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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
7.奔星の導き

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52/179

7-1

 建ち並ぶ褪せた赤色。冷えた紅土と煉瓦の街には、昨晩とは打って変わって晴天の日差しが降り注いでいた。

 水溜まりは群れを繋げてまばらな川となり、真っ青な空をそのまま写し取る。

 王都を吹き抜ける少しばかり湿った風は、薄紅の髪と白いスカートをふわりと揺らした。

 昨日の騒ぎが嘘のように、王宮は静かだった。国王の暗殺未遂に、凶暴なカイメラの出現と、今頃サルバドールたちは事後処理に追われていることだろう。余所者である自分に何が出来るわけでもないが、ヒルデは彼らの苦労にひっそりと同情の念を抱いた。

 ところで。


「……リュリュ、いつまでそうしてるの?」


 腹部に回された両腕と、うなじに押し付けられる頭。時おり風が吹いては、癖のない黒髪がはらりとこぼれ落ち、ヒルデの頬をくすぐる。

 二人のいる歩廊はちょうど日陰になっているおかげで肌寒く、リュリュの体温が心なしかそれを和らげてはいるものの、如何せん身動きが取りづらい。

 ヒルデが隙を見て離れようとすれば、余計に抱き締める腕が強まった。

 じわりと頬が赤らむのを感じながら、ヒルデは肩に乗る黒い頭をぽんぽんと叩く。


「リュリュ。あなた、水の精霊で治癒を行うときは、こうして触れ合ってた方が早いとか何とか前に言ってたわよね」

「うん」

「……昨日グレン殿が、そんなことしても効果は変わらないって仰ってたけど?」

「……」

「寧ろ何の意味があるのか顔を顰めていたわ」

「……文化の違いかな」

「リュリュっ」


 また騙したなと勢いよく顔を振り向かせると、ようやくリュリュが渋々と腕を離した。そうして全く悪びれない様子でヒルデの頬に触れては、見付けた小さな擦り傷を指の腹で撫でる。


「──遍く命を巡る癒しの清流よ、かの者の傷を塞ぎたまえ」


 ふわり、淡い青色の光がリュリュの指先に舞い降りた。水の精霊はヒルデの傷をそっと覆うと、ひりついた皮膚の赤みを鎮めていく。ひんやりとした感触が消える頃になって、精霊に一本の毛先を喰わせた少年は、残念そうに碧海の瞳を他所へと向けた。


「僕のこと疑いながら大人しくハグされてるヒルデ、可愛かったのに」

「リュリュ! もう、私が精霊術を知らないからって変な嘘を教えないで!」

「別に困らないでしょ?」

「こ、困るわよ!」


 ちょっと怪我をするたびに「ほら早く」と抱擁を強制されてきた身としては、それはもう物凄く困っていた。

 リュリュは可憐な少女のような可愛らしい顔立ちとは裏腹に、なかなか油断ならない性格の持ち主だ。少年との会話にあといくつの嘘が織り交ぜられているのかと、ヒルデは小さく溜め息をつく。

 しかし彼の言う通り、とんでもない赤っ恥をかくような嘘はつかないことが、怒るに怒れない原因でもあった。


「ヒルデって騙されやすいよね。悪い人に付いて行かないか心配してたんだよ」

「そんな子どもみたいな──」


 心外だと言わんばかりに半目になったヒルデはそこで、占い師の存在を聞いて一も二もなく飛びついた過去の自分を思い出して撃沈する。

 グレンとモニカがいなければ、もっと危ない輩に助けを求めていた可能性は無きにしも非ず、今更ながら剣以外はてんで駄目な性分を恨んでしまった。

 閉口したヒルデを問い詰めるような真似はせずに、リュリュは落ち込む少女の手を引いて歩き出す。


「昨日、怖くなかったの?」

「え?」

「カイメラの首に飛び乗ったってセベから聞いた。高いところ苦手でしょ、ヒルデ」

「……必死だったもの。気にならなかったわ」


 ふとリュリュがこちらを振り向いた。清澄な湖面を彷彿とさせる双眸に微笑を返せば、乏しい表情の奥にやわらかいものが宿る。


「そう」


 注視しなければ分からないほどの、小さな小さな笑顔。

 この控えめな感情の発露を見るのが好きで、それだけでヒルデの心は軽くなった。

 そういえば昨日は、出会ってから初めてリュリュの大声を聞いた気がする。彼にしては非常に珍しく走って来てくれたようだし──もう少し目に焼き付けておけばよかったと、ヒルデは密かに肩を揺らした。


「そろそろ時間かな。謁見の間に……何で笑ってるの?」

「あ、ううん。何も。グレン殿にも話を聞いてくださるよう、モニカ殿にお願いしておいたわ。魔術にとても詳しい様子だったから」

「そっか、ありがとう。じゃあ」


 日陰が途切れ、明るい陽光が二人の顔を照らす。足元に浮かぶ濃い影を一瞥した少年の、長い睫毛がちらりと瞬く。

 腰のサッシュにナイフをぐっと押し込んだリュリュは、眠たげな瞳を少しだけ引き締めたのだった。


「調査再開だ」


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