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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
8.悪魔と呼ばれし男

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8-2

 ベラスケス王都から馬車で揺られること数日、辿り着いたのはカレンベル帝国最西端に位置するサリタ辺境伯領だった。

 領地の隅にある宿場町で馬車を降りた一行は、ひとまずここで休息を取ってから聖遺物“青き宝”を目指す運びとなったのだが──。


「……おい」


 いくつかのこじんまりとした宿屋が建ち並ぶ通りでは、行商人が大きな風呂敷を広げて旅人を呼び寄せる。

 細やかな賑わいを後目に、グレンは宿へ入ろうとした雇い主の腕を軽く引いた。


「何でしょう?」


 モニカは存外、呼び掛けに素直に応じて振り返った。

 王都ジェセニアでの出来事以来、モニカの様子がおかしいことは既に分かっている。あれほど多弁だった彼女がここ最近はめっきり喋らなくなったので、グレンとしてはありがたいはずなのだが、毒された身としては如何せん落ち着かない。

 このまま放っておけば、いずれ唐突に「契約を終わりにしましょう」などと言い出しそうな気配さえあった。

 ゆえに暫く出方を窺ってみようかと思ったのだが、これがなかなか強情で何一つ行動をしてこない。それどころかグレンを空気のように扱い始めた。

 結果、よく分からない態度を取り続けるモニカに段々と苛立ちが募り、根負けした形で彼女に声をかけた次第である。


「お前、何が気に食わねぇんだ?」

「気に食わないとは?」

「あれ以来ずっとキレてんだろ。俺が使えねぇと思ったんなら殺すなり解雇するなりしろ」

「言ったではありませんか。逃がすつもりはないと。……気が変わったんです」


 腹の読めない笑顔で淡々と語ったモニカは、ぺしりとグレンの手を払った。

 かつてないほどの憎たらしい振る舞いに、グレンの口角が意図せず引き攣る。過去にも何度か女の機嫌を損ねたことはあれど、ここまで扱いづらい相手はいなかった。

 否、他の人間とモニカでは比較対象になり得ないことを、いい加減に理解しなければならないだろう。

 だからと言って自分が、この心臓箱入れ娘のためだけにあれこれ思案して機嫌を取らねばならないなど絶対に御免である。


(そもそも俺が機嫌を取る必要あるか⁉)


 グレンからしてみれば、師のハヴェルとおぼしき男を遠目に見かけて動揺していたら、何故か急にモニカが殺気立ち始めたという訳の分からない状況なのだ。

 ここで下手な宥め方をすれば一発で心臓を潰される。だからほとぼりが冷めるまで放っておくのがベストな選択、だと思うのだが。


「……」


 宿屋の奥、受け付け横にある細い階段でこちらを窺う薄紅の髪の乙女。その何とも切実な視線は、「早く仲直りしてくれ」という必死な訴えが多分に含まれていた。

 一人で大変な気まずさを感じていたらしいヒルデの気持ちを汲むわけではないが、このまま要らぬ煩累はんるいを抱えていたくないのはグレンとて同じ。

 不本意だが酒でも飲ませて本音を引きずり出そうかと、グレンが早くも強硬手段に手を伸ばそうとした時だった。



「ブヒ」



 聞こえてはならない鳴き声が足元から生じる。

 ピシリと硬直するグレンとは対照的に、モニカはおやと顔を俯かせて微笑んだ。


「あら、もしかしてブランシュちゃんではありませんか? こんにちは」

「ブ」


 二人の間をうろちょろと歩いていたのは、真っ赤なリボンとフリルのチョーカーを身に付けた小さな子ブタだった。

 淡いピンク色の体をそっと抱き上げたモニカは、グレンの横を素通りしては宿屋の外に出てしまう。


「エクホルムさんも宿場町にいらっしゃるのですか? 久しぶりにお会いしたいですねぇ」

「会いたくねぇ! 遠くに捨ててこい早く──」


 我に返ったグレンはすぐさま子ブタを降ろすよう促したが、残念ながら一歩遅かった。


「ブランシュ‼ どこに行った⁉」

「クソ、来た……」


 げんなりとした顔で外を見てみれば案の定、目出し帽を被った怪しさ満点の青年がモニカの元へ駆けてくる。

 彼は子ブタを見付けるなり双剣を引き抜こうとしたが、愛しい恋人を抱えている人物がモニカであることに気付いたのか、はっと殺気を消失させた。


「モニカ?」

「こんにちは、エクホルムさん。ブランシュちゃんは私のことを覚えてくださっていたみたいですね」


 不審な青年──巷でエクホルムの悪魔と呼ばれる男は、モニカの挨拶に小さく頷きつつ、子ブタを受け取ったのだった。



 ▽▽▽



「──聖遺物を見に行くなら止めておいた方がいい」

「あ?」


 宿場町の外れで焚き火を始めた青年は、グレンたちの行き先を聞くや否やそんなことを告げた。

 すぐ近くで子ブタを撫でていたリュリュとヒルデも、不思議そうに顔を上げる。


「どうして?」


 少年が依然として恋人から手を離さないので、鋭い一瞥をそちらへ向けながら、エクホルムの悪魔は東方を指差した。


「セレニ高山の麓に厄介な賊が棲み付いている。英雄気取りの盗人連中だ、そこのコソ泥はよく知っているんじゃないのか」


 何の話だとグレンは虚空を見詰めてしまったが、すぐに心当たりを見付けては小さく溜息をついた。

 カレンベル帝国南部、東西に広く横たわるセレニ高山の頂に聖遺物“青き宝”がある。

 そのため整備された参道と聖遺物周辺については問題ないものの、人目のつかぬ森の奥に無法者が忍び込むことは珍しくない。レアード王国の“目覚めの森”と違うのは、そういった連中がすぐさま帝国兵によって排除される点だろうか。

 と言っても騎士団が動くにはそれなりの時間が掛かるわけで、賊が棲み付いている噂を事前に聞いたなら、しばらくは登山を控えるべきというのが常識だった。

 ついでにエクホルムの悪魔の話を加味すると、現在セレニ高山で幅を利かせているのは──。


「あー……あいつらか、()()義賊の……黒翼の団とかいう」

「そうだ。貴様、一度声を掛けられたと言っていただろう」

「んなこと何で覚えてんだお前はよ」


 無駄に記憶力が良い殺人鬼に悪態をつきながら、グレンは気怠い動きで石段に腰掛けた。

 自らを義賊と称し、貪汚たんおな貴族の屋敷を襲撃しては金品を強奪し、貧しい民に配り歩く。それが「黒翼の団」のやり方だ。

 殺人鬼の青年を助けるより少し前、グレンは酒場で偶然にも頭首のキュリオという男に声を掛けられ、団に勧誘されたことがある。贅沢三昧の貴族を引き摺り落としてやろうだの、お前の魔術の腕があればもっと注目が集まるだの、その場でいろいろと黒翼の団の理想を語られたが……。


「そういえばグレンって盗みやってたんだっけ? その人たちと一緒に義賊ごっこしたの?」

「ちょ、ちょっとリュリュ」


 リュリュの好奇心だけで投げられた問いかけに、グレンはまさかと首を振る。


「そのクソだせぇ団体名やめろって言って断った」

「わぁ」


 仕舞いにはいきり立つキュリオを足蹴にして酒場を後にしたのだが、そんな荒々しい経緯は置いておくとして。

 端的に言えば気に入らなかったのだ。

 殺人鬼の言葉を借りるなら、正義の英雄気取りなところが特に。

 黒翼の団、もとい頭首キュリオの厄介なところは、義賊らしからぬ残虐性の高さだろう。貴族の屋敷を大勢で襲撃して金品を奪うだけならまだしも、彼らはそこに住まう人間全員を殺してしまう。そして、まるで戦勝を謳うかのように門前に首を晒すのだ。


 ──これが民を苦しめた罰だと言わんばかりに。


 貴族の家に忍び込んで幾つかの金品をこっそり盗むぐらいグレンにとっては朝飯前だが、さすがに一家揃って滅亡させてやろうなどという気は全く無い。そこまで血の気は多くないし、そもそも貴族自体にこれといった恨みもないから。

 だからこそ己の過激な行いに酔いしれ、独自の美学を語るキュリオの姿には呆れると同時に、狂気すら感じた。こいつに関わるとロクなことにならないと、本能で悟ったのだ。


「モニカは貴族なんだろう。近付くと何をされるか分からないぞ」

「まぁ、ご心配ありがとうございます。そんな物騒な方々がいるのですねぇ」


 義理堅いエクホルムの悪魔は、恩人であるモニカの身を案じて注意を促したらしい。当の本人はのんびりとした相槌を打って、チラと視線を移した。


「リュリュさん、ヒルデさん、どうしましょうか? 聞いたところ随分と元気な集団ですし、帝国軍が動くまで様子を見た方がよいと思いますけれど」

「んー……そうだね。聖遺物は後回しにして、先に帝都に行こうかな」

「私も同意です。わざわざ危険を冒す必要はありませんし……」


 この二人も別の大陸から来たとは言え貴族の一員、黒翼の団が牙を剥く可能性は十分にある。彼らが危機回避を考慮した賢い選択をしたところで、その夜は解散となった。

 言うまでもないがモニカはグレンの意見など端から聞く気はなかったようで、彼を除く三人に就寝の挨拶をしてはさっさと宿屋に戻っていった。


「……何だ貴様、モニカを怒らせたのか? これだから薄情なコソ泥は……」

「うるせぇぞブタ狂い。お前の恋人丸焼きにしてやろうか」

「貴様もう一回言ってみろ‼」

「お、お二人共お休みになられてはっ⁉」


 今にも殺し合いが始まりそうな一触即発の空気は、慌てて戻ってきたヒルデによって辛うじて鎮められたが──。

 翌朝、事件は起きてしまった。


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