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裏通りの水路に突如として出現したカイメラは、埋め込まれた贋物ともども消滅した。
騒動が終わってから現場に到着した駐屯兵は、跡形もなく消えたカイメラの行方を探して聞き込みを行ったが、何一つ詳しい情報は得られず。
「光の神々が奇跡を下された!」
「カイメラは聖霊たちに浄化されたんだ」
狂王の統治下にあって久しく神話を口にしなかった人々が、その日ばかりは光の神々を崇めていたという。
そんな興奮冷めやらぬ空気の中、とある三人の駐屯兵に関する素行の悪さが駐屯地に報告される。何でも、彼らは孤児を恐喝して金品を巻き上げていたとか──。
「──公爵さまの孤児院……?」
日が沈み始めた街の片隅。暖かな光が灯る宿屋のエントランスで、レジェスは幼い兄妹と手を繋いだまま、ぽかんと口を開ける。
彼らに清潔な毛布を渡しながら、ヒルデはやわらかな笑顔を浮かべて頷いた。
「はい。ちょうど孤児院の経営を始めた公爵がいらっしゃるそうで、そちらに話を回してみると」
ベラスケス王国の教会が次々と閉鎖され、そこで保護されていた子どもたちまでもが放置される現状を、その公爵はひどく憂いていたという。ゆえに、反光神主義をかかげる貴族に目を付けられぬよう教会という形は避け、買い取った別荘地に施設を建てたのがつい最近のこと。
国境の街からもそう遠くはないので、駐屯地から彼に便りを出してくれることになったのだ。公爵から返事が来るまで、レジェスたちは国が運営している施療院で待機してほしいとの指示も受けている。
ヒルデが簡潔にその旨を伝えれば、しばらく放心していたレジェスがハッと我に返った。
「い、いいの? テトとチェルシーはそうしてほしいけど、僕は……」
「……? レジェス、一緒に行こうよ」
「どうしたの?」
黙り込んでしまった少年を見上げて、兄妹が不安げに声をかける。純朴な瞳から逃れるように、レジェスが彼らの小さな手を離してしまいそうになったときだ。
「レジェス」
そっと少年の顔を覗き込み、ヒルデが静かに呼び掛ける。
「胸を張れとは言えませんが……君がやってきたことは、一概に悪と決めつけられるものではないと思います」
「え……」
「生きるため、この子たちを守るため、必死に頑張っていたことを私は否定しません。……これからは、公爵の元で穏やかに過ごせるように願いましょう」
ヒルデが言葉を紡ぎ終えた直後、レジェスは今の今まで我慢していたであろう涙を溢れさせた。そのまま地べたに崩れ落ちてしまえば、テトとチェルシーが驚いたように彼の背中を摩る。きっと、親代わりを務めていたレジェスが泣く姿を、彼らは初めて見たのだろう。
小さな家族を暫し眺めたヒルデは、そこでふと後ろを振り返る。
「……モニカ殿、グレン殿。なぜそんな遠くに……」
宿屋から借りた毛布に各々包まった二人は、一連のやり取りをエントランスの端から眺めていた。無論、グレンは特に興味がなかったので半分ほど寝ながら。
「いえ、私たち残念ながら子どもに人気がなさそうなので距離を取ろうかと……グレン、ヒルデさんの優しいお言葉は聞こえましたか?」
「あ? そうだな、相手がコソ泥だからって奴隷のように扱う女とは雲泥の差だな」
「ですってヒルデさん、後でその剣お貸しいただいても? ちょっと宝石箱を突いてみたくて」
「おいコラ」
幸い、水路に落ちても“隷属の箱”が浸水することはなかったが、逆にグレンの心臓が弾みで解放されるようなことも無く。暖炉の前で濡れてしまった鞄とその中身を乾かしている様を一瞥し、グレンは深い溜息をついた。
ベラスケス王国に入るや否やカイメラと遭遇するなど、やはりこの国はロクでもない土地だ。大方、あの巨魚も王都近辺の河川からやって来た失敗作とやらの一部だろう。王都で今もなお行われているという贋物の実験も、失敗作の処分の甘さも、ただの噂ではなく事実であることが改めて実感できた一日だった。
こんな物騒な国に連れて行かれたヒルデの同行人も、とっくに不慮の事故で死んでいるんじゃなかろうかと、彼が投げやりな願望を思い浮かべていると。
「さてと、レジェスさんたちも無事に引き取っていただけそうですし、明日からまたヒルデさんの用事に戻りましょうか!」
「あ……はい。ありがとうございます、モニカ殿。けど……やはりあの情報だけでは……」
「まあ、真っ白な煙と言っても限度がありますものねぇ」
ヒルデが少しばかり気落ちした様子で俯けば、レジェスの背中に抱き付いていた少女がふと顔を上げる。じっとヒルデの横顔を見詰めては、ひょこひょこと歩み寄り、その手を控えめに引っ張った。
「ん? どうしましたか、チェル……」
「フーモのまちのこと?」
舌っ足らずなチェルシーの声に、一行は目を瞬かせる。
フーモの街。ベラスケス王国の主要都市には無い名前だ。少なくともグレンは聞いた覚えがなかったので、ちらりとモニカを窺ってみたが、彼女も同様に首をかしげていた。
すると、ようやく落ち着きを取り戻したレジェスが、大人しい少女の代わりに口を切る。
「テトとチェルシーが生まれた街だよ。僕は行ったことないけど……なんか、いつも白い煙が上がってたって」
「え……!」
「まぁ! 人助けはするものですね、グレン!」
名指しされた意味が分からないが、今回はヒルデの人の良さが幸運を招き寄せたと言っても過言ではないだろう。人に物を尋ねるときはまず信頼を得ることから、なんて、つい最近相手を殴り倒しながら宝石箱の在り処を聞き出していたグレンには土台無理な話だ。
「あの、フーモの街はどの辺りにあるか分かりますか?」
「えっと……王都の南側かな。あの辺り、ちょっと暗くて不気味だから分かりにくいかも」
「王都かよ……」
ヒルデとレジェスの会話を聞きながら、グレンはついぼやいてしまった。いよいよ自分の人生も終わったかもしれない、魔術師とバレないように指輪は外しておくべきか──などと考えていれば、彼の苦悩を察したモニカがこっそりと耳打ちしてくる。
「大丈夫ですよグレン、いざとなればフェルンバッハ家の人間と言うことで身柄の返還を求めますからねっ」
「連行される前提で話してんじゃねぇよクソ」
「ああ、そうですね! その前に死んでしまうかもしれませんね」
「……」
盲点だったと言わんばかりに笑うモニカは、やはり人として何かが欠落しているとしか思えない。盗賊にこんなことを思われる時点で相当不味いのだが、本人は引かれていることに気付かぬまま、晴れやかな笑顔でうーんと伸びをしたのだった。




