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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
7.奔星の導き

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7-5

 国王に謁見した日の昼下がり。

 半壊した贋物実験場を眼下に捉えることの出来る庭園には、古びた塔が物寂しげに佇む。魔術師の血で汚れたあの施設に負けず劣らず、不気味な建物だった。

 ここはかつて、ジェセニア王宮に仕えていた魔術師たちに与えられた研究棟だそうな。狂王と反光神主義者が贋物実験に手を出すまでは、多くの人で賑わっていたという。今は見る影もないが、魔術に関する資料ならまだ残っているはずだと、サルバドールの悲しそうな笑顔が頭をよぎった。


 王立図書館は明日以降に訪ねることにして、今日のうちに研究棟を見てしまいたいというリュリュの要望により、特別に進入を許された次第だった。

 円筒型の階段室を難なく開け放ったリュリュは、暗い空間を仰ぎ見ながらひょいひょいと段差を駆け上ってしまう。その後方、ぴしりと固まってしまったヒルデの存在に気付いたのか、足音が再び戻ってきた。


「ヒルデ、大丈夫。おばけはいないよ、それは君のお兄さんが面白がって言った冗談だから」

「ちょ……っ、な、何でそれを知ってるの!?」

「あ、元気になった。ほら行こ」

「待ちなさい!」


 ヒルデの耳は真っ赤になっていたが、リュリュのからかいに上手いこと乗せられた自覚はないのだろう、先程まで尻込みしていたのが嘘のように階段を駆け上がっていった。

 二人を気怠く見送ったグレンは、同様にして階段室を覗き込んでいたモニカを横目に見る。


「お前は行かねぇのかよ」

「あら、私は一応まだ怪我人なのですよ? 今日一日は安静にとお医者様から言われていますし、あまり長い階段は……あ、背負ってくださいます?」

「誰が背負うか」


 すげなくモニカの言葉を一蹴したグレンは、階段室とは別の扉を無造作に開けた。

 そこは個人部屋だったのか、小さな机と椅子が一脚ずつ置かれている。数は少ないが本も数冊残っており、グレンはおもむろにそれらへ手を伸ばした。


「祝福の雨、原始牛の産声、アシェの業火……基礎ばっかりだな。見習いか」

「まぁ! やはりグレンもこういった書物を読んで魔術を勉強したのですかっ?」


 ひょこっとグレンの手元を覗き込んだ銀色の頭が、徐々に横へ傾いていく。

 大方、この聖書と大差ない本のどこが魔術の入門書なのかと、不思議に思っているのだろう。

 グレンとて、初めは訳も分からず語り聞かせられたものだ。細雨がもたらす祝福を、生まれ落ちた人と牛の最期を、やがてきたる焔の海を──書物ではなく師の口から。


「……。聖霊は無知の者を嫌う」

「無知?」

「天空神が紡いだ幾星霜の歴史を無視することは、聖霊との親和を拒む行為と見なされる。だから魔術師は嫌でも聖書を読み込まなきゃならねーんだよ」


 初めは歴史を、次に動植物の繁栄を、その次には風の吹き方や星の見え方まで。あらゆる方面での知識を蓄えれば蓄えるほど、聖霊を知ることに繋がる。そうすることで魔術の精度も比例して上がっていく。

 そこに聖霊の力を引き出しやすい体質なんかが上乗せされたのが、いわゆる天才と呼ばれる部類の人間だ。それは例えばグレンの師である男とか、上階を探検している最中の少年が該当するだろう。

 グレンがぶっきらぼうな口調で魔術師の育成課程について語れば、細い手が「原始牛の産声」と記された本を引き出した。


「ふうん、そういう仕組みだったのですね。私はてっきり召喚の呪文だけ覚えればよいのかと……ところでグレン」

「あ?」

「今まで魔術を教えてと言っても散々拒んでくれたのに、どういう風の吹き回しで?」


 ぐしゃり、眉間の皺が深くなるのを感じた。ついでに引き結んでいた唇も大いに歪んだ。

 グレンの露骨な反応を見たモニカは、くすくすと笑いながら本の背表紙をなぞる。


「リュリュさんから暗黒の話を聞いたとき、様子がおかしかったですものね。何か気になることがあるのですか?」


 四角く刳り貫かれただけの窓枠。射し込む陽光に埃を舞い上げながら、モニカがゆっくりと椅子を引いた。木材の軋む音と共に腰を下ろした彼女は、問いを投げたにも関わらず手にした本を開いてしまう。

 しかしその横顔に毒気はなく、文字の羅列を追う眼差しも穏やかなものだった。

 少しの間、ざらついた頁が擦れる音を聞いていた。染み一つない手が横へ滑るたびに影が生まれ、見開きはまた白く塗り潰される。

 膜のような光を纏う銀の髪の乙女は、どこかで見たことがあるような気がした。



「……空の向こうには何があると思う」



 こぼれ出たのは、かつて師から投げ掛けられた問い。

 意表を突かれた様子で、書物に注がれていた薔薇色の瞳が持ち上がる。

 しまったと口を押さえても、時既に遅し。


「それは……聖書の冒頭にある問いかけですね?」


 記憶を掘り起こす作業も必要なかったらしく、モニカがにこりと微笑を湛えた。


「蒼天を越えし者よ、汝が求めるは光の星海か、暗黒の無か……。一番初めに書かれているわりに、何一つ説明が為されていない問いかけとして有名ですよね」


 言ってしまったものは仕方ない。取り消すことも諦めて、グレンはおざなりに頷いた。


「……らしいな」

「それで? 私は問いに答えればよろしいのですか?」


 落ち着いた声音に再度、ぎこちなく顎を沈める。


 ──幼い頃、グレンはその問いかけの答えを二択だと思っていた。


 そして、正しい答えは「光の星海」であると信じて疑わなかった。

 空を越えた先には、天空神が築き上げた光の世界があるのだと。どこの教会へ赴いても同じ答えが得られるのだから、それで正解じゃないかと師に言った。

 しかし師は、拙い答えにただ笑うだけだった。

 リュリュから暗黒の話を聞いて以降、ふと、そんな昔のやり取りが何度も頭を掠めている。


「そうですねぇ。西大陸で面白い発見もあったことですし、私は……」


 何故今になってこの女に問答を求めたのか、深い理由はない。

 ただ、そこにいたから。

 あの日、自らが間違えた問いかけの答えを、師以外の誰かに聞いてみたかった。

 モニカが白い瞼を閉じ、薄く笑う。



「何でもあると思いますよ」



 ぴんと人差し指を立てた彼女に、グレンはほんの少しの間、息を止めてしまった。

 彼の些細な変化を知ってか知らずか、銀髪の乙女はぺらぺらと語り出す。


「そもそもこの問いかけ、何だかいやらしいと思いませんか? 最初から光の星海を選べと強制していて、まるで天空神への信仰を試すかのような二択ですもの。大方、アストレア神聖国が編纂に当たって勝手に付け加えた一文だと私は推測し──グレン? 私、延々と喋ってしまいますけど大丈夫ですか?」

「……そのまま喋り続けて喉を潰してくれると助かる」

「まぁひどい! あなたの問いに答えて差し上げたのに!」


 だしぬけに立ち上がったモニカから金髪をぐしゃぐしゃに掻き回されながら、グレンは先程の答えをぼうっと反芻していた。


 ──何でもあると思いますよ。


 暗黒の生死云々を抜きにしても、モニカは昔からずっとこう答えてきたのだろう。

 つまらない二択に頭を悩ませるよりも、この女は自由に空想する方が好きそうだから。


「……ふむ、元気がありませんねぇ」


 薔薇色の淡白な眼差しが、乱れた前髪に透ける。ほっそりとした指が視界を掻き分けたなら、額に冷たい風が触れた。


「そういえば、フーモの街に着いたときから少しぼーっとしていましたっけ」

「別に……ただ」


 彼女の探るような視線から逃れ、机上に置かれた書物を見遣り。



「……久々に、知らないものを見たせいだ」



 ぽつり。思ったことを呟いた。


「知らないもの? ……ああ、蒸気機関に西大陸で見付かった暗黒の残滓……確かに刺激的ですものねぇ。私も驚いてしまいましたけれど、慣れれば楽しいものですよ」

「慣れる?」

「思うに」


 モニカが言葉を被せ、そっぽを向こうとしていたグレンの顎を引っ掴む。ぐいと顔の向きを戻されて呆ければ、乱暴な仕草とは裏腹に、清々しい笑みがそこに咲いた。


「グレンは意外と保守的なのでしょうね。自分の常識が外から壊されることを嫌がる方って、そう珍しくありませんもの」

「……保守的? 俺が?」

「ええ。だから新しい刺激に戸惑っているのでしょう? 良し悪しは置いといて、知識も価値観も時が進めば変わるものです。そう拒絶する必要はないかと」


 拒絶──していたのだろうか。

 グレンを形成するものは、幼い頃に師から教わった様々な知識と、シスターの説く神の教え、それから欲深い大人たちが見せた人間の汚さだ。


 長い間、それだけだった。


 だがモニカに捕まってからと言うものの、要らぬ刺激が増えすぎた。そもそもこんなにも長く誰かと行動を共にしたのも、シスターと別れて以降ほとんどなかったように思う。

 他でもないグレンが頑なに「知らないもの」を避け、己の停滞を選んでいたのだから、当然のことだ。


 ──師と過ごした最後の日から、変わりたくなくて。


 昔とは違う大きな手のひらを見詰めて、グレンは苦々しい気分で瞑目する。馬鹿げたことだ。モニカの言う通り、時が進めば何もかもが変わるというのに、ありもしない不変を望むなど。

 本当に、馬鹿げたことだった。


「……悩みは解決しまして?」


 はたと、随分と近くにいる薔薇色の瞳に気付く。

 素直に応じることが何となく憚られ、とっさに半歩下がりつつ曖昧に頷いた。回りくどい問答を他でもないモニカに振ってしまったことは勿論、それで少しばかり胸が晴れてしまったことが妙に気恥ずかしい。

 対するモニカはと言えば、然して気にする様子もからかう気配もなく、にこりと笑みを深め。


「それは良かった。しかしどうですグレン、そう考えると聖遺物探しもあながち夢ではないと思いませんか?」

「いやそれは同意しかねる」

「何故」


 それまで優しく語り聞かせていたモニカの発言を跳ね返し、グレンは思いきり顔を歪めつつ細い手を払った。


「お前の母親の手紙だけじゃ無理だって何度も言ってんだろうがよ! それとこれとじゃ話が別だわ! 上手いこと丸めこもうとすんな!」

「ええーっ? そうでしょうか? まぁ別にグレンが無理だ嫌だおうち帰りたいと言っても関係ありませんがね!」

「このクソアマ──」


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