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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
8.悪魔と呼ばれし男
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8-5

 エクホルムの悪魔は愛しい恋人のチョーカーを愕然と見詰めたまま、わなわなと両手を震わせる。まるで遺品でも受け取ったかのような反応に、辺りの空気が完全に葬儀中のそれとなってしまった。

 重すぎる沈黙に視線をさまよわせたグレンは、微動だにしない殺人鬼の肩をそっと叩く。


「諦めて別の女探せよ。養豚場行こうぜ」

「貴様ァッ‼ それが恋人を失った男にかける言葉か⁉ このド畜生め‼」

「いやこの状況で声かけてやってるだけ親切だろ」


 まずもって、この世の大半の人間から食用と見なされているブタに恋したのが運の尽きだ。人と同様に悲しめと言われてもなかなか難しい、と思うのだが──モニカがさめざめとハンカチで目許を押さえているところを見ると分からなくなってきた。

 もしや自分がおかしいのかとグレンが遠い目をしていれば、「あの!」と誰かが声を張り上げる。


「ちょ、ちょっと待って、まだ死んだなんて一言も言ってないわ!」

「は?」

「お願い、どうか私と一緒に来て? 話を聞いて欲しいの」


 ブランシュのチョーカーを持って現れた女はそう言って、激しく取り乱す殺人鬼の手をぎゅっと握った。そして顎を引いては計算しつくされた角度で上目遣いをかまし、うるうると青年の顔を見上げる。とんでもない度胸の持ち主だ。

 グレンと、いつの間にかリュリュと共にだいぶ後方へ避難していたヒルデが、ごくりと息を呑んで成り行きを見守る。

 当の殺人鬼は素性の知れぬ女を訝しげに睨み下ろし、やがて地を這うような声で尋ねた。


「ブランシュはいるんだろうな」

「ええ。だから……ね?」


 女の企みは未だ見えないが、ここはひとまず誘いに乗るしかない。ちらりと隣を見遣るとそこには、ハンカチで目許を隠しながら女を観察するモニカの姿が。やはりブタの死で悲しんでいたわけではなかったらしい。


「……エクホルムさん。ブランシュちゃんの身の安全のためにも、今は彼女に付いて行きましょう」

「だが……」

「ふふ、もし嘘であれば斬り伏せてしまえばいいのでは?」

「ああ、そうか」


 既にとんでもない女が身近にいたことを思い出し、グレンは頬を引き攣らせる。勿論、いきなり窮地に立たされた怪しい女も「え?」と真っ青な顔で狼狽えていたが、かろうじて笑顔を取り繕っては道案内を始めたのだった。



 鬱蒼と茂る木々の下を抜けると、森林の陰に隠れるように佇む民家が現れた。二階建ての一軒家は平民が暮らすには大きく、どこぞの貴族が別荘として建てたと言われた方がしっくり来る。庭を区切る丈夫な柵や、小川に浸る水車をグレンが順に見たとき、先頭を行く女がふと振り返った。


「ごめんなさい、ここからは一人で付いて来て欲しいの。あなただけ連れて来いって言われて……」


 しおらしい態度でもじもじと女が告げる。見たところ女は魔術師ではなさそうだし、武装している様子もない。あの民家にいる連中が、エクホルムの悪魔を連れて来るためだけに雇った人間なのだろう。

 となれば、ここで粘っても意味はない。グレンとモニカは早々に一歩後退し、さっさと連れてけとばかりに手を払う。


「じゃあな殺人鬼、無事に恋人連れ戻してこいよ」

「エクホルムさん、どうか穏便に話し合われてくださいね」


 女はあっさりと承諾した二人に拍子抜けした様子だったが、すぐにホッとした顔でエクホルムの悪魔に向き直った。

 二人がそのまま民家の中へと入っていくや否や、グレンは溜息交じりに肩を竦める。


「で?」

「中の様子が窺えるところを探しましょうか。ブランシュちゃんの居場所も分かると良いのですけれど」


 モニカの言葉に従い、グレンたちは森に身を隠しながら民家の周囲を探った。成り行きでブタ探しに参加することになったヒルデとリュリュは、健気にも文句ひとつ言わずに──いや、少年のほうは心なしか楽しそうに探索していた。

 幸いにも近辺に見張りはおらず、それほど苦労せずに民家へ近付くことが出来たので、四人は水車のそばで身を屈める。鎧板の取り付けられた窓をそうっと覗き込んでみると、誰もいない居室が隙間から見えた。


「……し、静かですね」


 殺し合いが始まっていないことに安堵したのか、ヒルデが胸を撫で下ろしながら呟く。少女ぐらいの剣の腕があっても、あの殺人鬼の暴れ方は恐ろしいようだ。

 まぁ獣が怒りに任せて暴れているのと同じようなものだしな、とグレンが一人納得していると。


「──まぁまぁ、そう怒らずに。エクホルムの悪魔と名高き男とこうして話せるなんて、夢にも思わなかったよ」


 覗いていた部屋の扉が急に開かれ、彼らは咄嗟に頭を引っ込めた。


(今の声……)


 紳士めいた口調ではあったが、聞き覚えがある。再び腰を浮かせて中を覗き込んでみれば、気障きざったらしく前髪を伸ばした細身の男が椅子に腰かけるところだった。

 尖った鉤鼻と狐のような目、浮かぶ不敵な笑み。間違いない。


「キュリオだ」

「……それ、黒翼の団の? やっぱり侯爵じゃなかったんだ」


 リュリュの小さな声に頷きつつ、グレンはちらりと視線を巡らせる。部屋にはキュリオと数人の団員、それから女に連れて来られたエクホルムの悪魔がいた。残念ながら子ブタの姿はそこにない。


「ブランシュはどこだと聞いている。早く答えろ」

「ちゃんと丁重に預かっているよ。なに、人質と言っては聞こえが悪いんだが……こうでもしないと君と話せないと思ってな。ちょっと俺たちの頼みを聞いてくれないか?」


 能弁に語るキュリオが両手を広げると、新たに二人の男が現れては部屋の扉を閉ざす。話し合いと言うには物々しい雰囲気に、エクホルムの悪魔が双剣に手を掛けたときだ。


「おっと、我々は武器を持っていない。君もその得物を放してくれ」

「何だと?」

「言っただろう、君と対話がしたいんだ。事を構える気はない」


 キュリオを含めた団員たちは確かに武器を携えていなかった。当然ナイフぐらいは隠し持っているかもしれないが──殺人鬼の青年は忌々しげに双剣の鞘を掴み、乱暴な手つきで剣帯から外す。

 彼が歩み寄ってきた一人に武器を預ければ、満足げにキュリオが自身の膝を叩いた。


「ありがとう。さて本題だ。君はコンウェル侯爵を知っているか?」

「……貴様が名を騙った貴族のことだろう」

「ああ、そうだ。カレンベル帝国の有力貴族と言っても差し支えない人間なんだが、近頃怪しい動きを見せているんだよ」


 切り出された話題の真偽を問うように、グレンは無言で隣を窺う。心当たりはないと、モニカが静かにかぶりを振った。


「実は……」

「……」


「コンウェル侯爵の娘が豚肉を食った途端に体調を崩したせいで、怒った侯爵が領内のあらゆるブタを殺処分しろと命じたんだ」


「何⁉」


 そんな話を信じるんじゃない。

 グレンが民家の外で首を振っていることなど露知らず、動揺しまくりの殺人鬼は今にも気絶しそうな擦り切れた声を出す。


「何て、惨いことをっ……虐殺じゃないか‼」

「ん……うんうん、そうだな、侯爵は罪なきブタを殺める極悪人なんだ。君の恋……恋人も標的にされてしまうかもしれない」


 普通なら誰もが疑うはずの虚言がびっくりするほど効果覿面てきめんだったせいか、キュリオが自分で戸惑ってしまっている。深刻な表情を作ってはいるが、肩が小刻みに揺れていた。

 やがて大きく咳払いをしたキュリオは、きりりと目許を引き締めて前傾姿勢を取る。


「そこでだ、エクホルムの悪魔よ。これからも恋人と安全に暮らしていきたいなら、諸悪の根源である侯爵を討つしかない。我々が手を貸そうじゃないか」

「なぜ貴様らが?」


 まだかろうじて冷静さを残していた殺人鬼が、はっと我に返った様子で身構えた。何とか適当に切り抜けてほしいところだが、彼は世間の常識に疎い。詐欺師に口で勝負して勝てる見込みはないだろう。

 恐らくキュリオもそれを見越しているからこそ、こんなデタラメを堂々と言えるのだ。


「──俺は君の純粋な、種族を越えた穢れのない愛を応援しているんだよ」


 放たれた駄目押しの一言。

 キュリオの理解ある風を装った言葉は、部屋に優しく木霊した。



「………………何て良い奴なんだ……」



 殺人鬼の心の底から感激した声音に、グレンはつい頭を抱えてしまった。


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