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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
8.悪魔と呼ばれし男

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8-4



 ──貴公の大切な子ブタは我々が預かった。恋人をハムにされたくなければ侯爵領まで来い。



「き、貴様ああああああッ‼‼」

「うおぁああ⁉」


 耳のすぐ横を刃が掠め、グレンは手にしていた小さな手紙を投げ捨てた。

 怒り狂うエクホルムの悪魔の双剣を辛うじて回避しては、その何とも理不尽な八つ当たりに青筋を立てる。


「おいコラ! 俺はてめーの代わりに読んでやっただけだろうが! 何を憎悪たっぷりに殺しにかかってんだ⁉」

「一体どこの誰がブランシュをハムにするなどと惨い発想を⁉ 俺には貴様ぐらいしか思い当たらない! さっさと白状しろ!」

「ハムにしてやろうかと思ったことは正直何度もあるけど誘拐する動機がねぇだろ動機が!」

「貴様ぁ……!」


 じりじりと睨み合うコソ泥と殺人鬼の傍ら、二人を交互に眺めていたリュリュが手紙を拾い上げた。


「殺人鬼のお兄さんは文字読めないの?」

「断片的にしか読めない」

「グレンはそのこと知ってた?」

「あ? ああ、一応」

「ならわざわざ手紙に書かないね。グレンじゃないと思うよ」


 少年の冷静な推理を聞いたおかげか、殺人鬼はいくらか落ち着きを取り戻したようだった。視線はこちらに固定したまま、ゆっくりと双剣を下ろす。

 グレンがいちいち物騒な殺人鬼に大きく溜め息をついたとき、宿屋の扉が静かに開かれた。


「その手紙、差出人の名は書かれていますか?」


 振り返れば、既に支度を終えたモニカがいつもの笑みで歩み寄る。グレンたちの騒々しい大声はしっかり聞こえていたのか、一連の事情はあらかた把握している様子だ。

 改めて手紙に目を落としたリュリュは、グレンが読むに至らなかった差出人の名を確認する。


「コンウェル侯爵? の名前があるよ」

「あら、不思議ですね。貴族の方はもう少し上品な文をお書きになると思うのですけれど」

「上品……」


 彼女の言葉に、グレンたちは顔を見合わせた。

 確かに侯爵ともあろう人物が「早く来ないとお前の恋人をハムにするぞ」などと直接的な、かつ品のない脅迫文を書くことはあまりないだろう。

 いや、そもそも名前をきっちり記しているのも妙だ。

 エクホルムの悪魔が誰彼構わず手にかける殺人鬼であることは周知の事実で、契約ならまだしも彼を脅して操るには如何せん危険が過ぎる。

 だというのに自分の名前を明かしてしまっては、それはもう「殺してくれ」と頼んでいるようなもので。


「……あ? じゃあこれ別の誰かが書いたのか?」

「そうかも。侯爵を狙ってるのかな」


 グレンが怪訝な声で呟けば、同じ考えに辿り着いたであろうリュリュも小首をかしげる。

 このまま手紙の指示通りにコンウェル侯爵領に向かったとして、子ブタがそこにいる可能性は低い。

 最悪、人参を鼻先にぶら下げられた馬よろしく、エクホルムの悪魔が子ブタ求めて各地を暴れ回ることになるかもしれない。


(既にもう俺を殺しかけてるしなコイツ……)


 彼はあの子ブタで理性を保っているような人間だ。さっさと手元に戻してやらねば、何の関係もないグレンが腹いせで惨殺されそうな気さえする。

 ちらりと様子をうかがってみれば、殺人鬼は地面にめり込む勢いでうずくまっていた。


「ブランシュ……」


 この世の終わりと言わんばかりの絶望っぷりを晒す彼を見かね、モニカがゆったりとした動きで傍に屈んだ。


「エクホルムさん、どうか気を落とさずに。まずはここに記されている通りに、コンウェル侯爵領に向かってみましょう? そう遠くありませんし」

「行くの?」


 誘拐犯の手に乗るのは危険では、とリュリュが懸念を言葉に乗せる。少年の短い問いかけに頷いたモニカは、ふむと指先で顎を押さえた。


「コンウェル卿はカレンベル帝国でも非常に権力のある御方だったはずです。エクホルムさんを使って、侯爵家を襲撃させようとしている輩がいるのなら……同盟国の貴族として放っておくわけには行きませんからね」


 それと。モニカは今思い出したふうに人差し指を立てる。


「黒翼の団、でしたか? 彼らの仕業という線もあるでしょう」

「!」


 セレニ高山に巣食う自称義賊の名を聞いて、エクホルムの悪魔がゆらりと立ち上がった。

 ぎらつく薄色の眼はまさに、狩るべき獲物を見付けた肉食獣のそれと重なる。これで本当に黒翼の団が犯人だったら、残念ながら──彼らに待つのは死のみであろう。

 少し遅れて支度を終えたヒルデが合流したところで、一行は気色ばむ殺人鬼を引き摺って宿場町を後にしたのだった。



 ▽▽▽



 コンウェル侯爵領はモニカの言った通り、宿場町から半日ほどで到着することができた。

 ここはセレニ高山に程近く、白い石造りの街並みから少し視線を上げてみれば、雄大な山脈の尾根がうっすらと空の青に滲む。

 あの峰のどこかに聖遺物“青き宝”があるとのことだが、グレンは実物を拝んだことがない。レアード王国の“目覚めの森”と同じように、やはり妙な威圧感が漂っているような気がして、無意識のうちにセレニ高山を避けてしまっていたから。

 そうでなくとも光の神々の熱狂的な信者でもないグレンが、わざわざあの険しい山を登るわけもなかったのだが。


「──さてと、とりあえず街をフラフラしてみましょうかね」


 モニカの声で我に返り、ぼんやりとセレニ高山の輪郭をなぞっていたグレンは上向けた顎を戻す。

 彼の前にはモニカと、ヒルデとリュリュ、それからエクホルムの悪魔がいた。王族含む貴族が三人に、盗賊と殺人鬼が一人ずつ。今更ながらどんな顔ぶれだと驚いてしまったところで、外套を目深に被った殺人鬼がそわそわと辺りを見回した。


「侯爵の館には行かないのか」

「コンウェル侯爵か黒翼の団か、エクホルムさんの姿を見ればどちらかが仕掛けてくると思いますよ」

「……人混みを歩かないと駄目なのか」


 しゅんと声が萎む。なぜ目出し帽に加えて外套のフードまで被っているのかと不思議に思っていたら、どうやら人目が気になるらしい。

 勿論それは人殺しの罪悪感で、なんて理由ではないだろう。大方、自分の顔を他人に見られるのが嫌なのだ。誰もいない草原でさえ目出し帽を手放さないぐらいなのだから、相当な抵抗があるに違いない。

 民家の陰から出てこない殺人鬼を振り返ったモニカは、申し訳なさそうな笑みで彼の顔を覗き込む。


「まぁ、ごめんなさいエクホルムさん。ですが早めに黒幕を明らかにしないと、ブランシュちゃんがハムに──危険な目に遭ってしまいます」

「おい今こいつハムって言ったぞ」


 これがグレンなら一発で怒りを買っている場面なのだが、エクホルムの悪魔は随分と都合のよい耳をしているようで、特に過剰な反応をすることなく頷いた。


「そうだな、ブランシュのためなら……」


 暫しの黙考の末、渋々と彼が日向に出てくる。

 絶対その怪しい格好を辞めれば注目を集めずに済むはずだと、グレンが複雑な気持ちで彼らの後に続いたときだった。


「あの──きゃっ……!」


 脇道から飛び出してきた人影が、段差に躓いては行く手を阻む。

 よろめいた華奢な女は咄嗟に両手を伸ばしたものの、直線上にいたはずの殺人鬼はこれをスッと躱してしまう。なんとも薄情な仕草に通行人がぎょっとする間もなく、女は派手に石畳へ倒れ伏した。


「…………だ、大丈夫ですか?」


 グレンたちが無言で女を見下ろす中、ただ一人良心を見せたのはやはりヒルデであった。少女がおずおずと手を差し伸べれば、女はその長い茶髪を忙しく整えつつ頷く。


「え、ええ。ごめんなさい、私ったら……」


 白く透明感のある頬に、瑞々しい朱が滲む。淡い睫毛が影を落とす漆黒の瞳は、何やら恥ずかしそうに──エクホルムの悪魔をちらちらと仰ぎ見ていた。

 髪や目の色彩はありふれたものだが、よくよく見れば男好きのしそうな顔立ちの女だった。現に、近くを通り過ぎる男の大半が、初々しく頬を赤らめる姿につと目を奪われている。

 ……とは言え、エクホルムの悪魔はそもそも人間の女に興味がない。彼は熱烈な視線を弾き返すどころか、目も合わせずにその場から立ち去ろうとした。


「えっ? ま、待って! あの、これに見覚えはない⁉」

「……‼」


 恐れ知らずな女が差し出したもの。

 それは、フリルがあしらわれた見覚えのあるチョーカーだった。


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