり開かれ、グレンは間の抜けた声を上げる。

 そこには大きな洗濯籠を抱えた中年の女が、にっこりと快活な笑顔でこちらを見ていた。


「あんたも祭りに参加するのかい? ……おや、何だか騒がしいね。もうそろそろ時間だってのに」

「……あー、マダム、別に俺は祭りを見に来たわけじゃ……」

「あれま! 若いからてっきりそうなのかと」


 彼女はほがらかに笑ったかと思うと、「そうだ」と一輪の花を差し出す。

 “目覚めの森”と大都市ラトレのみで採取が可能と言われているラトリアの花だ。はっと目を惹く明るいオレンジの花びらが特徴的なラトリアは、それなりの値で売れるのでグレンもよく知っている。

 勢いで受け取ってしまったグレンが沈黙していると、見兼ねた女が腰に手を当てて説明した。


「それを今年成人する子にあげてお祝いするのさ……って、あんた祭りが成人の儀式って分かってるかい?」

「いや全く」

「この国じゃあ子どもでも知ってるってのに! ま、いい機会さね。誰でも良いから祝っておやりよ」


 成人する少年少女に花を贈り、彼らの光に満ちた未来と植物神ラートルムからの加護を祝う──それがこの祭りにおける大人の役割だと彼女は言って、グレンの肩をばしばし叩いて立ち去った。

 生まれてこの方、大規模な祭りの日なんてものは浮かれた人間から金を盗むためにあるとさえ思っていたグレンは、形容しがたい気持ちでラトリアの花を見詰めた。

 彼自身とっくに成人を迎えているが、そこに特別な意味を見出したことなどない。幼少期から今日に至るまで、やっていることは何ひとつ変わらないのだから。


 ──グレン。誕生日祝いだ。


 ふと脳裏に過った忌々しい笑声を掻き消し、薄汚れた手のひらを握り締める。

 一緒にラトリアの花も潰してしまおうかといったとき、一つの足音が唐突に石畳を叩く。

 何も考えずに踏み込んだ細い路地。喧騒から離れた薄暗い通路を振り返ると、ナイフを携えた男がこちらに駆けてくる姿があった。

 咄嗟に腰の短剣を掴んだが、果たして間に合うかどうか。グレンが舌を打ったのも束の間、目の前に迫った男が大きく足を踏み切り──。



「グレン!」



 鈍く痛々しい音が木霊する。

 白目を剥いた男はナイフを手放し、束の間を宙で過ごしつつ顔面から着地した。ざらざらとした樹皮の地面に皮膚を擦りつける羽目になった男を、グレンは少々青褪めながら哀れむ。

 いや、それよりも。


「大丈夫ですか、グレン!?」


 光を背に揺れる銀髪。グレンの心臓が入った宝石箱で男の後頭部をぶん殴ったのは、宿屋にいるはずのモニカだった。

 じんじんと鈍痛のする胸部を押さえたグレンは、引き攣った笑みでモニカに近付くと、容赦なくその頬を両手で抓った。


「そこに俺の心臓が入ってんの忘れたのかお前はァ!?」

「どんきとしてたいへんゆうしゅうでしたね! おけがは?」

「お前の一撃以外何ともないわ!」


 盛大な溜息と共にモニカを突き放したものの、自分が気を抜いたおかげで窮地に陥ったのは事実。そして手段はともかくモニカから救われたことも、また事実だった。

 ゆえにそれ以上責めることはせずに、グレンは胸を摩りながら男を見下ろす。

 中央広場で声を掛けてきた男とは別人だが、同じ集団に属する人間と見て良いだろう。モニカの居場所を吐かせるつもりで襲い掛かったのだろうに、本人から殴り倒されるとは無様なものだ。


「全くもう、物騒な御仁ですね。騎士団に連行しておかなくては……あっ! グレン、そのお花!」


 抓られて赤くなってしまった頬を摩っていたモニカが、途端に驚いたような声を上げる。

 眉を顰めつつ彼女の視線を追えば、萎れかけの花がグレンの足元に落ちていた。


「グレン、もしや成人する私のために用意してくださったのですか? わあ! ありがとうございます!」

「違うわ!!」

「ああっ!?」


 どこまでも都合のよい頭をしたモニカに苛立ち、グレンはラトリアの花を容赦なく踏み潰したのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] あらら、踏んでしまいました。
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