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サルバドールは即位を待たずして父親を殺め、全ての権力を欲しいままにしている──それは狂王を慕い、反光神主義を唱える者たちが吹聴したデマだった。
彼らは神前決闘そのものを無かったことにしたのだ。ベラスケス王国は既に光の神々の支配下にあらず、古き仕来りなど何の意味も持たないと。
当然、サルバドールと彼を支持する者たちはデタラメな主張に反論したものの、狂王派は頑として姿勢を崩さなかった。そしてサルバドールの即位と共に実行されるはずだった贋物実験場の取り壊しにも、彼らは全く応じなかった。
これでは政が立ち行かなくなると頭を抱えたサルバドールは、折衷案としてある提案を行ったという。
「我がベラスケスには聖遺物がない。そのことで諸君らが多大なる屈辱と不安を覚えたことは承知している。私とて、光の神々に縛られた世は好まない──ゆえに贋物とカイメラ、それらに代わる全く別の道を模索させてほしい」
サルバドールはカイメラ実験の制限は設けたが、全て中断せよとは言わなかった。彼が提示する「新たな道」の有用性が認められたならば、そのときはあらゆる実験を辞めるようにと。
その提言によって、狂王派との争いは一旦の落としどころを得た。彼らからすれば、聖遺物に対抗できるものなど贋物以外にないと確信しているからこその承諾だったのだろう。サルバドールは何の解決策も見付けられず、ただ指をくわえて魔術師の死を見届けることになる、と──。
「……全く別の道ってのが、蒸気機関のことか?」
「その通りじゃ!」
知られざる王宮での経緯を聞いたグレンは、フーモの街に張り巡らされた配管を見遣る。確かにこれなら魔術抜きで人々の暮らしを支えられる上に、セベのような発明家を集めれば更なる発展が見込めるだろう。
悪意によって捻じ曲げられた噂話しか知らなかったとは言え、国王サルバドールは意外にも着眼点が優れているようだ。
「はー、いやしかし、大丈夫かのう……」
「何が?」
「すでに蒸気機関は王都での実用が進められとるんじゃ。ちょっとずつじゃが、贋物実験をしてた連中もわしらの発明に興味を示し始めて……」
「順調じゃねぇか」
「それが問題なんじゃ! 相手は魔術師を殺しまくった狂王の信者ども、こっから何をしでかすか分からん!」
セベの心底参った口調にグレンは首をかしげたが、すぐに意味を理解した。
これまで何百何千と魔術師の命を奪ってきた狂王派。セベの蒸気機関が公的に認められてしまえば、彼らが過去に行った実験が全くの無駄になる。否、大量殺人の烙印を押されるばかりか、王宮にいられなくなる可能性だってあるだろう。
立場が危うくなる前に、そんな貴族が取る行動は──蒸気機関の不具合をでっち上げるか、サルバドールに何らかの罪を着せるか。いずれにせよ派手に悪足掻きをしてくるに違いない。
「陛下は本当にお人好しなんじゃ……父親に神前決闘を申し込んだと聞いたときは内臓が飛び出るかと思うたわい。あんた剣なんて握ったことなかろうと」
「それお人好しじゃなくてただの馬鹿じゃねぇか」
「こらチンピラァ!! 陛下の悪口は許さんぞ!!」
思わずボロッと飛び出た本音を聞き咎め、セベがすかさずグレンの頭を引っ叩く。小気味よい音を立てた後頭部を、グレンは信じがたい気分で摩った。
「いや、戦ったこともねぇのに決闘って……」
「それほど当時の状況を深刻に見ておったんじゃ。チンピラが無事に国境を跨げているのも陛下のおかげじゃぞ、感謝せい」
「良かったですねぇ、グレン。サルバドール陛下がいなければ今頃とっ捕まっていましたね」
「あー…………ハッ!?」
生返事をしてから気付く、この場にないはずの声。
グレンが飛び上がるようにして振り返れば、そこにはいつの間にかセベの隣に座り込むモニカがいた。
「お前いつからいた!?」
「クソ女がいなけりゃ一刻も早く出て行きたい、辺りでしょうかね」
「よりによってぐぇッッッ」
宝石箱を強めに叩かれ撃沈したグレンの傍ら、モニカは相変わらずの笑みで立ち上がる。そして不思議そうにしているセベに向き直っては、にこりと小首をかしげた。
「先程大きな音が聞こえたものですから、気になって来てしまいました。あなたが発明家のセベさんですね、こんばんは」
「お? おお、こんばんは……何じゃチンピラ、こんな別嬪さんと一緒なのに文句垂れとったんか?」
「うるせ……話しかけんな……」
グレンは地べたに寝転がって暫く痛みに耐えた後、よろよろと体を起こして溜息をつく。いつもより心なしか当たりが強く、心臓を直に平手打ちされたような衝撃だった。
一体何がそんなに気に食わなかったのか。暴言はほぼ毎日吐いているだろうにと、グレンがげんなりとした表情でモニカを見上げたときだった。
「……?」
今はセベに向けられている薔薇色の瞳。蒸気機関について興味深そうに話を聞くモニカの横顔を、グレンは思わずじっと凝視してしまう。
「──まあ! ここがラボなのですね、後で中を見せていただいても?」
「ええぞ、つってもさっき散らかしたからのう。片付けにゃいかんわ、ちょっと待っとれ」
セベが老人よろしく腰を叩きつつ、先ほどの長い筒を持ってラボへと向かった。がちゃがちゃとガラクタや部品を片付ける音を聞きながら、ふとモニカが視線を寄越す。
「お前──」
「全くもう、心配したんですよグレン」
ずいと笑顔を近付けられ、グレンは告げかけた言葉を飲み込んだ。
「あなたの単独行動は今に始まったことではありませんし、私も特に気に掛けておりませんでしたが……これからは行き先の事前報告も義務付けましょうか?」
「はあ!? めんどくせぇ、誰がやるかそんなもん」
「悪い子ですねぇ。ベラスケス王国が怖いと泣いて嫌がったのは誰です? これでも雇い主として、あなたの身の安全については常に考えているのですよ」
泣いてはいない、とすかさず否定を口にしようとしたグレンだったが、モニカの言葉に一驚して動きを止める。
彼女の発言は言わずもがな、笑い切れていない薔薇色の瞳も平素とは調子が違った。心配したと口では言いながら、その声に明らかな苛立ちを滲ませて喋るモニカの姿は、元々の冷たい雰囲気を更に低く沈めている。
小脇に抱える“隷属の箱”を指差し、彼女はなおも静かな声音で続けた。
「心臓はあらゆる危機に対してとても正直ですが、今回のようなハッタリは一度限りでお願いしますね」
「…………いや、ハッタリって……」
そこでグレンはようやく、モニカが苛立っている原因をおぼろげに悟る。
彼女は恐らく──グレンが筒を発砲した瞬間、宝石箱に入った心臓が大きく跳ねたことについて言及しているのだろう。街全体に響いた破裂音も相俟って、グレンが何らかの危機に瀕していると勘違いしたのだ。
だから──。
「だからお前、あのクソ長い階段をわざわざ駆け上がって来たわけだ?」
白いうなじに汗で張り付いた銀糸を指差し、グレンは先ほど喉の奥へと引っ込めた言葉を投げ掛ける。
思えば大都市ラトレでも似たようなことがあった。正体不明の刺客に背後を取られ、あと一歩というところでモニカが駆け付けたのだったか。あのときも彼女は宝石箱の鼓動で危機を察し、グレンの姿を探して走っていたのだろう。
それだけならまぁ、せっかく捕まえた護衛役を失うわけに行かないモニカの行動として、十分に理解はできる。
だが今回は──以前になかったはずの鮮明な怒気がそこに込められていた。
「いや……いや待て待て、それは不可抗力だろ! あいつの実験に付き合ったら思いのほかとんでもなかっただけで、お前を故意にからかったわけじゃないしな」
「……」
「つまり俺にキレるのはお門違い──」
「私ね、焦るの嫌いなんですよ」
「は」
「焦るの、嫌いなんです」
丁寧に二度も繰り返された理不尽な主張。グレンがそっと心臓の痛みに備えて身構える傍ら、モニカは曖昧な笑顔を浮かべて姿勢を戻した。
そして、何も言わずに後ろのラボへと入ってしまう。
「セベさん、入ってもよろしいですか? まぁ! これ全て蒸気機関ですかっ?」
「おー、違うもんもあるけどなぁ」
モニカとセベのやり取りを聞きながら、ゆっくりと振り返る。蒸気機関の談義に華を咲かせている二人を見詰めること暫く、グレンは何とも不可解な面持ちで首をかしげたのだった。
「……俺にキレてたわけでもねぇのか……? 意味分かんねぇ……」




