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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
1.コソ泥に人権などありません
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1-4

 フォルクハルト・ギレスベルガー。

 確かに時間が経つと忘れそうな名前だと、グレンは手のひらを返してそう思った。

 成人男性二名が道端で転がっていれば当然、周囲からはあからさまに迷惑がる視線が集まる。名前を三連続で間違えられ失意の底にいたフォルクハルトが小さく自己紹介したところで、彼らは中央広場へと移動した。

 その際、フォルクハルトは当然のようにモニカに手を差し出し、人混みから彼女を守りつつ歩を進める。一見してよく出来た紳士の振る舞いだが──。


「あ、あの、フォルクハルト様」

「何でしょうか」

「ちょっと、歩くのが、速いかもしれませんね……!」

「えっ」


 エスコートというよりか引き摺られるようにして歩いていたモニカが、笑顔を維持しながらもついに音をあげた。弾かれるようにして振り返ったフォルクハルトの顔が、己の失態を恥じて朱に染まる。

 そんなぐだぐだとした二人の様子を、グレンはだらだらと歩きながら観察し、ふむと顎を摩った。

 フォルクハルトはどうやらモニカと旧知の仲らしい。名前をド忘れされる程度なので親しい間柄とまでは言えないかもしれないが、なかなか使えそうな男だ。


 何せ見よ、この初々しい反応を!


 そして終始グレンを、自分以外の男を警戒する余裕の無さを──どう見てもモニカに懸想しているではないか。

 そのブッ飛んだ女のどこが良いのか甚だ見当もつかないが、何はともあれ好都合だとグレンは笑う。フォルクハルトの初々しい恋心を使えば、このふざけた護衛役を降りることが出来るかもしれない、と。

 後ろでコソ泥がほくそ笑んでいることなど露知らず、ようやくゆったりと歩けるようになったモニカが息をつき、笑顔で口を開いた。


「フォルクハルト様はどのようなご用件でこちらに? もしかしてお祭り目当てですか?」

「いえ、その……護衛任務の途中なのですが、主人から使いを頼まれまして。あ、急ぎの用事ではないのでお気になさらず」

「まあ! ということは学院を卒業されてから、無事に騎士爵をいただいたのですね! ──学院というのはですね、グレン」

「聞いてない聞いてない」


 無理やり会話に加えようとするなと言外に突っぱねたものの、モニカはお構いなしに学院とやらについて語る。

 曰く、カレンベル帝国には貴族の子女が通う大きな学院がある。ノルドハイム国立学院と呼ばれるその学び舎には同盟国であるレアード王国の王侯貴族も在籍し、神学や史学、魔術の成り立ちなどについても知識を分け与えてもらったのだとモニカは言う。


「そこでフォルクハルト様ともお会いしたのです。私より二つほど学年が上でしたから、先にご卒業されましたが……フォルクハルト様なら立派な騎士様になられると思っておりました!」

「いや名前忘れてたろお前」


 ヒュッと心臓が撫でられるような感覚が走り抜け、グレンは即座に口を閉ざした。

 前のめりになって沈黙した彼を置いて、愚直にも照れていたフォルクハルトが頬を掻く。


「ありがとう、モニカ嬢。あなたもそろそろ卒業なさるのでは?」

「いえ、実は退学するつもりなので卒業はいたしません」

「え……え!? 退学!?」


 動揺しまくっているフォルクハルトの後方、胸部に生じた気持ち悪さをまぎらわせようと、グレンはラトレの複雑怪奇な街並みに視線を遣る。

 中央広場をぐるりと囲う民家の山には、魔術で火を灯したランプの他にも看板やら洗濯物まで吊るされていた。所狭しに並ぶ家屋のわずかな隙間、増設した階段や謎の扉は少しばかり景観から浮いて。

 薄暗い水路の先、ちらりと見えた真っ青な海が白く反射したところで、モニカの声が再びグレンの意識を引っ張り戻した。


「お父さまに退学願は書き置いてきましたが……ちゃんと提出してくださったかしら」


 トントンと頬を人差し指で叩きながら、モニカは思案げに虚空を見詰めた。

 ノルドハイム学院は貴族が通うぐらいなのだから、学費も相応に高額なのは間違いないが……今更ながら、モニカが本気で母親の遺言通りに聖遺物を捜そうとしているのだと悟り、グレンは溜息を飲み下す。


(勘当覚悟ってか? 分かっちゃいたが正気じゃねぇな)


 そもそも女の身で学院に通っていたこと自体かなり珍しいというか、物好きと称される部類だろう。

 悪く言えば変人。

 婚約者だった男はそういう面も含めて異母妹に鞍替えしたのだろうかと、要らぬ推測を立てては打ち消した。

 そこへちょうど、偶然にも同じ人物を思い浮かべた様子のフォルクハルトが、心配顔をモニカへ向ける。


「モニカ嬢、どうして退学など……? 婚約者のロベルト殿も心配なさっているのでは」

「ああ、ロベルト様には捨てられてしまいました。何でもカルラのほうがお好きだとか」


 モニカの婚約が破談になったと知った瞬間、フォルクハルトの顔が怒りとそれを大いに上回る喜びに染まった。誠実そうな顔をしておいて実に分かりやすい男である。


「な、何てひどいことを! こ、こここんな素敵な女性を袖にするなど、ロベルト殿は何を考えているんだ」


 裏返った声が中央広場に響き、周囲から好奇の目を向けられても青年は気付いていないようだった。彼はその恋情に染まったひたむきな双眸を、可憐な銀髪の乙女へと真っ直ぐに向ける。

 一方、そんな熱のこもった視線を真正面から受け止めたモニカはと言えば、薔薇色の瞳を優雅に細めて笑い、当たり障りのない謙遜を口にした。


「うふふ、お気遣いありがとうございます。けど、カルラは身内から見ても美しい子ですもの。仕方ありません」

「そんなことは……! も、モニカ嬢は私がお会いした女性の中で一番うっ……」

「う?」


 肝心なところで言葉に詰まった青年を見上げ、モニカが不思議そうに首をかしげる。

 後頭部で束ねた銀の毛束が、その拍子にさらりと肩を伝って落ちる。

 瞬いた大きな瞳は、自分よりも背の高い男を仰ぎ見んと、上目遣いに頼りなく揺れて。

 ほんの些細な動きにさえ見とれてしまうフォルクハルトは、はくはくと口を開け閉めしながら視軸をぶれさせた。


「う……つくしい、と…………」

「…………あー、口説いてるとこ悪いんだがちょっといいか」

「くどっ!?」


 待とうかと思ったがあまりにも長すぎるので、グレンは目の前で行われる稚拙な公開告白をぶった切った。

 真っ赤な顔をしたフォルクハルトの脇をすり抜け、一拍遅れて振り返ったモニカの肩を掴む。

 瞬時に距離を詰めたグレンは、二人が「え?」と目を丸くしている間に唇を動かした。



「──光よ、まどろみを誘う憩いの水よ」



 ふ、と手のひらをモニカの額にかざした直後、真ん丸に見開かれていた瞳が虚ろになり、糸が切れたように彼女が崩れ落ちる。

 頭を打って危篤に陥られても困るので、グレンは脱力した体をすんでのところで抱き寄せた。


「……な……貴様、魔術師か……!」


 束の間の驚きを経て、すぐさまフォルクハルトの雰囲気が刺々しいものへと変貌する。腰にある長剣に手を掛けた彼を一瞥し、グレンは焦ることなく笑みを浮かべた。


「落ち着け、ギレスベルガー。こいつ抜きでちょっと話がしたい。ほら見ろ、この間抜け顔を。寝てるだけだから心配すんな」


 ぐーすか気持ちよさそうに眠っているモニカの顔を見せつけながら、グレンは人差し指に嵌めた金環をそっと回す。

 滑り出た刃が皮膚を裂き、滴り落ちた一粒の赤い血。それは樹皮の足場を汚すことなく、淡い光に浚われて消えたのだった。


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