6-8
──ヒルデさん、二手に別れましょう。アマデオ様はあまり信用できません。
応接室でモニカから耳打ちされた内容を思い返しながら、ヒルデは難しげに唸った。
セベの話では、アマデオは国王の側近で、蒸気機関についても肯定的な貴族の一人ということだったはずだが。モニカは一体何を懸念してあのようなことを……?
しかしそれを素直にセベに尋ねてみたところで、納得の行く解は得られそうにない。彼はサルバドールとその側近を深く信頼しているようだし、おいそれと疑っては気分を害してしまうだろう。
「お嬢、着いたぞ!」
「あっ、はい……」
うんうんと一人で悩んでいるうちに、目的の贋物実験場に到着したようだ。セベが一足先に中へ踏み込む傍ら、ヒルデは王宮の西側に立てられた大きな建物を仰ぎ見た。
王族が暮らす華やかな住居とは異なり、そこは堅牢な要塞を彷彿とさせる造りだった。先代の狂王が周囲の反対を押し切って建設してしまったという巨大な施設は、長らく使用していなかった後宮を跡形もなく破壊したという強引な経緯もあるとか。
段々と強まってきた雨脚も相俟って、実験場が纏う空気はより一層じめじめとしたものになっている。ヒルデは少しばかり怯みながらも、セベの後を追いかけた。
「セベ殿、中には入れそうですか……わっ」
楼門を覗き込むセベに声をかけると、急に彼が慌ただしい動きでヒルデの肩を掴んだ。そのまま門の陰に押し込まれ、よく分からないまま身を縮める。
「どうされたのです?」
「ちと様子が変じゃ……ここはいっつも空気が悪いがのう、今日は頭痛までしてくるわい」
露骨に嫌そうな顔で語りながら、セベはぼさぼさの後ろ頭を掻く。彼の言葉に同意を示しながら、ヒルデもゆっくりと楼門の奥──開け放たれた大扉の様子を窺った。
警備が二人と、巡回をしている兵士が見える限りで三人。目を凝らしてみれば、射眼の隙間からは忙しなく廊下を走り回る人影がいくつも確認できる。
「何じゃ何じゃあ? 人が多すぎる、もしかしてチンピラがもう実験体に……」
「えっ」
「よし、お嬢。わしが先に見て来るわい、まあいきなり殺されたりはせんじゃろ!」
「セ、セベ殿……!」
その発言は危険な香りがする、とヒルデが引き留めても時既に遅し。
すたこらと警備兵に駆け寄っていくセベは、物怖じしない様子で彼らに声をかけた。
「おーい、お前さんたち! 金髪のチンピラがここに来んかったか? もし来てたら返して欲しいんじゃ、あんなナリでもお偉いさんの護衛らしくてのう」
やはりセベの顔と名前は知っていたのか、警備兵はお互いにちらりと目配せをする。そして携えた槍をやおら持ち替え、セベを追い払うかと思いきや──。
「──ッ!!」
勢いよく振り下ろされた二本の槍は、瞬時に割り込んだヒルデの剣によって受け止められた。
甲高い剣戟の音が止まぬうちに、ヒルデは予期せぬ伏兵に動揺した警備兵をまとめて薙ぎ払い、立て続けに二人の槍を叩き落とす。そうして時が止まったかのようなセベを後ろに庇いつつ、素早く楼門の方へと後退した。
「セベ殿! 大丈夫ですかっ?」
「へ……うおああ!? 凄いなお嬢!? 何じゃ今の動き!?」
元気なセベを確認したヒルデはひとまず短く息を吐き、何の躊躇いもなく襲い掛かってきた警備兵を鋭く見据える。
国王側の人間と贋物実験場の仲が悪いことは承知済みだが、それにしても今の行動は過激すぎた。過去に何度かここを訪れたことがあるセベも、出会い頭に命を狙われた経験はなかったのだろう。心底驚いた様子で「死ぬかと思うた」と呟く。
「お前さんたち、ここは王宮の敷地内じゃぞ。無益な人殺しはご法度じゃろうが!」
「く……黙れ変人め、今日でサルバドール王の生ぬるい治世も、貴様の蒸気機関とやらも終わりだ!」
「おん!? 何じゃと──」
警備兵は槍を拾うなり実験場へと姿を消してしまう。捨て台詞にしては随分と不穏な内容に、ヒルデとセベは顔を見合わせた。
「セベ殿、ここにはもしかしてカイメラも……?」
「いや、カイメラの管理は僻地でやるように陛下が命じたはずじゃが……素直にそれを守っとるとも思えんな……ううむ、お嬢、一旦あの別嬪さんところに戻るぞ、陛下のことも心配じゃ!」
セベが王宮の方へ走り出す一方で、彼に倣おうとしたヒルデは後ろ髪を引かれる思いで実験場を振り返る。
(ここにリュリュがいるかもしれないのに……)
西大陸からの航路ではぐれて、やっとの思いでここまで漕ぎつけたというのに。曇天を背に聳え立つ要塞を未練がましく仰視したヒルデは、いやと首を振る。
実験場内部に何があるか分からない以上、不用意に踏み込むべきではない。ここはセベの判断が正しいと己に言い聞かせ、震える手で剣を握り締めた。
「おーい、お嬢! はよ……お嬢!!」
「え?」
セベの呼び声が唐突に引き攣ったかと思えば、踏み出したはずの足が宙へ浮く。
続けて視界が大きく揺れたなら、咄嗟にその場へ屈む。ヒルデは激しく揺れる地表と轟音に身を固くしながら、はっと後ろを振り向いた。
「な……」
実験場の壁を突き破って現れたのは、まさしく異形の化物であった。
三つに分かれた蛇頭、それらを束ねる胴は同じ生物にあらず、太く強靭な前脚と爪が要塞を踏み崩す。
“目覚めの森”やベラスケスの国境で見たカイメラとは、姿の異様さも大きさも違っていた。要塞と同程度の規模を誇る巨躯を、ヒルデは呆気に取られて見上げていたが、ふとある物に気付いては口を覆う。
「人……?」
カイメラの肉体に埋まった、いや、突き立てられたかのような人間の手足。それらにヒルデの目が釘付けになったとき、セベの必死な声が少女の意識を引き戻した。
「お嬢! こいつは不味い、離れるんじゃ!!」
刹那、カイメラの特徴でもある禍々しい六つの赤眼がヒルデを捉える。うち一頭がちろりと舌を覗かせたかと思えば、巨体に見合わぬ素早い動きでその首を突き出した。迫る牙と真っ黒な空洞を前に、ヒルデは果敢にも剣を構え──。
「くっ……!」
細い刃で牙を受け流し、紙一重に捕食を躱した。凄まじい風圧と、逃がし切れなかった力がヒルデの手足を痺れさせる。体勢を立て直すべく後退する最中、外套が食い破られたことに気付いては、すぐにそれを脱ぎ捨てた。
「お嬢! 大丈夫かぁ!?」
「下がっていてくださいセベ殿!」
裏返ったセベの声に応じつつ、緊張に震えた息を吐き出す。
いくら剣術に自信があると言っても、これほど大きな化物相手に人間が出来ることなど高が知れていた。それこそ魔術がなければ打つ手がなく、どう対処すべきかとヒルデが険しい顔で後ずさると。
「ほう、こいつの攻撃を躱すとは! 稀有な小娘がいたものだな」
カイメラの足元から、初老の男が悠々と歩み出てきた。小綺麗な身なりを見るに、恐らく実験場を取り仕切る貴族だろう。
男はカイメラの体から飛び出た人間の手足を掴むと、愉悦の笑みを浮かべて語る。
「彼らは悲鳴を上げ、最後には命乞いまでしたと言うのに……」
「……! まさか……魔術師を喰わせたのですか!? 何てことを……!」
この施設は魔術師に贋物を作らせるためのものであって、怪物の餌にするためではなかったはず。人を人とも思わぬ所業にヒルデが批難の声を浴びせても、男は思案げに顎を摩るのみだった。
「ふむ、いや、少し違う。魔術師は多かれ少なかれ聖霊と関わりを持つ人間、なればこそ……カイメラに新たな贋物を与える際の、よい接着剤になるのだよ。いやぁ……言葉もいくらか通じるし、よく育ったと思わんか、うん?」
「……」
「本当は人間のカイメラが創りたかったんだがなぁ……やはりあれは一度きりの成功と諦めるほかないか」
つまり彼らは人間に贋物を埋め込み、それをこのカイメラに喰わせたということか。結果、カイメラの増強が思いのほか上手く行ったものだから、延々とこの怪物に魔術師を──。
そこまで考えたとき、ヒルデの背筋がサッと冷える。
剣を握る手から体温が奪われ、雨の冷たさと痛みだけが手のひらを支配する。動揺を色濃く宿した瞳で、カイメラに喰われた人々の手足を探っていく。
「リュリュは……? リュリュはどこです!」
「んん? 誰だそれは。ここに送られた魔術師なら──一人残らず喰わせたぞ」
ヒルデの顔から血の気が引く。
だがすぐさま鮮明な怒りが少女の眼を塗り替え、不安に揺れていた切っ先がしかと男に向けられた。
「貴様……っ」
「おやおや、何を怒る? これは光の神々、ひいては天空神の支配から逃れるための第一歩だ。我々は、偽りの神にすがる愚か者どもの目を覚まさせてやろうと言うに……ん?」
しかしそこで男は雄弁な語りを中断し、ヒルデの姿を今一度じっくりと眺めた。手にした剣と、その珍しい薄紅の髪に目を留めた男は、そこで表情を一変させる。
狂喜と呼ぶに相応しい笑みを浮かべ、男はヒルデを指差した。
「ローデヴェイクの末裔か! これは良い! お前なら素晴らしいカイメラになるぞ!」
「え」
ぞわりと全身に悪寒が走ったのも束の間、ヒルデの頭上には既に大きな影が迫っていた。
直後、三叉の蛇が一挙に少女へと襲い掛かり、凄まじい砂塵が吹き荒れたのだった。




