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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
7.奔星の導き

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59/179

7-8

 どれほどの間、そうして暗い細道をすがるように見詰めていたのか。

 途方もない寂寞せきばくに突き動かされ、ついにグレンが日陰へと踏み込んだときだった。


「──グレン」

「っ!?」


 奪われた心臓が容赦なく絞られる。

 視界が大きく揺れたかと思えば、糸が切れたように両膝から力が抜ける。

 硬く湿った石畳に崩れ落ちたグレンは、かつてないほど激しく痛む胸部を押さえた。

 空気を求めて喘ぐ肺が、自由を失った震えるばかりの手が、これは決していつもの戯れではないと主張する。

 贋物の主が、確かにお前を殺そうとしたのだと。

 ようやく巡り始めた思考の末、その事実に気付いたなら、ぞくりと背筋が冷える。


 ──同時に、自分がどんな顔をして路地を見詰めていたのか、嫌でも分かってしまった。


 咳き込みながら後ろを振り返れば、“隷属の箱”を手にしたモニカが冷ややかな目でこちらを見下ろしていた。

 まばたき一つせず佇む姿に、先程まで上機嫌にお喋りをしていた娘の面影はない。


「あちらに、どなたかいましたか?」


 口角を上げた雇い主は、抑揚のない声で尋ねる。

 吹き出す蒸気の音に紛れた声が、彼女の耳には聞こえていたに違いない。その名がグレンにとって非常に大きな存在であることも──彼の迷い子のような横顔を見て、察している。


「……いなかった、って言ったほうがいいのか?」


 私情に惑わされ勝手な行動を取るような手足を、モニカは必要としない。そんな人間とは長くやっていけないから、グレンを選んで正解だったと、彼女は過去に言った。

 あれはきっと嘘偽りのない本心で、今の仕置きも本気だった。

 グレンはようやく痛みが引いてもなお、哀れなほどの動揺を残す胸を押さえて、溜め息混じりに項垂れた。


「殺りたきゃ殺れよ。……俺も今、自分に嫌気が差したところだ」


 殺人鬼の青年に飯を奢った日だったか。どれだけ探しても見付からない師の行方に、自然と諦めがついた日。

 あれ以降、グレンは師を忘れることを選択した。

 何の前触れもなく捨てられた痛みも、別れの苦しみも、丸ごと記憶の底へ沈めてしまおうと思ったのだ。

 それでも時折、幼い頃のおぼろげな日々を夢に見て、大好きだった声を思い出しては苛立つのを繰り返していた。


 そして──今、師とおぼしき姿を遠目に見付けた瞬間、体は勝手に動いてしまった。


 ハヴェル。

 必死に消そうとしていた名前も、呆気なく口からこぼれ出て。

 未だ過去を捨てきれない自分は、とんでもなく惨めで無様だった。


「……やはり」


 しばしの静寂を破り、おもむろに近付く声。

 目の前に膝をついたモニカは、何の感情も読み取れない顔でこちらに手を伸ばす。

 氷のように冷たい指先は、強張った頬に触れる寸前で止まった。


「駄目なのですか。心臓まで取ったのに」


 広げた五指で鳩尾をぐっと押して、モニカはひどく冷めた声で呟く。細々とそそぐ陽射しの下、暗く陰った面は青ざめているかのようにも見えた。


「……? 何……」


 今にも心臓を潰されるかもしれないというのに、グレンの中に恐怖や焦りはなかった。


 ただ、初めて気になった。

 モニカが何を考えているのか。

 母親との約束を果たすために、何故グレンのような盗賊を選んだのか。

 何故、自分と似ているなどと言って笑ったのか。



 何故、こんなにも──落ち込んだ顔をしているのか。



「おい、どういう意味……」


 ハヴェルのことは不思議なほど頭から抜けていた。その時ばかりは、離れたくて仕方ないはずの雇い主に意識が引っ張られて、知らぬ間に細い手を掴んでしまった。

 しかし、モニカはするりと、ともすれば逃げるように手を引き抜いて立ち上がる。


「諦めなさいな。失ったものを求めたところで、何も得られはしません。虚しさと惨めさが増えるばかりだと、あなたなら分かるのではありませんか」


 振りかざした刃は思いのほか、弱々しくグレンの胸を刺すに留まった。

 否、今の言葉は──グレンを無闇に傷付け嘲るためのものではない。

 自らの腹に鋭利な言葉を突き立てて、叱りつけているような……。


「残念ですけれど逃がしませんよ。お母さまの地図を見付けるまで、あなたは私の下僕ですもの」


 つと顎をなぞった人差し指は、そのまま静かに折り畳まれた。

 モニカは呆然としたグレンの顔を、どこか満足げに眺めて踵を返す。彼女の背中が雑踏へ踏み入れば、止まっていた時がにわかに動き出した。

 はっと我に返り、グレンはすぐさま石畳を両手で突き放す。よろめきながら立ち上がっては、後を追うように喧騒の中に飛び込んで。


「おい!!」


 行き交う人々の向こうへ呼び掛けても、その乙女が応じることはなかった。



※ここまで読んでいただき誠にありがとうございます※

第7章で前半終了となります。幕間のお話を挟んだ後、少しだけ準備期間を取ってから8章を投稿する予定です。

どうぞ今後もよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] リュリュとヒルデがかわいい…安心して見れる それに比べてこちらの二人は… いいんですけど!いいんですよ甘さ控えめでも! グレンよりモニカのほうが筋金入りのクールなんですもんね。 後々サルバド…
2022/08/24 21:03 退会済み
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