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東大陸ではローデヴェイクの名が広く知られている。
例えそれが海を越えた先、遠く離れた西大陸の国家であったとしても、知らぬ者はいないほどに。
“ローデヴェイクの戦乙女”──光神と暗黒の戦いが紡ぐ長き歴史を語るにあたって、かの英雄ジークリットは欠かせない存在だったのだ。
彼女が持つ世にも珍しい薄紅色の髪は、戦場に立つすべての者の光であり、しるべであり、希望であった。
神々の争いに巻き込まれ、否応なく武器を手にした哀れな人間という位置づけながら、その乙女だけは挫けることをしなかった。
暗黒を前にして一度は死に瀕したが、彼女の働きを知っていた天空神の慈悲によって、再び息を吹き返す聖書の一場面は有名だった。
──人よ、光神に選ばれし乙女に続け。暗雲を打ち払う剣のひらめきを追え。
吟遊詩人によって語り継がれる彼女のサーガは、今に至るまで圧倒的な人気を誇る。闘争の時代に活躍した猛き戦乙女に憧れ、進んで剣を手に取った女人も珍しくはない。
(……まさか本当にローデヴェイク出身とはな)
たじろぐヒルデの姿を眺めながら、グレンは肩を竦めた。巨大なカイメラ相手に剣一本で立ち向かったと聞いたときは正気を疑ったが、全くもって不思議な話ではなかったようだと。
少女の髪色や類稀なる剣術を間近で目の当たりにするたび、かの戦乙女の面影を重ねたことはあれど、やはり確信するには至らず。そも、無理やり素性を聞き出すほど少女に興味があるわけでもなかったので、単なる世間知らずの貴族として位置付けるに留まったのだ。
とは言うものの実際にそうだと判明すれば、さすがのグレンであっても驚きを覚えるわけで。
彼よりもさらに感受性が豊かな人々は、それ以上の驚嘆をもってヒルデを迎える。
「はっ。み、皆の者落ち着かないか! 話が進まないだろう!」
今の今まで虚空を見詰めていたサルバドールの説得力のない注意は、騒然たる謁見の間に辛うじて浸透した。
「申し訳ない、ヒルデガルト王女。こちらではローデヴェイクという名前がとても有名でね」
「えっ……そ、そうだったのですか」
「ああ、その……すまない、場所を変えようか! 落ち着かんな! 詳しい話は私の執務室で聞こう!」
どうにも騒がしさが拭えないことを察し、国王が玉座からサッと腰を上げたことで、堅苦しい謁見はひとまず終了となった。
「……礼儀正しい子だとは思っていましたが、まさか王女様とは。ピンク髪だなんて粗野な呼び方をしたコソ泥は首を刎ねられてしまうかもしれませんね」
「自分で素性隠してたじゃねぇか。何が悪い」
ぞろぞろと文官たちが退室していくのに併せて、椅子からおもむろに立ち上がったモニカが小言をこぼす。
対するグレンがこれに堂々開き直ってみせれば、どこか見透かすような笑いが返ってきた。
「ヒルデさんには優しいですよねぇ」
「ああ?」
「グレン、モニカ」
するとそこへ、リュリュがおろおろとしたヒルデの手を引いてやって来る。
「よお、何だ公子サマ」
「いいよそんな呼び方しなくて。それより、今から陛下と一緒に話聞いてくれる? モニカも」
「ええ、構いませんよ。調査とやらのお話でしょうか?」
面倒臭い、と脊髄反射で答えようとしたグレンの上衣を掴み、モニカが食い気味に承諾した。
ひとまず無言で彼女の手を払い落としたところで、一連のやり取りを眺めていたリュリュが「うん」と呑気に頷く。
「フルメヴァーラ公爵──僕の養母なんだけど、その人の名代でね。向こうじゃ資料が少なすぎるから、東大陸に来たんだ。……ついでに運動もして来いって」
「ああ……」
健全な男児にしては珍しい、雪のように真っ白な肌と細い体を見て、グレンとモニカはつい納得したような相槌を打ってしまう。少し走るだけで息切れを起こす少年の体たらくには、養母も頭を抱えているらしい。
片や戦乙女ジークリットの血を引くヒルデが、可憐な見た目とは裏腹にとても逞しいおかげで、余計にリュリュがひ弱に見えるのは致し方ない。
さりとて──双方とも優れた力をそれぞれ有していることは確かで、なるほど二人揃えば敵無しだろう。今後、穏やかな海域で船が沈むなどと不幸な事故さえなければ、の話だが。
「で? 何の調査だよ。光の神々か?」
「……そうだね、それも聞かないと駄目そうだ」
リュリュの曖昧な答え方は、主な目的が別にあることを示していた。景色が謁見の間から廊下へと移り変わるとき、ちらりと少年を一瞥してみれば、そこには思案げに伏せられた碧海の双眸がある。
陽射しを受けて煌めく青色の虹彩は、一般的なブルーの瞳とは少しばかり異なる輝きを放っていた。ちょうど、すぐ隣にいるモニカの目と同じような──不思議な光をそこに宿して。
国王の執務室へと場所を移した一行は、侍女が用意した紅茶と菓子を囲んで座った。
本来なら足を踏み入れるはずもない空間に、どうしようもない居心地の悪さを感じたグレンは、話が始まる前にと椅子を外側へずらしておく。どうせリュリュたちの言う「調査」というのも、貴族間で行われるまどろっこしい部類の話だろうと高を括っていたから。
ようやく静かな話し合いが出来ると息をついたサルバドールが、さてと仕切り直すように笑みを浮かべる。
「手間を掛けさせてすまなかったね。ええと、それで……調査とやらは魔術師のリュカ殿が主導して行っているのかな? さっそく話してくれ」
「はい」
客人用のソファに浅く腰掛けたリュリュは、侍女が用意してくれた薄い紙──羊皮紙とは質の異なるそれにペンを走らせていく。
あの書き心地の良さそうな紙もセベの発明で作られたのだろうかと、グレンがおぼろげに考えを巡らせている内に、迷いなく手を動かしていた少年が口を切った。
「僕が扱う精霊術と、グレンたちが使う魔術は同じものと考えて良いでしょう。万物に宿る八百万の霊と、神が産み出した聖なる霊……在り方と名前が違えど、本質は全く変わらないと思います」
リュリュが片手で自分の髪の毛をぷちりと千切る。それをひょいと虚空に投げれば、淡く色づいた翠風が流れるように喰らう。
すると、執務室に溜まっていたベラスケス特有の湿った空気が、からりと爽やかなものへと変わった。乗じて仄かな花の香りまで漂い、サルバドールが感心した様子で嘆息する。
「僕らは数年前から、術に召喚する精霊のことを“光の精霊”と呼ぶようになりました。それまでは特に何の区別もなく、彼らのことを精霊という一つの概念として捉えていたのです」
ひく、と指先が引き攣り、グレンは伏せていた瞼を持ち上げた。
同時にリュリュがペン先を離し、こちらの視線を静かに受け止める。反応を窺うような眼差しを差し向けたまま、少年は書き終えた紙面を一同に見せた。
そこに描かれていたのは、今しがたリュリュが説明した精霊と聖霊の関係図だ。呼称の異なる二つの霊を大きな円で一括りにし、「光」と記した──その下方。
──斜線で黒く塗り潰された円には、「影」と記されていた。
「西大陸のとある遺跡で、光と対を為す“影の精霊”が発見されました。恐らくこちらでは、暗黒と呼ばれているはずです」
ざわり。
どこか遠くで、誰かの囁き声がグレンの意識をくすぐった。




