5-8
──何にも遮られぬ一面の夜空。
南の空に高く昇った白い月が、波打つ草原を青く照らす。
浜辺に打ち寄せる波浪のごとき音を聞きながら、ただ一人、立ち尽くす。
刹那、月影がゆらりと形を変えた。
振り返れば、月をも食らう勢いで燃ゆる奔星が、何もない丘へと降りてくる。
焔と小さな屑を散らしながら、ぽろぽろと体を失って。
誘われるがままに足を踏み出し、なだらかな坂を駆け上がった。すでに地へと舞い降りた光は、早く来いとばかりに輝きを強めていく。
辿り着いた静穏の丘で跪き、砕けた星涙に手を伸ばした。
「グレン。空の向こうには何があると思う?」
聞き覚えのある声が語り掛けた。
「光の星海か。それとも暗黒の無か。ここには二つの答えしかないだろう。だが……」
掬い上げた光は次第に弱まり、炭のように黒くなってしまう。一陣の風によって吹き飛ばされる塵芥を、反射的に瞳で追った。
先程まで誰もいなかったはずの草原。自分が一人で立ち尽くしていた場所には、大きな背中が屈んでいた。暖かな炎に照らされた横顔は、隣に座る幼い子どもに優しく言葉をかける。
「自由に考えてみろ。お前は頭が硬いからなぁ」
男は幼子を抱き上げて、暗い草原の奥へと歩き出す。その間、二人はずっと楽しげに言葉を交わしていたが、ついに声を聞き取ることは出来なかった。
ひどく寂しい丘の上。
また一人ぼっちで置いて行かれて。
「──グレン」
ぽつり。鼻先に落ちた雨粒が、か細く彼の名前を呼んだ。
◇◇◇
淡く色づいた朝焼けの空と、変わらず鼓膜を震わせる蒸気の音。
散らかったガラクタの山を見詰めているうちに、夢から醒めたことを悟る。
頭蓋を覆うような鈍痛に顔を顰めつつ、おっくうな動きで体を起こそうとすれば、肩からずり落ちる外套。見覚えのあるそれを掴み、すぐ脇にあるラボの入り口を覗き込めば、大きないびきをかいて眠るセベの姿があった。
「……あいつは……」
銀髪を探して視線を巡らせてみたが、どこにも見当たらない。ふと物音に気付いて手元を見遣ると、小さな紙切れが袖口に挟まれていた。
──全く起きなかったので、先に宿屋に戻っています。朝になったら外套返してくださいね。モニカ
流麗な文字で書かれた淡泊な文章を見て、グレンは小さく溜息をつく。
モニカとセベの話が終わるのを待っている間に、あっさりと寝落ちてしまったようだ。おまけに嫌な夢まで──夜風に当たって冷えてしまった髪を掻き上げたグレンは、そこでふと夢の終わりを思い出す。
最後に聞こえたあの呼び声は、モニカのものだったのだろうか。
グレンを呼び起こすために掛けられた静かな声は、夢の中にそっと刃を差し込むかのようだった。
割れた雲間から暁光が覗き、無人の草原は呆気なく白い炎で焼き尽くされる。
迫りくる目覚めを察し、強く瞼を閉ざせば、孤独な夢は跡形もなく消えていた。
「……」
ゆっくりと、時間をかけて息を吐く。体の中に溜まった重い空気を入れ替えて、グレンはようやく腰を上げた。
モニカの外套を適当に折りつつ階段を下りていけば、細く切り抜かれた空が次第に青く染まっていく。
視界を縁取る錆びた配管とは対照的な、眩しい朝に目を眇めたときだった。
「おい、早く乗れ」
「全く酷い目に遭ったな……」
「だがあのコウモリはもういなくなったと聞いたぞ、抜けるなら今の内だ」
ぼそぼそと、人目を気にしながら言葉を交わす数人の男。酒場のある通りの片隅、彼らは何やら慌ただしい動きで馬車に荷物を積んでいた。
フーモの住人がまだ誰も活動を開始していない時分から、一体何をしているのだろうか。噴き出す蒸気の白を透かして様子を窺いながら、グレンはふと眉を上げた。
(あの黒髪──人売りの会場にいたガキじゃねぇか?)
男に背を強く押され、馬車に乗り込む小柄な人影。まっすぐに伸びた長い黒髪と白い肌は、競りに掛けられている最中だというのに舞台上で熟睡していた少女の姿と合致する。
ついでに、そこに嵌められた鮮やかな青い瞳も、ヒルデの言っていた通りだ。
本当にフーモの街にいたのかと驚いたのも束の間、グレンは馬車を注視したまま指輪を回す。
相手はそこらの賊ではなくれっきとした貴族、手を出すのは少々気が引けるが……ここで逃がせば王都まで追う羽目になるだろう。
さすがにそれは御免だと彼が一歩踏み出そうとしたとき、不意に背後から気配が現れた。
「っ!?」
すんでのところで身を翻せば、彼の眼前を鋭い刃が一閃する。
体勢を立て直す暇もなく、グレンは続けざまに襲い来る切っ先を短剣で弾き返した。反動で後ろへ跳躍するついでに、ちらりと馬車の方を見遣る。案の定、彼らもグレンの存在に気付いては武器を構え始めた。
「貴様、野盗か? 悪いが他を当たるんだな」
グレンに斬り掛かった男は顔をフードで覆い隠すと、再び姿勢を低くして階段を飛び降りる。なびく外套の隙間から覗いたナイフが、朝日を反射して明滅し──直後にグレン目掛けて振り下ろされた。
それを素早く前転して躱したグレンは、振り向きざまに男の後頭部を蹴飛ばす。男が呻き声と鈍い音を立てて倒れれば、ハッと息をのんだ連中がこちらへ駆け寄ってきた。
「お前、よくも!!」
「よくもはこっちの台詞だ、先に斬り掛かって来たのはコイツだろうが!」
今にも馬車を襲撃しようとしていたことは棚に上げ、グレンは堂々と被害者面をしながら地を蹴った。
敵は武装した男が三人。短剣だけで切り抜けられないこともないが、先程のように伏兵がいる可能性もある。魔術でさっさと片を付けるのが吉だと、グレンは正面から迫る刃を受け流しつつ召喚の呪文を口にした。
「──光よ、天翔ける薫風ぅえ!?」
しかし、彼の横っ面を突如として熱風──否、配管の継ぎ目から噴き出した蒸気が襲う。
皮膚が蒸されるような熱に顔を背けた直後、グレンの肩を鋭い刃が抉った。間髪入れず腹部に強い衝撃を受け、彼は敢えなく崩れ落ちてしまう。
「っ……!」
「早く仕留めろ、野盗など殺しても問題にならん」
「いや待て」
グレンが痛みに耐える後方、フードを被った男がおもむろに彼らを制止する。
「……この男、恐らく魔術師だ。すぐに拘束しろ、王都へ連れて行く」
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