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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
8.悪魔と呼ばれし男

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8-9

 さらさらと淀みなく流れる小川の傍で、青年は地べたに置いた双剣をじっ見詰めていた。

 あまりにも長い沈黙に耐え兼ねて──そもそも待ってなどいないだろうが──子ブタのブランシュが彼の周りを十二周ほどした頃、一つの足音が静寂を破る。


「おい、ブタ狂い」


 ぞんざいな呼びかけと共に、グレンは松明代わりに召喚した火の聖霊を、ふっと林の奥へ追い払った。川辺を照らす星々の光は相当に明るく、わざわざ火を灯すほどではない。青白く染まる砂利の上に腰を下ろしたグレンは、じっと俯く深刻な表情を横目に見た。


「……前に」


 薄色の瞳がひとつ瞬く。


「聖霊に嫌われていると、貴様に言ったことがあったな」


 ちょうどグレンもそのときのことを思い出していたところだ。不自然に行き倒れていた青年を、訝しく思いながら助けた日のことを。

 適当な相槌を打てば、彼が双剣の一本を握る。


「エクホルムの領主は、奴隷を飼っていた。悪魔の血族と呼ばれる一家をな」

「……お前のことか?」

「ああ。俺と、その両親だ」


 淡く澄み渡った青空を写し取ったかのような藍白の髪。紫水晶よりも更に儚い色を宿した双眸。それが悪魔の血族の特徴だと、彼は抑揚のない声で語った。


「父親は捕まって間もなく殺されて、母親は……あの肥えた領主の慰み者にされた。俺はずっと、豚小屋の中で家畜の扱いを受けて育った」


 それが領主にとって、引いてはエクホルムの住人にとって当然の扱いだった。

 悪魔の血族は存在しているだけで罪深く、自由にしてはならないものだったらしい。


 ──天空神の勝利によって、歴史の闇に葬られた暗黒を忌避するのと同じように。


「お前たちを聖霊の目に触れさせてはいけない、だから一生この屋敷で虐げられるのが、義務であり宿命なのだと」


 青年が鼻を鳴らして嗤う。


「そう言って俺の目の前で母親の首を刎ねたんだ」


 次はお前の番だと笑って告げた領主の、何と醜かったことか。美しく優しかった母の、心も体も壊し尽くした醜悪な男を、必ず同じ目に遭わせてやると誓ったのはその瞬間だった。


 ほどなくして決行された少年の処刑には、愚かな観衆がこれでもかと言うほど屋敷の前に集まった。彼らにとっては罪人の処刑など、単なる娯楽に過ぎなかったのだろう。

 断頭台へ連行される間、少年は一人一人の顔を全て記憶した。後でしらばっくれて仕留め損ねないように、余さず視線を巡らせて。


 そして──見付けたのだ。真っ黒な人影を。


 領主の演説に野次を飛ばす観衆の中で、じっと佇む不気味な影。

 その両手には、そっと差し出すかのように二本の刃が乗っていた。


「今思えば、あれが貴様らの言っていた“黒い化物”だったのかもしれない」

「……そいつから双剣を受け取ったってことか?」

「ああ」


 そこからは巷に流れている噂の通りだと、エクホルムの悪魔は静かに言う。

 双剣を手にした幼い少年は真っ先に領主の首を刎ね、観衆の中に放り投げた。一家全員を斬り伏せれば、混乱を極めた処刑場から一斉に人が逃げ出す。

 悪魔と罵りながら襲ってきた兵士たちを漏れなく始末した少年は、記憶が消えぬうちに下劣な野次馬も殺し尽くした。


 こうしてエクホルムは屍の山で埋まり、一夜のうちに崩壊した。


 双剣を持っていた黒い人影は、非力で哀れだったはずの少年におぞましい力を授けた後、今日に至るまで一度も姿を現していない。


「……これに暗黒の力が宿っていると聞いたとき、納得した。俺の家系はやはり、普通の人間とは違う生き物なんだと。……あの扱いが、妥当だったんだと……」


 青年は億劫な動きで双剣をサッシュに挿すと、傍らにいた子ブタを抱き寄せる。薄いピンク色の体に顔を埋めては、動かなくなってしまった。

 完全にいじけた様子を後目に、グレンは長い溜息をつく。今日も最高に情緒が不安定だ。


 この青年にとって、自分を傷付けない存在は家族とブタしかいなかったのだろう。大袈裟なと思うかもしれないが、天空神を盲目的に信仰する者たちの攻撃性は凄まじい。

 加えて相手が単なる異教徒ではなく、世界から排除すべき暗黒と縁ある血族だったなら、彼らが行った仕打ちがどれほど惨かったのかは想像するに易い。


 両親と共に育つべき時間の殆どを豚小屋で過ごした彼が、他人に正常な愛着を持てない理由もおぼろげながら理解できる。

 とは言え、生憎とその壮絶な人生について素直に慰めてやれるほど、優しい心をグレンは持ち合わせていなかった。


 ならば何故、わざわざ一人でここへ来たのかと言うと。



「あのガキが言ってたぞ。暗黒は──お前に加護を与えた可能性が高いってな」



 子ブタを抱き締める腕がひくりと動く。

 魔術のいろはを知らない青年にどう説明したものかと間を置きつつ、グレンは先ほどリュリュから聞かされた話を掻い摘んで語った。


「西大陸にお前とそっくりな顔をした男がいるんだと。同じ悪魔の血族とやらかもな」

「……何?」

「そいつは暗黒の力を自分の意思で操った、唯一の人間らしい。だからお前は貴重な二人目の例だ」


 魔術師が聖霊を使役するのと同じように、その男は暗黒と心を通わせ、力を借り受けてしまったらしい。

 どんな呪文で、どんな奇跡が発現して、どんな代償があって、どんな結果を生み出すのか──それらが何一つ解明されていない、未知なる危険な存在を。

 暗黒はその男以外に力を貸す気配はなく、西大陸の精霊術師は彼らの関係性に首を傾げるばかりだったが、答えはこんなところにあったようだ。


 光に属する聖霊と相容れず、暗黒から寵愛を受けた者たち──それが悪魔の血族だ。


 本当はリュリュが直接この話をしたかったようなのだが、ヒルデが気を遣って引き留めたのだ。如何せん配慮に欠けた少年では、エクホルムの悪魔の過去を不用意に抉りかねないから、と。

 だからと言って何で自分に御鉢が回るのか。五十歩百歩の違いだろうとげんなりしつつ、グレンは投げやりな仕草で川原に寝そべった。


「良かったら西大陸に来ないか、だとよ。調査のためとは言え殺人鬼を連れて帰るなんざイかれてんな」

「……行ったらどうなる。俺は実験体にされるのか」

「さぁな。少なくとも、お前の同胞とは会えるかもしれねぇぞ」

「……」


 すると、じっと動かなかったエクホルムの悪魔がおもむろに立ち上がった。彼は子ブタを抱いたまま、爪先で砂利を掘りつつ歩き出す。


「答えは保留か?」


 青年にとって悪い話ではないはずだ。リュリュたちと共に西大陸へ渡ってしまえば、殺人鬼と恐れられることも、悪魔の血族と罵られることもなくなる。

 更には同胞とおぼしき男とも会えるのだから──両親を惨たらしく失った身としては興味があるのではなかろうか。


「……少し考える」


 エクホルムの悪魔は静かに呟いて、暗い林の奥へと消えた。


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