6-2
かん、かん、かん、と一定の間隔で響く音。
死を目前にした魔術師が奇行を取るのは珍しいことでもなかったが、今回は妙に長いうえに耳に障る。看守は書類仕事に没頭することで辛うじて苛々を押し留めていたが、ついに我慢の限界に達しては立ち上がった。
牢獄へ続く扉の錠前を外し、重い扉を押し開ける。すぐそばに立てかけられた松明を手に取ると、薄闇を照らしながら奥へと進んだ。
「おい、大人しくしないと今すぐ実験場に送るぞ」
「看守さん」
声の方向に松明をかざす。そこには新顔の──恐らく連れて来られた中で最も若いであろう魔術師の少年がいた。
怪訝な面持ちで近寄ってみれば、少年が自らの手枷を鉄格子にぶつけていたことを知る。何の用だと言外に尋ねると、少年の青い瞳が向かいの牢へ向けられた。
「そこの人、怪我でもう動けないみたいだよ」
「何?」
見れば、右肩を血に染めた男が牢の中で蹲っている。ここに運ばれた時点で結構な重傷だったが、やはり長く持たなかったのだろう。看守は舌打ちまじりに溜息をつくと、腰にある鍵束に手を伸ばした。
聖霊の供物に死体は相応しくない。息絶える前に生贄としての役目を全うしてもらわねば、管理の不行届きで看守が罰せられるのだ。億劫な気分で牢を開けた看守は、金髪の青年を牢獄の外へ引き摺り出した。
「死体処理など御免だ、ちゃんと聖霊に喰ってもらえ──うぉ!?」
その瞬間、視界がぐるりと一転する。
冑で守られた頭部が勢いよく床へと打ち付けられ、捻られた腕が悲鳴を上げた。
「だ、誰かっ」
背後から素早く回された青年の腕が、喉を強く圧迫する。息苦しさを感じたのも束の間、看守の意識はそこでぷつりと途絶えたのだった。
「……武器、あった?」
「ああ」
リュリュの言葉に短く応じたグレンは、没収されていた短剣をしっかりと腰に挿した。
看守を気絶させて牢屋に閉じ込めた後、一応他の部屋も覗いてみたのだが、誰一人見付けることは叶わなかった。リュリュ曰く、囚われていた全員が既に実験場へ送られてしまったのだろうとのこと。
出来ればもう少し人手が欲しかったが──残念ながら、脱獄はグレンとリュリュのみで行わねばならないようだ。
「……で? “弑神の霊木”は離れちまえば効果が消えんのか?」
「うん。でもこの建物から出ないと召喚は厳しいと思う」
眠そうな顔でそう答えた少年は、長い黒髪をまとめては一つに縛り、ふうと息をつく。そして見慣れない紋様が刻まれたナイフを片手に、扉の隙間から外の様子を窺った。
「それまで僕はお荷物だから、グレンに頑張ってもらうしかないかな」
「はー……」
自然と漏れ出た深い溜息と共に、グレンも扉に身を寄せる。
暗く狭い通路は風声が低く唸るばかりで、人の気配は感じられなかった。忍び足で看守室から出てみれば、通気孔ひとつない土壁が視界の奥へと伸びている。隠れられそうな場所は見当たらず、兵士と鉢合わせてしまったら確実に戦闘になることだろう。
だが、一本道なら脱出には都合が良い。これが迷宮のごとく入り組んだ構造をしていたとして、どこから兵士が来るか分からない方がかえって危険だ。挟撃を受ければ即、牢屋に逆戻り──いや、そのまま実験場に直送だろうか。
げんなりとした顔でもう一度だけ溜息をついたグレンは、そこで気を引き締めるために頬を軽く張っておいた。
「お前、途中でバテたら死ぬと思っとけよ」
「…………うん、頑張る」
長い間があったが良しとしよう。リュリュが後ろから小走りに付いて来たことを確かめつつ、グレンは右肩の痛みを押して外を目指したのだった。
□□□
ベラスケス王都ジェセニア。死にゆく魔術の香りと紅土が彩るその街には、新たな文化が芽吹こうとしていた。
見放された秘境フーモから運ばれた鉄の歯車は、ゆっくりと、しかし着実にジェセニアの景観に根を張らんとする。初めは奇怪なものを見る目付きだった人々も、王宮からの使いが定期的に行う蒸気機関とやらの説明に、気付けば食い入るような姿勢で耳を傾けていた。
光の神々、聖霊、不思議な力を発揮する聖遺物──当たり前だったはずの存在を度外視した技術の登場に、ベラスケスの民は寛容だったのだ。
無論それは、先代の狂王が残酷な実験を繰り返していたことへの恐怖と反動ゆえかもしれない。国王サルバドールは彼らの関心が自分への信頼ではないことを前提としながら、民の理解と同意を求めて活動を続けていた。
「──あ! 発明家のおじちゃん!」
「誰がおじちゃんだ! まだピチピチの若者じゃ!」
「今日は変なもん持って来てないの!?」
「あーこらこら退け退け、急いどるんじゃ! 後で構ってやるから解散!」
幼子にきゃっきゃと遊ばれているセベは、王都でも既に有名な存在らしい。こうして見知らぬ人間から親しげに声を掛けられるのも、王都に到着してからもう何度目になるのか。
目立つ薄紅の髪をフードで覆い隠しながら、ヒルデはちらりと視線を隣に移す。
「……」
そこには同じように外套を目深にかぶったモニカがいた。平素のゆるやかな笑みは浮かべているものの、薔薇色の瞳は些か剣呑に細められている。フーモの街から王都へ至るまで、その静かな怒りは段々と増しているようだった。
──グレンが消えてしまいました。
残されていたのはモニカの外套と、道端に飛び散った決して少なくはない量の血。それはグレンが自ら姿をくらませたのではなく、何者かに襲われたという証拠に他ならなかった。
慌てて街の住人に聞き込みをしてみれば、見慣れない馬車が朝早くに北へ走って行った、と。
彼の危機的状況を察したモニカは、事情を知って大騒ぎするセベの傍ら、そっと宝石箱に手を添え──すぐに王都へ向かうことを決めたのだった。
「……モニカ殿」
「はい?」
「グレン殿は、その……まだ生きておられます、よね?」
鞄の中にある“隷属の箱”を指して問えば、モニカが鷹揚に頷く。
「ええ、心臓は動いていました。単なる賊に襲われたならあの場で死体になっているはずですし、贋物実験場に連れて行かれた可能性は高いでしょうね」
歯に衣着せぬ物言いに少々怯みながらも相槌を打ったヒルデは、そわそわと視線をさまよわせた後、なるべく声の調子を上げるよう意識して口を開いた。
「と、とても強い方ですから、きっと無事に会えますよ。だから、あの」
「ヒルデさんは」
慣れない気遣いがやんわりと遮られたところで、恐る恐るモニカの顔を窺う。彼女はジェセニアの街並みを漫然と眺めたまま、ゆるやかに口角を上げて微笑んだ。
「優しい子ですね。羨ましいほどに」
「はい……?」
「──私は今も自分のことしか考えていませんから。グレンが使えなくなったら、次の護衛役を探さないとなぁって」
穏やかな声音とは裏腹に、告げられた言葉は冷え切っていた。
「……え」
グレンを使い捨ての道具よろしく扱う彼女の発言は、ヒルデに少なからず衝撃を与えた。普段から些細な喧嘩が絶えないとは言え、グレンとモニカには──それなりの信頼があるものと思っていたから。
否、信頼と呼ぶには足りないかもしれないが、互いに随所で折り合いを付けているようには見えたのだ。カイメラを鎮めたときも、非道な貴族を糾弾したときも然り。
少しだけ、憧れさえしたものだ。
彼らは自分より何倍も賢く、地に足の着いた大人だったから。
彼が──リュリュがいなくなっただけで、何もかも諦めてしまうような自分とは違ったから。
自分勝手だとは重々承知しているが、ヒルデはその小さな憧れを否定されたような気分に陥った。同時に、妙な虚像を二人に押し付けていた自分への嫌悪感まで湧いてくる。
二の句を継げずに固まってしまったヒルデを一瞥し、ふとモニカが肩を竦めた。そうして少女の背中を優しく摩っては、どこか自嘲するような笑みを浮かべる。
「と言っても、彼ほど優秀な護衛はそうそう見つかりませんもの。生きている限りは助けますよ」
「……は、はい」
「それに」
モニカが前方、ジェセニアの中央に聳え立つ王宮を見遣った。一雨来そうな空模様を背に、ベラスケスの紅い旗が風に煽られる。乗じて、ヒルデの視界にも美しい銀糸が靡いたなら、途切れた言葉の続きが語られた。
「彼との旅は気楽です。何を取り繕う必要もないですから」
そこに混ざる柔らかな温度は、本心を隈なく推し測るまでには至らず。
ゆったりとした歩調で先を行くモニカの背を、ヒルデは戸惑い気味に追ったのだった。




