4-3
「……教会が取り壊された?」
再び静けさを取り戻した高架下で、モニカは驚いたように反芻した。水路脇の階段に腰掛けた彼女の隣には、少しばかり身を竦ませたレジェスがいる。彼は細い腕を摩りながら、どこか居心地の悪そうな顔で首肯した。
「僕とテトたちは同じ教会で育てられたんだけど……二年前に、せいへん? があって、そこが壊されちゃったんだ」
「二年前……というと、国王の代替わりの時期ですね」
「うん」
ベラスケス王国の“狂王”が、実の息子の手によって殺害された衝撃的な事件。
レアード王国に暮らすモニカも、血塗られた政変が引き起こした多大な混乱については聞き及んでいた。
国内外から狂王と呼ばれた先代国王は、聖遺物を有する国々を妬むあまり、長らく生産が違法とされていた贋物の量産に踏み切ったことで有名だ。以前グレンが述べたように、大陸各地にいる魔術師を呼び集めては危険な実験を繰り返したという。
当然、命を差し出すことを強制された魔術師は逃亡を図り、そしてことごとく捕らえられた。彼らの末路は言うまでもない。
ほどなくして狂王の所業が広く知れ渡り、ベラスケス王都が恐慌に陥る一方で、王の行いを是とする集団が現れる。
──それが反光神主義者たちだ。
この東大陸および世界では何事においても創造主、すなわち光の神々が中心に据えられる。
神々と縁ある聖遺物を所持している国が「神の加護を得た国」として見なされる一方で、そうでない国──その代表であるベラスケスは昔から周囲に軽んじられてきたのだ。
狂王を狂王たらしめる所以を理解し、賛同した者たちはこぞって光の神々を非難した。平等の救いを謳いながら、いつまで経ってもベラスケスの民に恩恵が与えられないのは、ひとえに彼らが偽神だからだと。
そしてその怒りの矛先は、手の届く身近な場所へ向けられることとなる。
「教会がどんどん壊されてるのは神父様から聞いてたけど……僕たちのところはまだ大丈夫だった」
「……ところが政変を機に、暴徒化した者たちがレジェスさんたちの教会も取り壊してしまったと。はあ……迷惑なお話ですね」
心底迷惑そうな声を出すモニカの背中を一瞥し、昼寝の体勢に入っていたグレンは欠伸を噛み殺す。
ベラスケス王国の神話嫌いは今に始まったことではない。聖遺物を入手できず他国に後れを取った初代ベラスケス王が、晩年に至るまでその悔恨をぐずぐずと日記に綴っていたなんて逸話もあるくらいだ。聖なる加護と力を求める気持ちが、光の神々に対する憎悪へ転じるのはごく自然なことに思える。
……とはいえ、今になって贋物で聖遺物に対抗しようとしたのは狂王だけだろう。時代錯誤と揶揄されても反論はできまい。
息子のサルバドールは父親を殺害した後、そういった無謀な動きを規制するのかと思いきや、現在も贋物の生産は止まっておらず。
一体あの政変は何だったのか、やはり蛙の子は蛙かと、各国で失望と困惑の声が上がったものだ。
「神父様は……神の奴隷だとか言われて、処刑された。この街じゃないけど……広場にずっと、放置されて」
「レジェスさん……」
当時の光景を思い出したのか、レジェスはひどく苦しげに背を丸めてしまう。
彼は育ての親の死体を、幼い兄妹に見せることなく街から逃げてきたそうだ。神父の教えに背き、盗みに手を染めながら。知識はおろか何の技術も持たない子どもでは、働き口など見付からなかったのだろう。
ベラスケス王国の情勢を抜きにしても、孤児が盗みを働くこと自体はそれほど珍しくはない。現にグレンも、ちょうどレジェスと同じ年頃で──内に湧いた嫌な記憶を、彼は溜息と共に外へと吐き出した。
「で? 財布以外の金品はどうするつもりだったんだ?」
硬い煉瓦の壁に凭れ、手にした短剣を軽く振る。持ち手の先で指し示したのは、モニカの膝に乗っている“隷属の箱”だ。びくりと肩を揺らしたレジェスは、宝石箱を横目に窺ってはぼそぼそと問いに答えた。
「街にいる兵士が換金してくれるんだ。宝石とか、武器とか……なんでもいいから持ってこいって」
「へぇ……?」
おかしな話だ。身寄りのない子どもが盗んだ金品を回収し、それに応じた金額を与えるなど。その相手が本当に兵士なのかという疑問はもちろんのこと、経験上こういった取引は往々にして対等になり得ないとグレンは知っていた。
彼の訝しむような相槌に、モニカも勘付いたのだろう。はてと首をかしげては少年の顔を覗き込む。
「レジェスさん、換金したお金は今もありますか?」
「え? 昨日の分があるけど……」
「数えさせてもらっても?」
──戸惑い気味なレジェスの目の前で麻袋をひっくり返したモニカは、昨日の換金額を仕分けて唸った。
その数、銅貨三枚。露店で黒パンが一つ買えるかどうかの端金だ。
「グレン、盗品の換金はこれぐらいにまで価値が下がるのですか? コソ泥的にどう思います?」
「見りゃ分かるだろ、詐欺だ詐欺」
宝石を換金したら銀貨が数枚は入るはずで、どう考えても計算が合わない。大人であればすぐさまデタラメな取引に異を唱えるところだが、レジェスは残念なことに相場を知らなかった。彼は渡される報酬が全く見合っていないと気付かぬまま、端金欲しさに盗みを繰り返し、今日まで件の兵士とずるずると付き合いを続けている。
一度もおかしいと思わなかったのかと問えば、レジェスは控えめにかぶりを振った。
「一回だけ、もう少しお金を増やしてほしいって言ったら……殴られたから。それから何も言ってない」
何とまぁ、やれコソ泥だのやれ不道徳者だの声高に非難しておきながら、罪人をしょっぴく側の人間もこの有様とは。自分はそこまで悪人ではなかったのだなと、十年以上に渡る自身の盗賊稼業を棚にぶん投げてグレンが頷いたとき。
「レジェスー! パン買って来たよ!」
表通りまでお使いに行っていたテトとチェルシー、それから彼らの子守りとして同行したヒルデが梯子を下りてきた。幼い兄妹の姿を目にしたレジェスは、それまで曇りがちだった顔をほころばせつつ呼びかけに応じる。
「二人とも、おかえり」
「おつかいできたよ、えらい?」
「うん、ありがとう。チェルシー」
子どもたちの会話を後目に、ヒルデはこちらへ歩み寄るなり静かに尋ねた。
「事情は聴けましたか?」
「ええ、それはもう胸糞の悪いお話──いけない、グレンの口調が移ってしまいました。相手方の腐った人間性が窺えるロクでもないお話でしたから、少し手を打っておきたいですね」
「そ、そうですか」
モニカの丁寧な罵倒に頬を引き攣らせながらも、ヒルデはどこかホッとした様子だった。
孤児への同情──いや、先程の接し方から見るに子ども自体が好きなのだろうか。いずれにせよ、路頭に迷う幼い少年少女を放っておけない、そんな顔をしていた。
「ですが私もベラスケス王国の知人は少ないのですよね。孤児院を経営しているような方も思い当たりませんし……」
さてどうしたものかとモニカが腕を組んだとき、グレンの耳を微かな音が打つ。ちらりと裏通りを見上げてみれば、複数の足音が段々と近付いてくることが分かった。
「詐欺師が来たみたいだぞ」




