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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
6.ジェセニア王宮事変

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6-9

 カイメラの頭突きによって生じた衝撃は、その場にいたセベは勿論、堅牢な城壁までをも揺らがせた。

 がらがらと崩れる瓦礫に紛れて、あれよと言う間に楼門まで転がってしまったセベは、容赦のない攻撃を目の当たりにして言葉を失う。


「う、嘘じゃろ、おなご相手に何ちゅうこと……お嬢ー! 生きとるか!?」


 大量の砂塵で塞がれた視界。そこに雨風が混ざれば、割れた石畳と土は泥濘と化していく。

 暫しの間待ってみたものの、ヒルデからの返事はない。セベがもう一度だけ呼びかけようと、息を吸い込んだときだった。

 強烈な咆哮を上げて、蛇頭の一つが砂塵から飛び出す。


「ひぇ……──って、おお!?」


 そこにしがみついていたのは、今しがた叩き潰されたかと思われたヒルデだった。少女はカイメラの眼球に剣を突き刺したまま、暴れる怪物の頭に両脚を引っかける。そうして力づくで剣を引き抜くと、雨に濡れた鱗を滑り落ちた。

 途中、落下する獲物を狙って別の蛇が噛み付こうものなら、その舌を容赦なく斬り飛ばす。

 痛みに悶える怪物の頭を蹴り、地上へと戻ってきたヒルデはそのまま休むことなく駆け出した。上空から襲う蛇頭の猛攻を掻い潜り、悠然と佇む男に剣を薙ごうとしたが。


「おい、下だ! 脚を使え!」

「!?」


 男の指示に従って、カイメラが後ろ脚を踏み鳴らす。バランスを崩したヒルデが転倒してしまえば、すかさず少女の背中を蛇が押さえつけた。


「うっ……!」


 みしりと背骨が音を立て、びくともしない重さにヒルデは歯を食い縛る。何度か剣の持ち手で蛇の横っ面を殴ってみたが、思うように威力は出なかった。

 少女がなおも抵抗を続けていれば、「素晴らしい」と男が拍手を贈ってくる。


「健闘を称えよう、お嬢さん。その恵まれた体なら、きっと優れたカイメラに生まれ変われるぞ」


 愉快げに笑った男は、懐から一つの宝石──贋物を取り出す。

 取り落とした細剣を拾い、地に伏したヒルデのうなじから背中にかけて指を押し込みながら、男は静かに語った。


「なぁに、失敗してもこのカイメラに喰わせればいい。光神をも凌ぐ兵器の一部となって、存分に力を振るうがよい」

「このっ……」


 首筋に宛がわれた切っ先が、皮膚をうっすらと裂く。それにも構わずにヒルデは頭を上げ、何一つとして罪の意識を持たない男へ吐き捨てた。


「無辜の民を殺す化物になるくらいなら、私はここで死に果てることを選ぶ! 己の蛮行を恥じなさい、愚か者!」


 雨音を掻き消すほどの凛とした声を、男は煩わしげに聞き流す。ヒルデの頭を地に押さえつけ、皮膚を抉らんと切っ先を動かしたときだ。



「──凪に燃ゆる裁きの紅炎よ、哀れなる異形を焼き払え!」



 張り上げた声が駆け足で近付き、男の顎に誰かの靴先がぶち当たる。

 助走たっぷりの蹴りを受けて仰け反った男は、痛みに呻きながら倒れ込んだ。

 すぐそこで細剣が落ちる様を見たヒルデは、何が起きたのかと慌ただしく視線を持ち上げては、零れ落ちそうなほどに目を見開いてしまった。


「……リュリュ!」


 ずぶ濡れのまま息を荒げて立っていたのは、ずっと探し求めていた少年だった。

 ぜぇぜぇと肩を上下させているリュリュを見兼ねて、ヒルデはもつれる足で起き上がったが、そこではたと首をかしげる。今の今まで自分はカイメラに背を押さえ付けられていたはずなのに、何故こうして動けるのだろうかと。

 弾かれるように振り返ってみれば、燃え盛る炎が少女の顔を煌々と照らした。


「ひゃ!?」


 続けて鼓膜を揺らす爆音。

 冷たい雨など物ともしない凄まじい炎に焼かれたカイメラは、のたうち回ることも出来ずに泥濘へと倒れ伏す。三つの頭がバラバラの方向へ落ちたところで、もがき苦しんでいた怪物はようやく沈黙した。

 ヒルデは雨に打たれたまま、つい黒髪の少年にしがみついて呆けてしまう。


「……私、てっきり……あれにリュリュが食べられてしまったのかと、思って……」


 消え入りそうな独り言に、リュリュが一際大きく咳き込む。そして、その美しい碧海の瞳をヒルデへと向けては、窘めるような声音で告げた。


「っだから一人でこいつと戦ったの? いくらヒルデでも危ないよ」

「ええ……でも、だって、本当にそうだったら私」


 言っている最中にも目頭が熱くなり、雨とは違う雫がぼろぼろと溢れ出す。目の前で少年が固まっていることを知りながらも、嗚咽はもう止まらなかった。



「リュリュ、よかった……やっと会えた……」



 これではまるで幼子だと、気恥ずかしさはあれど抑えきれない。ヒルデはようやっと再会できた少年に抱き付いて、その頼りない肩に顔を埋めてしまう。

 しゃくりあげる少女に石のごとく硬直していたリュリュは、はっと我に返った様子で両手を泳がせる。長いこと悩んだ末にひとまず取った行動は、ヒルデの体を冷やさぬよう火の聖霊を近くに浮かべておくことだった。

 リュリュはしばらく慣れない手つきで少女の背中を撫で摩っていたが、不意にぐるりと立ち位置を入れ替える。どうしたのかと顔を上げてみれば、何とも不機嫌そうに細められた青い瞳が他所に向けられていた。


「何、おじさん」

「!!」


 リュリュの後ろには、今にも細剣を振り下ろそうとしている男がいた。ぎくりと頬を引き攣らせた男は、少年に蹴られた顎を押さえつつ開き直った様子で笑いを漏らす。


「は、はは……こんな逸材が二人もいるとは思わなんだ、お前たちは光神に弓引くつわものになるべくして生まれた存在に違いない! 大人しくしろ、今すぐ贋物を埋め」

「くらぁ!! この外道、お前は牢屋行きじゃ!」

「ぐえ!?」


 またもや助走たっぷりに男を殴り飛ばしたのは、楼門から駆け付けてきたセベだった。

 清々しい一発によって今度こそ白目を剥いて昏倒した男を見下ろし、彼はすぐさまヒルデたちに声を掛けてきた。


「お嬢、大丈夫か!? すまんのう、坊主が来んかったらどうなってたことか……」

「あっ……いいえ、セベ殿もご無事でよかった──」


「何だこれはぁ!?」


 そのとき、絶望に染まった悲鳴が上がる。

 実験場の入り口付近を振り返ってみると、見覚えのある人影があった。

 あれは──国王の側近アマデオだ。

 応接室で会ったときとは少々様子が異なるようだが、とヒルデが首をかしげたのも束の間のこと。アマデオは恐ろしい剣幕で怒鳴り始めた。


「嘘だ、何故こいつがこうも容易く……! 魔術師との実戦も交えたはずだろう、私に虚偽の記録を見せたのか!?」

「い、いいえ、間違いなく魔術への耐性も十分だったはずです」

「だったらこの惨状はどう説明する!」


 兵士に当たり散らすアマデオの姿を見て、ヒルデは言葉を失う。やがて彼が狂王派の人間だったと思い至ると同時に、傍らにいるセベを恐る恐る窺った。

 案の定、セベはわなわなと震えながら側近の青年を凝視していた。

 その怒りと困惑に満ちた視線に気づいたのか、兵士の胸倉を掴んでいたアマデオが忌々しいとばかりに唾を吐く。


「貴様さえ……貴様さえいなければ、陛下は道を踏み外さなかったんだ! 貴様が妙な設計図さえ持ってこなけれ」

「黙れこんちくしょうがぁ! なぁにをわしに八つ当たりしとんじゃ! 怒っていいのは騙されたわしじゃろうがぁ! そういや蒸気機関が不備を起こすんは決まってお前の管轄下じゃったなぁアマデオ!!」

「お、落ち着いてくださいセベ殿」


 セベの激高ぶりに、先に憤慨したはずのアマデオが真顔で黙り込んでしまった。しかしヒルデの制止も振り切って、セベはなおも言い募る。


「まさかカイメラなんぞに入れ込んどったとは……! いいかアマデオ、蒸気機関はわしらの暮らしを支えるがの、暴れるだけしか能のないカイメラは何の役にも立たんわ! 人と物を壊す化物が、新たな文明を生み出せると思うか!?」


 半壊し荒れ果てた実験場と、カイメラとの戦闘で負傷したヒルデを指し、若き発明家は苦悩を乗せた声で訴えかけた。

 彼はきっと、サルバドールと共に計画を進めていたアマデオのことを深く信頼していたのだろう。裏切られたことへの失望と怒りが、彼の泣き出しそうな横顔にまざまざと滲んでいた。


「陛下が欲したのは来るかも分からん奇跡じゃのうて、確実にわしらが前へ進める道じゃ! そこに神もカイメラも入る余地はないわ馬鹿者が!」

「言わせておけば……っ!」


 憎悪を剥き出しにしたアマデオが、いよいよナイフを手に駆け出す。

 セベの首を狙う動きに、ヒルデとリュリュが咄嗟に動こうとしたが──それよりも先に、アマデオの脇腹を鋭い巌の剣が貫いた。

 ナイフを取り落とした青年は理解が追い付かない顔でよろめいた後、駄目押しの一撃を右脚に食らい崩れ落ちる。

 地表から突出した巌の矛。土の聖霊によって象られたそれを見て、ヒルデたちが楼門を振り返れば、そこには見慣れた気怠い佇まいがあった。



「──フーモの街での仕返しがまだだったな、人買い野郎」



 怒りに打ち震えるアマデオを鼻で笑った金髪の魔術師は、贋物実験場の酷い有様を一瞥しては、さっさと踵を返したのだった。


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[良い点] セベのプライド!
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