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「やあレジェスくん、今日の調子はどうだ?」
冑を小脇に抱えた髭面の兵士は、にこやかな笑顔で片手を挙げた。その後ろには槍を携えた二人の同僚が、似たような嘲りを浮かべて少年たちを見下ろしている。
昨日の今日で盗品の回収に来るとは、一体ベラスケス兵はどれだけ薄給なのだろう。橋の上から取引の様子を窺いながら、グレンはつい白けた目をしてしまう。当然、隣で高架下を覗き込んでいるモニカとヒルデに至っては、彼以上の嫌悪と侮蔑をそこに滲ませていた。
「まぁ……残念ながら本物の兵士ですね。あの様子だと、彼らの方から取引を持ち掛けたのでしょう」
モニカの言う通り、まずもって計算のできない孤児に盗品の換金という発想は生まれない。あの兵士が上手いことレジェスを言い包めて、盗品を流すよう唆したのだろう。彼らは言ってしまえば無知な子どもに盗みを催促し、上官に内緒で私腹を肥やしているわけだ。
グレンも何度か善人面をした大人に絡まれたことはあったが、幸い彼には最低限の知恵が備わっていた。簡単な計算と文字の読み書き、それから──人を疑う心があったがゆえに、一方的に搾取されるような事態にならなかったのだ。
もしも自分がレジェスのように素直な性格だったら、悪どい大人から体よく利用されていたのだろう。他人事であっても虫唾が走った。
「あの、今日の分はないから……換金は、しないでいいです」
レジェスが恐る恐る口を開く。モニカから言われた通りの台詞だ。
しかし兵士たちは顔を見合わせるなり、大袈裟な素振りで肩を竦める。
「おや? 先ほどガラの悪い傭兵が、財布を盗まれたと騒いでいたぞ。君じゃあないのか?」
「レジェスくん……分かってるか? 我々は君の行為に目を瞑って、こんな場所で寝泊まりすることさえも許してやっているのに」
「あの子たちの面倒も見なきゃならんだろ。しっかりしないとなぁ」
彼らが指したのは、遠くの方で心配そうにレジェスを見詰める兄妹だ。なるほど、こうして言葉巧みに少年の責任感や不安を煽って操り人形にしていたのかと、一種の感心すら覚えながらグレンは嘆息する。
盗品を受け取るまで帰ろうとしない兵士たちを見て、グレンはおもむろに橋の手摺へと片足を掛けた。その静かな動きに気付いたモニカが、目を丸くして振り返る。
「まぁ、助けるのですか? 珍しいですね」
「脅されてる者同士、気晴らしにな」
「そう……ところで脅されてるとは誰に?」
「お前だよ」
脅している自覚が全くないらしいモニカの額を弾き、グレンが短剣を引き抜こうとしたときだった。
ふと、表通りの喧騒が急激に遠のく。
水中に頭を沈めたときのように耳が圧迫され、高架下のやり取りまでもが途切れ途切れになる。こめかみを押さえつつモニカを見遣れば、彼女は特に何も感じていないようだった。
「──レン? どうし──か?」
ごぼごぼと、モニカの声が水泡の音で掻き消される。
次第に聴覚を覆う泡は増え、まるでグレンの気を引かんとばかりに勢いを増す。
(何だ? 水の聖霊どもが騒いで……?)
魔術師が聖霊を召喚することはあっても、聖霊からの自発的な接触はあまり良いことがない。
人間と聖霊は一定の距離を保つべきであって、その線をどちらか一方が越えることはすなわち、死に等しい結果を与えるとして昔から言い伝えられているのだ。
だからこそグレンも、こんなあからさまな聖霊の声に耳を傾けたくはなかったのだが──どうにも様子がおかしい。これはグレンへの意図的な呼びかけではなく、切羽詰まった聖霊が無差別に喚き散らしているような。
舌打ちまじりに彼は短剣を鞘に押し込むと、高架下の水路を確かめるべく身を乗り出した。
そこにはいつの間にか、先程見たときにはなかった黒い影が蠢いていた。
「何……」
蒼く濁った水路の中央、沈んだ影が大きく泡立つ。気付けば水位はレジェスたちのいる細い通路にまで上がり、薄い層を成しては煉瓦を黒く湿らせた。
そうしてついに影が姿を現そうかという瞬間、グレンの耳を塞いでいた聖霊が一斉に消え去る。
直後、真っ白な飛沫を上げて水路から飛び出したのは、まるで角のように尖った鋭利な鱗を持つ巨魚だった。何を食ったらそこまで暴力的な体に育つのかと呆気にとられたのも束の間、グレンはその真っ赤な瞳を見て息をのむ。
「げ……こいつカイメラか!?」
「きゃー!? 何ですか急に!」
豪快に跳ねては再び水中に戻った巨魚は、呆然としているベラスケス兵に狙いを定めたようだった。背中から霧状の潮を噴いたかと思うと、三角形の背びれを露出させたまま彼らの方へ直進する。
「ひ!? な、なんだあの化け物!?」
「逃げろ!」
兵士は錯乱状態に陥りながら、レジェスを押し退けて我先にと梯子を掴んだ。しかし元より老朽化していたせいか、梯子は壁から引き剥がされるなり急流に浚われてしまう。上に登る手段がなくなった兵士たちは真っ青な顔で視線を巡らせ、橋にいるグレンに声をかけた。
「お、おい助けてくれぇ!!」
「死にたくねぇよ!」
「うるせぇクズ共! その槍は飾りか! 黙って戦え!」
そんな彼らに無慈悲極まりない罵声を浴びせて絶句させたグレンは、すぐさまレジェスたちに視線を移す。逸早く兄妹の元へ駆け寄ったレジェスは、既に二人の手を引いて橋と反対方向へ走り出していた。こちらに上れそうな階段を探すつもりだろう。
「グレン殿っ、レジェスたちが……!」
「気になるなら追いかけとけ」
「え……しかし、先にカイメラをどうにかしなくては」
「同時進行だ。魚の餌にさせたくないなら急げ」
グレンの気だるげな言葉に、ヒルデは焦りを露わにしながらも何とか頷くと、レジェスたちを追うべく地を蹴った。
彼女の姿が視界から外れるや否や、グレンは指輪に手を伸ばしかけ──じっとこちらを見上げる薔薇色の瞳を見遣る。
「何だよ」
「いえ、私は何をしたら良いかなと思いまして。応援でもしましょうか?」
「腹立つからやめろ」
モニカがその場で拳を交互にあげようとしたので、すかさず止めさせた。緊張感が無いのはグレンも同じだが、何故この女はここまで呑気でいられるのだろう。高架下で今も悲鳴を上げている兵士たちとは大違いだ。
応援を却下されたモニカは不満げにしつつ、湿った木製の手摺に指先を滑らせる。
「でしたら大人しくしておきますが……ところでグレン、先程からこの橋とても揺れてません?」
「は?」
「気のせいではないと思うのです──け、ど」
がくん、と視界が傾く。
否、正確にはモニカの体が大きく傾いていた。二人の足下に走った亀裂が橋を割り、一瞬の硬直を経て崩壊する。
双方が同時に顔を引き攣らせた直後、グレンは弾かれるように手を伸ばしたのだった。




