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滲むように消えた笑み。
その頬が青褪めていることに気付いたのは、銀色の頭がぐらりと傾いたときだった。
咄嗟に伸ばした腕で抱き止めれば、服越しでも分かるほどの熱が伝わる。呼吸も心なしか浅く、細い指先は小刻みに震えていた。
少しの間グレンが怪訝な面持ちで固まっていると、尻餅をついたまま呆けていた国王がハッと身を乗り出した。
「あっ……先ほど私を庇って毒矢を受けたんだ、すぐに解毒しなければ大変なことになる!」
「はあ!? 毒!?」
思わず大声を上げてしまえば、腕の中でモニカが煩わしげに呻いた。
リュリュと共に陰気臭い牢屋から脱獄し、いやに静かな建物の中を走り続けること暫し。ようやく外に出たと思えば、何故かモニカとこの男が殺されそうになっている場面に遭遇して。成り行きで刺客を蹴散らしてみたが一段落とはあいならず、今度はまさかの毒矢と来た。
──今日はきっと厄日だ。
いやモニカと出会ってから毎日そんなものだろうと即座に思い直したグレンは、嘆くのも苛立つのも後回しにして溜息を飲み込んだ。
「おい、聞こえるか。勝手にくたばるんじゃねぇぞ」
据わらない首を肩に寄り掛からせ、焦点の定まらない瞳ごと頬を掬い上げる。グレンの顰め面を視界に映した彼女は、心得ているとばかりに仄かな微笑を湛えた。
「陛下、サルバドール陛下! ご無事でしたか!」
そのとき、不意に騒々しい足音が迫る。見れば貴族らしき青年と、軽鎧に身を包んだ数名の騎士がこちらへやって来ていた。
グレンは逡巡の末にモニカを横抱きにすると、彼らの進路から退く。素知らぬ顔で壁際に彼女を降ろし、追及を拒むように背を向けた。
「アマデオ、状況はどうなっている? 贋物実験場は?」
「予想を超える暴動が起きております。陛下が約束を破り、一方的に実験場を押さえようとしていると言って聞きません……」
「や、やはり……にしても準備が良すぎないかっ? 射手まで配置されていたぞ」
彼らの会話に聞き耳を立てながら、グレンは密かに溜息をつく。
結局、フーモの街でセベが言っていた通りの展開になったわけだ。いよいよ蒸気機関の実用化が目前に迫り、切羽詰まった反光神主義者たちがサルバドールの命を狙い──何故だかモニカがそこに首を突っ込んでしまった。
こんな傷を負ってまで他国のいざこざに関わるなど、彼女らしからぬ行動に思える。
いや、そもそも。
「お前何でここにいんだ?」
モニカの左足からブーツを引っこ抜き、グレンは素朴な疑問を口にした。
彼の小さな呟きが聞こえたのか、薔薇色の瞳がふと開かれる。じっとこちらを見上げる眼差しが、先程とは一転してどこか恨みがましいのは気のせいだろうか。珍しく喧嘩腰な彼女を睨み返し、グレンはぶっきらぼうな口調で答えを促した。
「何だよ」
「……はあ……言ったではありませんか……身柄の返還を、求めると」
心底呆れたように言われてしまえば、さすがに返す言葉がない。
グレンが真一文字に口を結んだなら、二人の間には奇妙な沈黙が落ちた。
やがてグレンは真正面から注がれる何とも言えない視線を受け流し、モニカの左足首を自身の腿に乗せる。黒いストッキングを躊躇なく破っては傷口を確かめ、また瞼を閉じようとしたモニカの腕を掴み寄せた。
「毒の浄化は時間がかかる。しばらく熱で魘されることは覚悟しとけ」
「まぁ……そんなこともできるのですか」
覇気のない感嘆をちらりと窺うと、モニカが瞑目したまま小さく頷く。
魔術での解毒はかなりの荒療治に類されるため、出来ることなら医師に診せるべきだ。だが今は国王の暗殺騒動の真っ只中、落ち着いて治療できる状況ではない。モニカもそれを承知しているからこそあっさり受け入れたのだと解釈しつつ、グレンが指輪を回したときのことだ。
「ああ、追いついた。疲れた……」
「生きてたか」
どて、と彼の傍にうずくまったのは、黒髪の少年リュリュだった。案の定体力がなかった少年は途中で休憩を挟みつつ、何とかグレンの後を追いかけて来たらしい。
石畳に寝転がってしまった少年は、そこで自分よりもぐったりとしたモニカに気付いて頭を起こす。
「その人、大丈夫?」
「微妙だ。今から治療する」
「そう、なら──あれ」
何かを言いかけたリュリュだったが、ふと視線を他所に移しては首をかしげた。碧海の瞳がまっすぐに捉えたのは、神妙な面持ちで騎士らと言葉を交わすサルバドール王──ではなく。
「カシャーリ卿、また会ったね」
国王の傍に控える、アマデオだった。
リュリュから唐突に声をかけられた青年は、進言の途中で「え?」とこちらを振り返る。勿論、サルバドールたちも不思議そうな顔で会話を中断した。
皆の視線を一身に浴びたリュリュは、全く動じることなく寝そべったまま口を開く。
「──その人、僕を高値で買ったりグレンを拉致したりしてたけど、もしかして偉い人?」
一瞬の沈黙の後、場が騒然となる。
これにはグレンも顔を引き攣らせ、硬直しっぱなしのアマデオを鋭く見遣った。
確かに言われてみれば、フーモの街で斬り合った人物と背格好が似ている。あのとき、馬車を護衛していた男らが妙に過剰な反応を示したのも、彼が高位の貴族だったからなのだろう。
アマデオが如何にもサルバドール側の人間であるかのような顔でそこに立っているものだから、全く気が付かなかったが──間違いない。
「ど……どういうことだアマデオ!? お前が魔術師を買っただと!?」
「ええ!? な、なにかの間違いではありませんかっ? 私はつい先日まで辺境伯領におりましたし」
素直な性分のサルバドールが大きく仰け反って後ずされば、すかさず近衛騎士がアマデオに剣を向けた。彼らの表情は一様にして困惑しており、それを見たアマデオも焦りを浮かべて弁解を口にする。
突如として疑惑の目を向けられてしまった青年は、少々苦い面持ちでリュリュを一瞥するも、当人は全くの知らん顔である。
「っ……陛下、私の身柄は拘束して構いません。どうか後ほど辺境伯にご確認を」
「その辺境伯も洗った方が良いよ。僕が乗った馬車をさっさと通過させたんだし、向こうも仲間じゃないかな」
しかしアマデオが何かを言おうものなら、有無を言わさぬ声音で嘘を押さえ付けた。
緊迫した沈黙の中で、リュリュは億劫な仕草で起き上がると、長い髪の毛をぷちりと千切りながら国王の前へと歩み出る。わなわなと震えているアマデオをゆるく仰いでは、ほんの少しだけ口角を上げて。
「そもそもカシャーリ卿の名前を、何で僕が知ってるか分からない? 馬車の外の会話、全部聞いてたからだよ」
「は……?」
「例えば──今日が決行日だった国王の暗殺とか」
その瞬間、アマデオの表情が消え失せた。
舌打ちが聞こえた頃には既に、青年の隠し持っていたナイフが振り上げられる。
見開いた目と迷いのない手が少年を捉えようとしたなら、同時に発動した黄金の光が全員の視界を塗り潰す。
「──全てを還す宥恕の巌よ、愚者の刃に戒めの軛を」
聞き慣れぬ呪文が木霊し、少年の足下から嶮山が突出した。矛のように尖った先端はアマデオの右手に直撃し、彼の持つナイフを強く弾き飛ばす。そればかりか宙には次々と岩石が生み出され、後背にいるサルバドールの身を守らんと障壁を象った。
その後、涼しい顔で髪の毛を聖霊に喰わせたリュリュを、国王と騎士らは唖然と見詰める。一方のアマデオは不利を悟ってか、すぐさま身軽な動きで後退した。
「……自分で牢を脱出してくるとは予想外でしたね、少年。随分と大人しかったから油断してしまいました」
そうして決定的な発言を口にしては、不敵に嗤ったのだった。




