大衆食堂にお嬢様が来たときの話
「モーリスさん」
「おう、どうした」
カレンベル帝国のとある大衆食堂にて。
重たい鍋を火に掛け、野菜をたっぷり投入したスープをぐつぐつと煮込む。厨房から見える客席は昼間とは打って変わって、すでに依頼帰りの傭兵たちが集い、賑やかな空間となっていた。
料理皿を何枚も積み重ねた給仕たちは、彼らの合間を慌ただしくも器用にすり抜け、笑顔で注文を受けていく。モーリスは調理の傍ら店内の状況も確認しつつ、やって来た見習いの青年に短く応じた。
「この前、給仕の女の子が二人辞めちゃいましたよね」
「ああ」
「期間限定ですけど、働いてくれる人が見付かりましたよ」
「お、本当か! そりゃ助かる!」
つい先日、結婚が決まったと嬉しそうに報告してくれた娘と、猛勉強の末に司書の仕事を貰って転職した娘の顔が頭をよぎる。二人とも上手くやっているだろうかとほっこりする反面、急な欠員による人手不足は深刻なものだった。
ギルドに人員の斡旋は頼んだものの、なかなか働き手が見付からずに困っていたところだ。モーリスはまた一つ注文を消化してから見習いの青年に向き直る。
「掲示板を見てくれたのか?」
「ええ、多分そうだと思います。……ちょっと会ってくれませんか?」
「ん? 今から?」
「はい、裏に来てるんで」
何と。掲示板を見た後、その足でここまで立ち寄ってくれたのだろうか。貴重な働き手を逃すわけにはいかないと、モーリスはすぐさま裏口へと向かった。
「──いやぁ悪い、待たせてしまっ……」
満面の笑みで扉を開けたモーリスは、ぎょっと顔を引き攣らせてしまった。
そこにいたのは想像していたような素朴な若者ではなく、小綺麗な格好をした銀髪の乙女だったのだ。長くたおやかな髪は後ろで一つに縛るに留め、服装も市井の住人と大差ない。化粧も殆どしていないにも関わらず、溢れ出る気品は微塵も隠すことが出来ていない。
待て、これは完全に場違い勘違い人違いの類だとモーリスがあんぐりと口を開ける一方、路地裏に突っ立っていた彼女が橙色に照らされた笑顔を傾ける。
「初めまして。給仕の依頼を見て参りました、フェルと申します」
「え!? マジで!? お屋敷の行儀見習いか何かと間違えてない!?」
「モーリスさん落ち着いて」
後ろから青年に宥められ、モーリスはハッと我に返った。そうだ、ここで無闇に騒ぎ立てればせっかくの給仕係を逃がすことになってしまう。
いやしかし、しかしだ。明らかに庶民ではなさそうなフェルをここで働かせたとして、ガラの悪い傭兵に目を付けられたらどうする。彼女が怪我を負った翌朝、厳つい騎士が列をなして押し寄せて「お嬢を傷物にした奴ぁどいつだ」と指詰めを迫ってきたらどうするのだ。もう四十歳を超えているがそんなことになったら泣いてしまう自信がある。
でもそろそろ自分も含めて従業員の手が回らなくなっているのは、紛れもない事実で……。モーリスがとんでもなく険しい顔で葛藤する傍ら、見兼ねた青年がひょいと口を挟んだ。
「フェルさんでしたっけ、料理とか運んだことあります?」
「いえ、ありません」
「下々の民とお話したことは?」
「まぁ、私も下々の民ですよ。日常的にお話しています」
「そうですか、モーリスさん雇いましょう。問題ないっすよ」
「待て待て待て!! もう少し俺の代わりに疑ってくれる!? そんなこと言われたらこのまま雇っちゃうけど!?」
飽きたのか早々に追及を止めた青年に、モーリスは悲痛な叫びを浴びせる。当のフェルは二人のやり取りをニコニコと眺めていて、そこに素性の露見を危ぶむような焦りは一切ない。
まるで「雇う以外の選択肢がない」と分かっているような、何とも読めない笑顔であった。
──結論から言うと、フェルは雇うことにした。
高貴な匂いをぷんぷんと放つフェルを紹介したとき、大衆食堂で働く者たちからは一斉に非難の視線を浴びたものの、背に腹は代えられぬとしてモーリスは大きく顔を背けた。
そして案の定、エプロンの着け方から早々に躓いていたフェルは、皿洗いから料理運び、台拭きに至るまで全てが初体験だったらしい。客が少ないときに仕事を教えてみたが、何とまぁ質問の多いことで。
『モーリスさん、注文を受けたときはどうやってお知らせするのですか?』
『うん、ベルとか無いから頑張って大声で言ってね』
『この布巾、洗って何度も使うのですね。ごめんなさい、三枚ほど捨ててしまいました。うふふ』
『ああ何か少ないと思った! 使い捨ては止めて! うふふじゃなくて!』
『モーリスさん、あちらのお客様からお花を頂いたのですけれど、もしかしてお代のつもりでしょうか? お金を払わない方は出禁ですと伝えておきました』
『そ、そんなつもりじゃないと思うぞ……!? その客泣いてなかった!?』
いろいろとハプニングは多かったものの、それを除けばフェルの能力は素晴らしかった。分からないことを逐一聞いてくるのは放置されるよりも遥かに良いし、何より計算が出来るおかげで仕入れを任せられるのは大きい。
ひと月も経てば他の従業員と遜色ない働きぶりに成長し、モーリスは不覚にも感心してしまう。正直に言えば三日ほどで音をあげるのではと思っていたのだが、今日もいつも通り出勤しては楽しそうにホールをあちこち歩き回っている。
「心なしか客足も増えたような……」
「フェルさんの噂が広まってるみたいですよ。難攻不落の美人給仕って」
「野郎ばっかり来ると思ったらそういうことか!?」
確かに今現在も、フェルが通りがかるだけで野郎どもが鼻の下を伸ばしているではないか。売り上げが伸びるのは嬉しいが、これは少々いただけなかった。世の中には野蛮な輩が沢山いる。アプローチとして花を贈るような初々しい男ばかりではないのだ。フェルにしっかり用心するよう伝えておかねばと、モーリスは焦るあまり包丁片手に厨房を飛び出す。
「フェル!」
「まぁ、どうされたのですかモーリスさん。刃にお魚さんが刺さったままですよ」
「うおッ忘れてた! それよりもフェル、今日はもう上がれ。最近は日が落ちるのも早くなってきたし、暗くなる前にな」
フェルがぱちぱちと薔薇色の瞳を瞬かせる一方で、話を盗み聞きしていた傭兵たちから小さく舌打ちが聞こえてきた。余計なことを言うなとばかりにガンを飛ばしてきた連中はしかし、血塗れの包丁を握るモーリスを見て即座に顔を伏せる。骨のない奴らだ。
「お気遣いありがとうございます、モーリスさん。ならば少しだけ来る時間を早めますね」
「ああ、そうしてくれ。というか──ん? フェル、家はこの辺だったよな? 迎えは頼めないのか」
厨房へと引き返しながら尋ねれば、食器を置いたフェルがにこやかに振り返った。
「私、寄宿舎に暮らしているんです」
「…………え?」
「ふう、では倉庫の整理だけして帰りますね。お疲れ様です」
フェル帰らないでくれ、などと戯れに声を掛ける傭兵たちを背に、モーリスは包丁から魚を引き抜いた状態で立ち尽くす。
十代半ばの婦女子が暮らせる寄宿舎なんて、この辺りには一つしか存在しない。帝都から南に位置する大陸一の学問街、その中枢に聳え立つノルドハイム国立学院の関係者が使用する寮だ。
そう、つまりそこに通う大変優秀な学生たち──主に貴族の若者が生活する寄宿舎である。
「や、やっぱり庶民じゃなかったかぁ……ッ!! 偉そうに扱き使っちまったよ手遅れだよもう!」
「モーリスさーん、早く仕事してくださーい」
「お前、他人事みたいに!」
「え? 俺はずっと敬語使ってましたからね」
「裏切り者!!」
その日モーリスが泣きながら作った料理はどれもしょっぱかったという話はさておき、勤続半年ほどでフェルは大衆食堂を辞めることとなった。その頃には給仕の人数も増えていたので、モーリスは貴重な人材に縋りつく必要もなかったのだが──。
「いや、半年もよく頑張ってくださいました。本当に助かりました」
「あらモーリスさん、どうしてそんなに改まっておられるのですか?」
「……も、もう教えてくださっても良いんじゃあないですかね……? 庶民なんて嘘ついて、何でこんなところで働こうと思ったんです?」
知らぬが吉と我慢し続けていたことを低姿勢に尋ねてみれば、フェルは思案げに宙を見つめる。どんな回答が得られるのやら、モーリスが無駄に緊張しながら身構えていると。
「市井の暮らしに慣れなければいけないので」
「……はい?」
「それと自由に使えるお金が必要だったんです」
フェルがにこりと微笑んだ。
「おかげで楽しく準備が進められました。感謝いたします、モーリスさん。今度は客人として会いに来ますね」
淑女の礼をとった謎多き乙女は、そうして賑やかな街へと消えていった。
美しい銀髪が見えなくなるまで店先に立っていたモーリスは、やがて長い長い溜息をつく。
「最初はどうなるかと思ったが、寂しいもんだな……」
「ですねぇ。ところでモーリスさん、俺、フェルさんの正体分かったんですけど、知りたいっすか?」
「え」
隣で欠伸を噛み殺す見習いの青年に、モーリスは暫し硬直した後──欲に負けてこっそり耳を貸してしまう。
かくして告げられた家門の名は、彼をその場でひっくり返すには十分だった。




