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クーデターの後処理に蒸気機関の再点検、人事異動、未だ見付かっていないカイメラの特定と処分──とにかく山積みの仕事に段々と頭が回らなくなってきた。
息抜きにバルコニーへ出てみると、爽やかな晴天と雨の匂いを含んだ風が全身を包む。
うんと伸びをして大きく息を吸い込めば、ふと庭園に四つの人影が現れた。どうやら研究棟の見学が無事に終わったようだ。つい先ほど王立図書館からも返事が来たところなので、あの幼げな魔術師に訪問できる時間を伝えておかなければ──と、サルバドールが思考を進めていたときだった。
長くたおやかな銀髪。飾り気のない恰好ながら人目を惹く乙女が、ころころと笑っていた。
サルバドールはついつい、その華やかな表情に釘付けになってしまう。手摺にだらしなく頬杖をついたまま、間の抜けた顔で彼女の姿を追った。
「──……下、陛下ー? 聞いとるかぁー?」
「はっ!? セベ!?」
慌てて振り返ると、いつの間にか書類を抱えたセベがそこにいた。蒸気機関の状態を報告しに来たのだろう。
「すまない、気付かなかっ……」
「何じゃ、陛下はあの別嬪さんのことをやけに気に掛けとるのう。もしや深い関係なんか?」
「え!? な、な、何て恐ろしいことを言うんだ……!」
嘔吐物をドレスにぶちまけたことを深い関係なんて言えるものか!
サルバドールがぶんぶんと首を左右に振っている間にも、セベは構わず庭園を覗き込んでしまう。
「レアードのお貴族さんじゃろ? あんだけ綺麗なら引く手あまたじゃな」
「う、うむ……まあ……」
つい最近、彼女が許嫁から婚約破棄を申し渡されたらしいことを思うと、何とも答えづらい。セベの世間話にもごもごと頷きながら、サルバドールは再び手摺に凭れかかる。
彼女は──モニカはとても冷静な女性だ。
冷淡で知られるフェルンバッハの血筋らしいとでも言うべきか、何事にも一歩引いたところで傍観する姿勢を心得ている。他国の事情ゆえ、なかなか詳しいことは耳に入らないが、社交界における彼女の手腕は実に見事と評判だった。
家門ごとの商売や資金力を把握し、必要な投資と交渉を持ち掛けて派閥を固めることは勿論、その豊富な知識を用いた話術は男女問わず取引に応じさせてしまう力がある、と。
そんな話をよく聞いていたからこそ、モニカが女性の身でありながら伯爵を継ぐと知ったときは深く納得したものだ。
しかし。
「……セベ。モニカは何故、身を呈してまで私を守ったのだろう」
毒矢を受けたときのことを持ち出すと、大きな欠伸をかましていたセベが不思議そうにこちらを見る。
「おん? そりゃ、他国と言えど一国の王様じゃ。火事場の何たらじゃないんか?」
「まぁ、それもあるのだろうけど……。私はおそらく、モニカにとってそこまで気に掛けるべき存在じゃなかったはずだと思って……」
「陛下、言ってて虚しくないか?」
「だいぶ虚しい」
真冬でもないのに木枯らしに吹かれたかのように心が冷えてしまったが、その推測は的を射たものだ。
そもそもモニカがここへやって来たのは、サルバドールの酷い噂を聞いてのことではない。驚いたことに、何の身分も持たない魔術師の青年の身柄を保護するためだった。
サルバドールが知るモニカ・フェルンバッハは、一時の感情に任せたり、誰かの懇願に耳を貸したりして賭けに出るような性格ではない。
己の意思と判断に基づいて、優先すべきものを正しく選ぶはず。
現伯爵エッカルトの血と教えを受け継いでいる彼女なら──間違っても他国の派閥争いなどに首を突っ込まなかった。
つまるところモニカは、あのグレンという青年を守るためだけに、自分の力量を超えた無茶な行動に出たのだ。
「……私が死ねば、また魔術師狩りが激化する。きっとそれを嫌ったんだろう」
見捨てることも出来たはずだ。
否、自分の身に降りかかる危険を考えれば見捨てるべきだった。
グレンも、サルバドールも、死んだところでフェルンバッハにはそれほど影響がないのだから。
端的に言えば、昨日の行動は彼女らしくなかった。とても。
とても人間臭かった。
「…………なぁ陛下、もっぺん聞くが……やっぱり別嬪さんのこと好きじゃろ?」
「はあぁ!! やめないかセベ!! ゲロ国王など彼女に釣り合うものか!!」
「ゲロ?」
過去の悲惨な出会いを知らないセベから不可解な視線を寄越されれば、サルバドールの脳裏にはあの日の記憶がじわりと蘇る。
──おとうさまが近くにいるから、呼んでくるよ。
体調の悪いサルバドールを見かねて、幼い少女は冷静にも汚れたドレスのまま父親の元へと向かってしまった。
そんな姿で人前に行かせられないと引き留めはしたのだが、一切合切無視された。
(自分だって、一人であんな場所に座り込んでいたのに)
後から聞いた話だが、あの日はちょうどモニカの母親が急逝して間もなかったらしい。それでも皇帝の誕生祭には出席しなければいけないからと、喪に服することなく父親と共にカレンベル帝国まで赴いた。
そして、誰もいない庭園で一人──泣いていたのだろうか。当時、自分のことで精一杯だったサルバドールには分からない。
──大丈夫かい。温かいお茶を貰ってきたんだが、飲めるかな。
ほどなくしてやって来たエッカルトは、サルバドールの素性を知りながらも一貴族として彼を扱った。
ベラスケスの事情をよく知っていたのだろう。幼い王太子が、父の意向で晒し者になっていることも。だから敢えて知らない振りをした。
それがどんなに、衰弱しきっていたサルバドールの心を救ったか。
──歩けるようになったら、今日はもう部屋に戻って休みなさい。ああ、それと意味のない煩わしい声は寝て忘れてしまうことだ。邪魔なだけだからね。
言い方は少々ぞっとしたが、エッカルトの言葉は今も遵守している。何でもかんでも抱え込んでしまいがちな性分、要らぬ抑圧は極力捨てていくべきだと。
おかげで何とか王族としての体面を保てるようになったわけだが、果たしてこれで良かったのかという不安は尽きない。
(それがモニカに褒められただけで和らぐのだから、呆れたものだな……)
ふと意識を引き戻し、庭園に視線を注ぐ。
そこには何処となく楽しげな顔をして、護衛の魔術師にからかいの言葉を投げては笑う乙女がいた。
功臣フェルンバッハ家の長女なんて堅苦しい肩書きを忘れたような、無邪気な表情だった。




