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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
6.ジェセニア王宮事変

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6-5

 サルバドールを思いきり突き飛ばしたモニカは、勢いのままに柱の陰へと倒れ込む。

 直後に柱廊の床を抉った一本の矢は、雨風に押されて庭へと転がっていく。モニカは肩を上下させながら、矢羽根の回転を見送った。


 念のためと思って国王の元へ来てみたが、やはり彼らが──狂王派の者たちが仕掛けてきたようだ。


 少しばかり眉を顰めたモニカは、湿気で張り付いた髪を肌から退ける。


「気の早い方々ですね……」


 モニカは聖遺物を有するレアード王国から来た客人だ。彼女の要請を二つ返事で受け入れたとなれば、反光神主義を掲げる貴族が反発するのは容易に推測できる。彼らはきっと、この要請が贋物実験場の永久凍結に繋がると捉えたのだろう。

 短気かつ短絡的にも程があるが、政変時に国中の教会を潰して回った連中に「落ち着いてくれ」など焼け石に水。否、寧ろクーデターを起こす口実が出来て万々歳といったところか。

 国王が我々との約束を反故にし、実験場を強制的に壊す動きに出た──と。


「ったた……も、モニカ、今のは」

「陛下、すぐに城内へ。私は武人ではありませんゆえ、次は恐らく庇い切れません」


 ともかくサルバドールを見殺しにすることは出来ない。近くにいるはずの近衛隊を使って、彼を安全な場所に避難させなければ。


「待て、足を掠めたのではないか!? 傷は」


 すぐに動こうとしたモニカだったが、とっさに手を掴まれて膝をつく。

 同時に体から力が抜け、彼女はわけも分からぬままサルバドールの胸板に額をぶつけてしまった。


「……?」

「モニカ! しまった、毒矢か……!」


 ──毒?

 自分の状況がいまいち理解できていなかったモニカは、彼の言葉でようやく左足の痛みに気が付く。痺れた左足を見遣れば、確かにふくらはぎから血が流れていた。


「あらまぁ大変」

「あらまぁじゃない、意識はしっかりしてるかっ? しばらく我慢してくれ」


 呑気な反応を示したモニカの背中を摩り、サルバドールが舌打ちまじりに柱廊の外を窺う。

 二人の傍を再び毒矢が掠めたところで、彼はモニカを抱えて屋内へ続く扉に転がり込んだ。


「陛下! いかがされましたか」

「近衛隊! 敵襲だ、周囲を固めろ!」


 国王の指示を受け、二人の近衛兵がこちらへ駆け寄ってくる。騎士が守りを固めればひとまず安心──と思ったのも束の間、モニカは眉をひそめた。


 ──なぜ呼子笛を使わない?


 城内での予期せぬ敵襲が生じた場合、近衛や侍従がすぐさま危険を周知させるはず。そのために小さな笛を所持していることが多いのだが、近衛隊がそれを使う兆しはない。

 嫌な予感がしたモニカは、足の痺れを押して国王の腕を引いた。


「陛下、彼らは本当に近衛隊の者ですか?」

「え?」


 ぎょっとした様子で目を剥いたサルバドールが、後ずさりつつ近衛隊の顔を確認し、だんだんと青褪めていく。


「……そ、そう言われると見ない顔だ、なあ!?」


 刹那、走りながら抜剣した謎の騎士が、サルバドール目掛けて刃を振り下ろす。それをすんでのところで避けた彼は、モニカの肩を掴むと即座に踵を返して走り出したが。


「あらいけません陛下、柱廊へ出ると射手に狙われますよ」

「ハッ」


 二人は爪先を急転換し、柱廊の手前にある別の通路へ駆け込む。無論、三人の刺客もすぐに後を追って来た。

 彼らを一瞥したサルバドールは胃痛でも引き起こしたのか、腹部を押さえつつ今の状況を嘆く。


「あああ何てことだ! 本物の近衛隊はどこへ!?」

「恐らく陛下が実験場へ遣わした者たち以外は偽物かと……」

「最悪だな! なら実験場へ急ごう、いやそれより足は!?」


 落ち着きのない国王をちらりと横目に見たモニカは、負傷した左足を見遣った。

 今のところ微弱な痺れを感じる程度だが、間もなく毒が回って動けなくなるだろう。そうなる前にサルバドールを安全な場所まで連れて行きたいが、果たしてどこまで持つのやら。

 他人事のように自分の状態を分析し終えると、モニカは柔和な笑みで尋ねてみた。


「私はまだ動けます。ところで神前決闘で勝利した経験がおありの陛下、彼らを斬り伏せられるほどの実力は?」

「ないに決まってるだろ! 父上との決闘なんて散々逃げまくってから捨て身で振った剣が当たっただけだぞ!?」

「よく分かりました、ありがとうございます」


 一種の安心すら覚える回答に礼を述べれば、霧のような細かい雨がモニカの頬を湿らせる。話しているうちに中庭に出てしまったようだ。素早く周囲を見渡してみれば、こちらを狙いやすそうな高所がいくつも確認できる。

 すぐに走り抜けなければ危険だと、モニカが国王に身を屈めるよう注意を促そうとしたときだった。


「あっ」


 しっかりと着地したはずの左足が傾き、固い石畳に両手を突く。ぐしゃりとモニカが転んでしまえば、隣から忽然と消えた銀髪を探してサルバドールが振り返った。


「モニカ! 手を回せ、私が抱えるから」

「いえ……陛下、私のことは構わず先に逃げてください。戦えない陛下が私を抱えたらより一層仕留めやすくなるだけですし」

「くっ」


 今にもモニカを抱えようとしていたサルバドールは胸に深く突き刺さった正論に呻いたが、情けない表情を押し殺しては真っ直ぐにモニカを見詰めた。

 髪と同じ赤銅色の瞳は緊迫した状況下であっても、否、平時よりも幾らか凛々しい輝きを宿していた。


「私は幼き頃、君と伯爵に救われたんだ。見捨てることなど出来ないよ」

「救う……?」

「それに私が君のドレスを汚したばかりか敵前逃亡さえ辞さない男という印象のままだと大変困る!!」


 その通りだが──モニカの素直な首肯にまたもや深刻なダメージを負いながらも、サルバドールは腰にある護身用の剣を抜いて立ち上がる。


「陛下、無茶です! 早くお逃げください!!」

「サルバドール王、覚悟!」


 モニカが尖り声で制止を叫ぶのと、追手が姿を現すのは同時だった。

 若干へっぴり腰で剣を構えた国王は、後ろにモニカがいることを何度も己に言い聞かせるような素振りで息を吐く。



 ──そうして彼らの得物がついにぶつかろうとした瞬間、ドクリと大きな鼓動がモニカの手に伝わった。



 フーモの街で感じたものとはまた違う、まるで己の存在を主張するかのような。

 心臓の持ち主へ危機が迫っているのかとも考えたが、モニカはすぐさま否定して体を起こした。



「グレン!! か弱い雇い主が死んでしまいますよ!!」



 “隷属の箱”を取り出し、思いきり声を張り上げる。

 なりふり構わずサルバドールの前に踊り出たモニカを、刺客が煩わしげに斬り伏せようとしたなら、彼らの手にある剣が凄まじい風によって弾き飛ばされた。

 形なき刃と化した鎌風は中庭の芝生を刈り、石造りの壁までをも十字に切り刻む。とんでもない威力で放たれた風の魔術に、刺客は呆気に取られて固まっていた。


「な、何が……」

「おい後ろだ!」


 鈍い殴打の音と共に、刺客の一人が崩れ落ちる。


 倒れゆく人影から現れたのは、モニカにとっては見慣れた金髪だった。


 短剣を握り直すついでに寄越された緑玉の瞳は、彼女の負傷した左足を見ては忌々しげに細められる。しかし彼は無言で視線を外すと、襲い来る刃を紙一重に避けて反撃に出た。

 かち合った刃を滑らせ、体勢を崩した相手の腹部に膝を埋める。間髪入れずにその後頭部を掴んで壁へ叩きつければ、背後からの攻撃を読んでいたかのように避けてみせた。味方を斬ってしまった刺客が動揺する隙を突いて、グレンは残る一人の足を蹴り払う。

 仰向けに倒れた男の脇腹を深く斬り裂いたグレンは、三人の呻き声を背に短剣を鞘に納めた。

 流れるような技にサルバドールが呆ける手前、一連の働きを眺めていたモニカはにこりと笑顔を浮かべたが。


「まあ凄い、さすがですねグレン──」


 大股に近付いてきたグレンは次第に眉間の皺を深くしていくと、モニカの頭を片手で鷲掴んだ。


「てめぇは何勝手に死に急いでんだ……? か弱い雇い主は丸腰で敵前に飛び出したりしねぇんだよ、分かるか?」

「ああ、ごめんなさいねグレン。もう私一人の体ではないのですから無茶はいけませんね」

「誤解を招く言い方やめろブッ殺すぞ!!」


 見事に誤解した国王が後ろで「え!?」と声を上げているとは露知らず、モニカは愉快なチンピラが怒っている様をにこにこと眺める。

 しかしそれも長くはもたなかった。つと一筋の汗がこめかみを伝い落ち、グレンの言葉が正しく聞き取れなくなる。

 気付けば左足の感覚は、殆ど失せていた。


「あ……? お前ちゃんと聞いてんのか──おい!?」



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