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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
7.奔星の導き

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7-7

「──ではグレン殿、モニカ殿、私たちは王立図書館へ行って参ります」


 一夜明けて快晴の朝。いつも通りぴしっと身なりを整えたヒルデと、現在進行形でのろのろと髪を結んでいるリュリュに対し、モニカはにこやかな笑顔を差し向けた。


「ええ、どうぞごゆっくり。グレンは連れて行かなくてもよいのですか?」

「はい。今日はあらかじめ資料を揃えていただいているので。……その、リュリュも喋らなくなりそうだし……」


 淡い翠色の瞳を気まずそうに逸らした少女は、隣の眠たげな顔を見遣っては頬を掻く。


「読書中は黙り込んでしまうんです。私が声をかけても全然応じなくて」

「三回ぐらい呼んでくれたら気付くよ」

「気付いた試しがないから言ってるの」


 そうだっけ、と小首をかしげてしまうリュリュを見る限り、研究棟の書物を漁っているときもそんな調子だったのだろう。文章に集中するあまり周囲の音が遮断されてしまう、本の虫にありがちな特徴だ。

 道理で体力が無いわけだとグレンが密かに納得する傍ら、ふとモニカの「あらあら」という楽しげな声が二人の視線を引き寄せた。


「昨日も思いましたけれど、お二人はとても仲がよろしいのですねぇ」

「まあ婚約者だしね」

「は……──リュリュ!!」


 間を置かず平然と答えたリュリュとは対照的に、ヒルデは一拍置いてからぶわっと赤面してしまう。


「なに?」

「え、い、いや、い、言わなくても良いでしょうそれはっ」

「何で? ヒルデは未来のお嫁さんでしょ? もう婚約式したよね、あれ夢だった?」

「夢じゃないけど!」


 そういうことじゃないと初々しく頬を染めたヒルデは、形容しがたい羞恥から逃れるかのように顔を覆った。

 二人の関係に、国同士の政略的な意図が絡んでいるであろうことは容易に推測がつく。平民であるグレンでも、年若い姫が早々に婚約することに何の違和感もなかったのだが──。


「……あ。だからお前、急にやる気出してピンク髪のこと探しに行ったわけか」

「そういえばヒルデさん、人売りに捕まっていたときも心細くて泣いておられましたものね」

「ピンク髪が一人でカイメラぶち殺そうとしたのも」

「リュリュさんが霧の谷でヒルデさんを守った魔術もそういうことで? まぁまぁっ、離れていてもお互いを思いやっていたのですね! 何て素敵なんでしょう──」


 思いやりの欠片もない大人二名の無自覚なからかいに、顔を上げるタイミングを完全に逃したヒルデが硬直する傍ら、二人の話をじっくり聞いていたリュリュがぼそりと呟く。


「ヒルデ泣いてたの? 可愛い」

「うるさい! も、もう行きますよ!」

「うん」


 赤らんだ顔でキッと少年を睨み付けたヒルデは、律儀にもグレンたちに一礼して馬車へと乗り込んでしまった。取り残されたリュリュはと言えば、心なしか満足げに少女の背を見届けつつ。


「じゃあ行ってきま……そうだ。ねぇ二人とも、人売りの会場って女の人とか子どもばっかりだった?」


 ふと、思い出した体で少年が問う。

 レアード王国の聖遺物“目覚めの森”にあった人身売買の天幕。エクホルムの悪魔が一人で大暴れした記憶が強すぎて、そこに囚われていた商品に関してグレンはあまり覚えていない。

 実際に捕まった身であるモニカも少し記憶を遡るような素振りを見せて、曖昧に頷いた。


「確かそうだったと思いますよ。見張りの方々はグレンのようなチンピラばかりでしたけど」

「うるせぇな」

「もしかしてどなたかお探しですか? リュリュさん」


 モニカが労わるような声音で尋ねれば、対する少年は「ちょっと」と控えめに首肯する。


「……一応ここに来るとき、僕とヒルデ以外に保護者がいたんだ。あの人にはお守りを持たせておいたから、生きてると思うんだけど」

「まぁ! どんな御方なのですか? もしかしたらここまでの道中でお会いしているかも──」

「真っ赤な髪のゴツいおじさん。顔と腕に刺青も入ってる」

「お会いしてませんね!」


 エクホルムの悪魔並みに強烈な保護者像を言い渡され、モニカが笑顔のまま即座にかぶりを振った。言わずもがなグレンも全く見覚えがない。

 しかし、見れば一発で記憶に刻み込まれるであろう保護者の不在に、リュリュは大して落胆することもなく。


「そっか。まぁいいや。じゃあ後でね」

「良いのか……」


 あっさりしすぎな少年に思わずそう呟いてしまったところで、二人を乗せた馬車が走り出した。ガタゴトと音を立て、市街地の奥へと消えていく馬の影を見送る。


「さーて、じゃあ私たちは何します?」

「あ?」


 しばしの沈黙を経て、モニカがひょいと顔を覗き込んできた。


「グレンのおかげで脚も良くなりましたし、王都の観光でもしましょうか!」

「元気になってんじゃねえよ永遠に寝てろ」

「そうつれないことを言わずに! 狂王派が粛清された今なら、グレンも大手を振って街を歩けますよ?」

「お前のお守りしながらだと気分転換にならねぇだろうが」

「まぁ口の減らないこと」


 一体どの口が言うのか。すっと宝石箱を取り出そうとしたモニカの手を、グレンは無言で押さえ込んでおく。


「まだ心臓への衝撃は慣れませんか?」

「は? 当たり前だろ、心臓を直接ぶっ叩かれる人間なんか普通いねぇんだよ」

「ああ良かった、グレンが特殊な手合いではなくて。痛くないと罰になりませんものね」


 嘘でも慣れたと言うべきだった。いやそれだと漏れなく変態扱いされそうな気もするが。そうこうしている内にすっかり観光気分のモニカは勝手に城下町へと向かってしまう。

 結局付いて行くしかないのかと、グレンは大きな溜め息と共に足を動かしたのだった。



 ▽▽▽



 ベラスケス王都ジェセニアは、フーモの街ほどではないが蒸気機関が運用され始めている。

 予算の桁が違うようで、使われている部品はかの街よりも上等だ。配管の隙間から漏れる蒸気も比較的少なく、加工技術の向上が垣間見えた。

 紅土の煉瓦で構成された街を進んでいくと、賑やかな目抜通りが現れる。人々の話題はもっぱら、粛清された狂王派のことで持ちきりだった。


「聞いたかい、サルバドール陛下の暗殺未遂!」

「前の事件も狂王派が流したデマだったらしいな。うっかり信じちまったよ」

「不意打ちじゃなくて神前決闘をなさったんだと!」

「お、俺は初めからそうだと思ってたぞ!」

「嘘つけ!」


 すぐそこで笑い声が上がる。王都ジェセニアに暮らす民は、王宮から漂う不穏な空気からようやく解放されて喜んでいるようだった。

 彼らの笑顔を眺めながら、モニカはひょいと水溜まりを飛び越える。


「やっと陛下の不名誉な噂も払拭されそうですね。はあ、このまま蒸気機関をレアードにも導入できないでしょうか」

「……いたく気に入ってんな」


 物欲しそうに配管の群れを見詰めたモニカは、グレンの呟きを捉えてはにこりと微笑んだ。


「私、ベラスケス王国の考え方は好きですよ。反光神主義者の行動は褒められたものではありませんけれど、彼らも陛下も、神に依存することを良しとしなかったのは同じです」


 虐げられ、侮られてきたからこそ芽生えた天空神への不信。

 それを間違いだと切り捨ててしまっては勿体無いと言って、薔薇色の瞳が楽しげに細められた。


「レアードは何度も革命が起きたわりに、古い仕来りに囚われていてつまらないんですよねぇ」

「……なるほどな」

「あ、グレン! 話は変わりますが、このジェセニアには──わっ?」


 モニカがこちらを振り返った瞬間、その腕を手前に引き寄せる。たたらを踏みながら彼女がグレンにしがみつけば、二人の近くを馬車が走り抜けた。

 ばしゃりと水溜まりが跳ねては石畳を濡らしたところで、グレンは掴んでいた腕を放して歩を再開する。


「ジェセニアには?」

「……あ、ジェセニアには……何でしたっけ?」

「知るか」


 忘れたなら会話は終わりだと、グレンは素っ気なく返しつつ王都の街並みに視線を移した。

 後ろを歩くモニカは何故かそれきり沈黙していたのだが、やがて足音が隣に並ぶ。見れば、彼女はどこか思案げに煉瓦の継ぎ目を眺めていた。


「ねぇグレン」

「あ?」

「提案なのですが」


 視軸の定まった薔薇色が、ゆっくりと瞬く。歩みにあわせて銀の髪が揺れ、靡き、ほっそりとした鼻梁に影を落とす。

 前を見据えていたモニカの、丸みを帯びた輪郭がグレンを仰いだ。


「お母さまの地図を見付けたら──」


 そのとき、ずっと彼女を注視していたはずの瞳が不意に逸れる。

 なにかに吸い寄せられるように、グレンは銀髪の向こうにある細い路地を見た。

 家屋と家屋の間、配管によって更に狭められた通路の奥を。



 そこを音もなく通り過ぎた男の姿を。



 思わず呼吸と足を止めてしまったなら、もうモニカの言葉は聞こえていなかった。


「グレン?」


 見開かれた緑玉の瞳は頼りなく揺れて、呼び声を無視しては路地へと向かう。

 だが、グレンがそこを覗き込む頃にはすでに、男の姿は忽然と消えてしまっていた。



「……ハヴェル……?」



 情けないほどに震えた声は、蒸気の音に掻き消された。


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