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中央広場の細い街路に佇む宿屋。その一室を借りたグレンは、熟睡しているモニカを寝台に転がすと、すぐそばに自分も腰を下ろす。
一方、言われるがままに宿まで連れて来られたフォルクハルトは、怪訝な面持ちで扉前に立ち尽くしていた。剣の柄に手を掛け、警戒を絶やすことなくグレンを注視する。
妙な動きをすれば即座に首を斬り飛ばす、そんな意図が彼の一挙一動にありありと表れていた。
モニカにうつつを抜かしている間ならまだしも、今のフォルクハルトに誤って剣でも向けようものなら、あっさり叩き切られることだろう。
勿論、グレンはそのような馬鹿な真似はしない。射殺すような目をかわし、敵意がないことを示すべく短剣を小卓に置けば、ようやくフォルクハルトが口を切った。
「……一体何が目的だ? そもそも……貴殿は何故モニカ嬢と一緒にいる?」
「ああ、最初から気になって仕方なかったんだろ。あんたコイツに惚れてるみたいだしな」
「ほっ、惚れているわけでは」
この期に及んでまだ白を切る初心な青年に呆れを覚えつつ、それを一切悟らせない仕草でグレンは苦悩を露わにして見せた。
「俺はわけあってコイツの護衛をさせられてんだが、あんた代わってくんねぇかな?」
「護衛だと……?」
「詳しくは知らされてないんだがよ、何でも死んだ母親との約束を果たしたいんだと。泣かせるねぇ。そのためにこいつは、一緒に付いて来てくれる屈強で頼もしい男が必要だったらしくてな……」
ちらり、困惑顔の青年を見遣る。
騎士らしく短く切り整えたブロンドの髪、軽鎧に包まれてもなお分かる逞しい肩、主人から下賜されたであろう立派な剣。それらを順に見たグレンは、うんうんと鷹揚に頷いた。
「俺はあんたが適役だと思うんだよ。か弱いご令嬢の護衛なんてしがない傭兵にゃ荷が重いし、しかも魔術師は──外聞が悪いだろ? ん?」
先程のフォルクハルトの反応を指して言えば、少々気まずそうに視線が逸らされる。
──魔術。
それは三千年以上も昔、天地創造の時代に光の神々が遣わした聖霊を、人間が供物を捧げることで使役する術だ。
神々の眷属でもある聖霊の力を借りることから、かつては巫覡的存在として重宝された彼らだが、千年ほど前からそういった好意的な目は次第に減っていた。
魔術が例え善意によって操られ、人々の役に立っていたとしても、己の血液を供物にする時点で魔術師は不気味がられ遠ざけられる。利用する分には良いが、信頼関係とはまた別と言ったふうに。
最悪、人間として扱われない国も──それはさておき、グレンは話を本筋へと戻した。
「ただでさえ馬鹿な婚約者が、あろうことか妹に鞍替えしたんだ。あんたの大事な後輩の評判がこれ以上落ちるのは見過ごせないんじゃないか?」
「それは……確かにそうだが」
「だから俺みたいな浮草の魔術師じゃなくて、ちゃんとした護衛騎士を雇って然るべきだ」
「うむ……」
「それに、あんたの言うことならきっと素直に聞いてくれる! もしかしたら大人しく伯爵邸に帰って、きちんと復学して──新しい婚約を受け入れるかもしれない」
そう、たとえば学院の先輩であり帝国の騎士爵を賜った青年とか。
グレンが分かりやすく仄めかすと、少しの間を置いてフォルクハルトの顔が紅潮した。しかし我に返った様子で口元を覆い隠した青年は、誘惑から逃れるようにそっぽを向いてしまう。
「いや、駄目だ」
「何故? 言っておくが、俺は別にコイツを無理やり家に帰らせろって言ってるわけじゃあない。あんたが俺の代わりに護衛として付いて行って、母親との約束とやらを見届けてやってもいいんだ。そのほうが信頼度はぐっと高まるかもな」
我ながらよく回る口だと自画自賛しながら、グレンはにっこりと人当たりの良い笑顔を向けた。
フォルクハルトさえ先に承諾してくれれば、残るモニカの説得は容易いはずだ。贋物なんてものを使った不健全極まりない契約と言う名の脅迫を続けるよりも、信頼できる見知った貴族の青年と乳繰りながら旅したほうが圧倒的に良いぞと。
ついでに家族、とりわけ血の繋がった父親の心配もちらつかせれば完璧ではないだろうか。行ける。確実に行けるとグレンはさらに言葉を重ねた。
「ギレスベルガー。ここは男同士、ご令嬢の将来と安全を考えようじゃないか」
目一杯おだやかな声音で告げれば、フォルクハルトが感銘を受けた様子でこちらを振り向く。
グレンへの疑いを悔いるような光が瞳に宿り、居座っていた敵意がさざ波のように引いていく。
──落ちた。
内心で凶悪な笑い声をあげたグレンは、勿論その狂喜をおくびにも出さずに立ち上がる。寝台を揺らさぬよう静かに。
「じゃ、コイツが起きたら先に話してやってくれよ。それまで存分に寝顔でも堪能……」
「グレン殿」
「え」
がっしと手首を掴まれ、部屋を出ようとしていたグレンは不自然な笑顔で固まった。
見れば、フォルクハルトが何かを噛み締めるように瞑目している。
引き攣った笑みで反応を窺っていると、やがて青年はずいと身を乗り出したのだった。
「ここまで私の側についてくれた男は初めてだ。学院の級友にはモニカ嬢など止めておけとしか言われなくて……」
「そりゃあな……じゃなくて、そりゃ大変だったな」
「だが貴殿は分かる男らしい。モニカ嬢は確かに令嬢らしからぬ面が目立つかもしれないが、とても愛らしくて思いやり溢れる素敵な女性なのだ。初めて顔と名前を知ったのは帝国で開かれた舞踏会だったんだが」
「ひっ、待て、俺は野郎同士で恋愛の話なんかしたくな、黙れ! おい!」