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側近の豹変した態度を見たサルバドールは、いたく衝撃を受けた様子で固まっていた。
ベラスケスに立ち込める暗雲を晴らすべく、蒸気機関という新たな技術を手に苦楽を共にしてきた青年が──よもや反光神主義の者たちが仕込んだ密偵だったなど。
処理しきれない混乱と悲しみが限界に達したのだろう、サルバドールはいよいよ頭を抱えて叫ぶ。
「お前っ……もしかして物凄く身軽なことをずっと隠していたのか!? この裏切り者ぉ!!」
「どこでキレてんだあの国王」
剣術が苦手な国王にとっては、見るからに文官っぽいアマデオがばりばりに戦えることの方がよっぽどショックだったらしい。サルバドールが「くそぉ」と悔しそうに地を叩く傍ら、情けない元主君を一瞥したアマデオは鼻を鳴らした。
「あなたには失望いたしましたよ、陛下。お父上と同じ、いやそれ以上の立派な王になられると期待していたのに……蒸気機関なんてものに関心を寄せるとは」
懐からもう一本のナイフを引き抜きながら、青年は憎しみに満ちた瞳を国王へと向ける。
「違うだろう、あんたがやるべきことは神から逃げることじゃない、神の打倒だ! 我らを見下して止まない他国の虫けらどもを、無様に這いつくばらせて屈服させることだろうが!!」
「アマデオ……」
「所詮あんたは神に媚びへつらう出来損ないなんだ……レアードの王家崩れにもあっさり迎合しやがって!」
アマデオがモニカを指差して声を荒げれば、サルバドールはぎくりと肩を強張らせた。
「あ、いや、違うアマデオ、彼女にはとんでもない借りがあったというだけで国のことは全く無関係……」
「うるさい! あんたはもう用済みだ、神への復讐を放棄するなら玉座を明け渡してもらうぞ!!」
取り付く島もないとはこのことか、狂える青年は国王めがけてナイフを投擲する。リュリュの召喚した土の聖霊が即座にそれを叩き落したものの、その隙にアマデオは中庭の出入口へと走り去ってしまう。
最中、彼は愉快げな笑みで振り返り、リュリュにこう言い捨てたのだった。
「異国の少年、お前も光神の檻から出してやろう! あの小娘と一緒にな!」
「……?」
怪訝そうに眉をひそめていた少年は、しかしてすぐに目を見開く。
サルバドールを守らせていた聖霊を消失させ、何やら慌てた様子でグレンの方へ駆け寄ってくる。
「ヒルデはっ? どこにいるの」
「あ? そういやいねぇな」
薄紅の髪の少女がどこにもいないことに気付き、グレンが周囲を見渡していると、急にぐいと腕を掴まれた。
彼の腕を支えにして体を起こしたのは、他でもないモニカだ。彼女は今にも意識を手放しそうな顔つきだったが、存外はっきりとした声でリュリュに語り掛けた。
「ヒルデさんは先に実験場へ向かいました。あなたに会わせようと思ったのですが……行き違ったようです、ごめんなさい」
「……!」
「おわっ!?」
モニカの言葉を聞き終わるや否や、それまでののんびりとした動きが嘘のように少年が走り出す。グレンがあんぐりと口を開けている間に、そのまま中庭を飛び出していった。
あんなに全力で走れたのかと渋い顔をしていれば、今度はサルバドールがこちらへやって来た。
「そこの魔術師殿! モニカの容態はっ? すぐに治療を」
「今やってる、国王サマは邪魔だからさっさと逃げな」
「おい貴様、陛下に何と言う口を……」
彼らが神だ何だと騒いでいる最中にも、グレンは水の聖霊を呼んで治癒を進めていた。すでにモニカの左足にある裂傷は塞ぎつつあるが、解毒に関してはもうしばらく時間が掛かるだろう。
狂王派から狙われているサルバドールが近くにいては治療に専念できない、と言外に伝えてしまえば、赤銅色の瞳が苦々しく逸らされた。そしていきり立つ近衛騎士を制止し、「わかった」と頷く。
「後ほど医師を向かわせよう。それまではどうか彼女を頼む。──行くぞ、実験場を押さえる」
「はっ」
国王らが足早に立ち去っていく音を聞きながら、グレンは患部にかざした右手を注視する。
淡い青色の光がふわふわと漂う様を無心に見詰めていれば、不意にモニカが身動ぎをした。すかさず左足を押さえ込んだグレンが、煩わしげに瞼を持ち上げたときだった。
「こら動くな箱お……」
そっ、と首筋の辺りにハンカチが添えられる。
半開きの瞳はグレンの顔よりも少し下、血に染まった右肩に注がれていた。その傷口を探るような、血の跡を拭うような控えめな手つきに、彼は暫し固まってからかぶりを振る。
「さっき自分で塞いだ。要らん気を回すな」
“弑神の霊木”から十分に遠ざかったところで、応急処置は既に済ませてあった。そうでなければ先程、三人もの刺客を相手に出来なかっただろうに。
グレンが細い手を掴んで下ろさせれば、如何せんぼうっとした薔薇色の双眸が瞬く。普段からこれぐらい大人しかったらどれだけ楽かと思う反面、あまりにも反応が薄いと妙に不安になる辺り、完全に毒されているとしか言いようがない。
一人で大きな溜息をついたグレンは、落ちたハンカチを拾っては鞄に突っ込んだ。
そのとき。
「……ん?」
入れ違いに、鞄の奥から何かが転がり落ちる。
それは美しいガラス細工の栓が特徴的な、洒落た小瓶だった。レアード王国やカレンベル帝国で普及している魔術の掛けられた道具で、密閉に近い状態を維持できるとして薬草の保管に役立つと評判だが、問題はそこではない。
グレンの目を釘付けにしていたのは、中に入っているオレンジ色の花だ。
「何でラトリアが…………あ……?」
乾燥し、色褪せた花びらを凝視しているうちに、ハッと記憶が蘇る。
──まさかこれは、大都市ラトレで自分が踏み潰した花ではなかろうかと。
成人祝いだと呑気に喜ぶモニカに、誰が祝ってやるかと言って、思い切り。あの後モニカが花をどうしたのか、さっさと背を向けたグレンは見ていない。
揃わない花びらの数や、うっすらと残る土汚れを確かめてしまったところで、更なる困惑を覚えて目を逸らした。
貴族の娘が、踏まれて汚れた花など持ち歩くはずがない。
他でもないこの女が、まるで無垢な小娘のような真似などするはずがない。
第一その花には、誰の祝福も込められていないというのに。
(……俺は何も見ていない。見なかったことにする)
恐々とモニカを窺ってみると、幸い彼女の瞼は閉じられたまま。小瓶を気付かれぬように鞄の中へ戻し、今度こそ何も落ちてこないようキツめに蓋をする。
そして早く治癒が終われと強く願いつつ、他人の気も知らずに眠ってしまったモニカの背を無造作に抱き寄せたのだった。




