4-2
賑やかな目抜き通りから一転、そこはひどく静かな場所だった。道端で意味もなく屯する老人、昼間から酒の匂いを漂わせた男やもめ、しどけない薄着で今夜の客を見繕う娼婦。昨今のベラスケス王国では見慣れた光景だが、さりとて大半の人間にとって気分のよいものではなかった。
彼らの姿を視界から追い払うついでに、長めの金髪を鬱陶しげに退ける。幼げな顔立ちをした痩身の少年は辺りを警戒しつつ、黒い鉄柵に囲われた水路へと下りた。腐りかけの梯子から慎重に靴裏を離し、薄暗い高架下へと足早に駆け込む。廃屋から集めて立てかけただけの板を横にどかせば、小さな背中が二つ現れた。
汚れた毛布を被り、寒そうに身を寄せ合う姿は痛ましかったが、少年は努めて明るい笑顔で声をかけたのだった。
「テト、チェルシー! 帰ったよ」
「わあ! レジェス、おかえりー」
すぐに振り返って笑顔を弾けさせたのはテトだ。遅れて頭をもたげたチェルシーも、少年の顔を見るなりホッと頬を弛める。幼い兄妹にしっかりと毛布を掛け直してやりながら、レジェスは懐からいくつかの財布と装飾品、それから派手な宝石箱を地面に置いた。
風が吹き込まないよう入口の板を定位置に戻せば、ようやくレジェスの心に安堵が生まれる。人々がまばらに行き交う高架下、ボロ板だけで区切られたこの狭い空間が、レジェスたちの家だった。
「レジェス、今日はいっぱい貰ったんだねぇ、ありがとう」
「ん……ああ、えっと、酒場の店主がおまけしてくれたんだ。こっちは隠しておこう」
財布に入った貨幣を別の麻袋に移し、不要になった入れ物はまとめて水路に捨てた。この麻袋に集めたお金は全て、レジェスが街行く人から盗んだり道端に落ちていたものをネコババしたりと、不当な手段で手に入れたものばかりだ。
幼いテトとチェルシーは、これを少年が働いて得た報酬だと素直に思い込んでいる。だからこそ二人はいつも言うのだ。曇りのない笑みで、「ありがとう」と。
レジェスはそのつど胸の奥に冷たい痛みを覚えてしまう。これが本当は他人から盗んだもので、自分はお礼を言われるような立派な人間ではないと、何度謝ろうと思ったことか。
だが──そんなことは許されない。もしも罪悪感に負けて事実を打ち明けたとして、二人がレジェスの真似をしてしまったらどう責任を取るのか。盗みがバレて二人が殴られるところなど、レジェスは絶対に見たくなかった。
昨日ヘマをして殴られたばかりの腫れた頬を摩りながら、少年は無言で宝石箱に手を伸ばす。
「ねぇレジェス……」
「なに? チェルシー」
「その箱、うごいてる?」
「え」
ぼうっと宝石箱を眺めていたチェルシーが、突然そんな不気味なことを言い出して驚いた。冗談を言うような性格でもなかったので、恐る恐る宝石箱に触れてみれば、確かに鼓動のようなものが感じられる。
「うわ本当だ……どうしよう。これ、ちゃんと引き取ってもらえるかな」
「きれいな箱だからきっと大丈夫だよ」
テトの前向きな言葉に小さく頷いたのも束の間、レジェスの視界が不意に陰る。ついで現れた誰かの気配を察し、少年はとっさに兄妹を奥へ押し込んだ。
「うっ!?」
「レジェス!」
「いやぁああ!」
少年の襟首を掴んで持ち上げたのは、同じ金髪の──とんでもなく人相の悪いチンピラだった。
彼の姿を認めた瞬間、上がる兄妹の号泣。「レジェスをはなして」と泣きながら訴える幼子を見下ろし、チンピラは面倒臭そうに肩を竦めたのだった。
□□□
「あらら、可哀想に。駄目ですよグレン、子どもたちを泣かせては」
「うるせぇな。入口にいたから退けただけだろ」
ものの数秒で幼気な子どもたちの恐怖の対象となったグレンは、あばら屋にも届かない区切り板の奥、今もなお泣き咽ぶ兄妹とそれを庇う金髪の少年を見遣る。
とりあえずレジェスとやらは要求通り解放したのだが、宝石箱──“隷属の箱”はまだ彼らの元にあった。
三人を押し退けて奪い取ろうにも、グレンが一歩動くだけで彼らは後ずさってしまう。まるで化物扱いだと渋い顔をしていれば、隣で様子を窺っていたモニカがくすくすと笑う。
「ふふ、グレンは人相が悪いですからね。ここは私の出番──」
「こわい……」
彼女が自信たっぷりに踏み出した直後、少年の腕に抱かれたチェルシーがぼろぼろと涙を溢れさせた。更には傍らのテトまでもが涙ぐみ、モニカの視線から隠れるように身を縮める。
いくら人当たりの良い笑顔を浮かべていても、純真無垢な子どもたちの目にはモニカが悪い魔女にでも見えているのだろう。これは傑作である。グレンは思わず手を叩いて笑声を上げてしまった。
「ぶぁっはははは! ガキにはお前の性根が本能で分かるらしいな!」
「えっ?! 心外ですねグレン、私は子どもの襟首を掴んだりしませんよ!」
「何もしてねぇのに怖がられてんなら俺より悪人面してるってことだろうがよ」
「な、なんて凄まじい屈辱……! まったく! お仕置きは何が良いですか? 箱を水没させるのも面白そうですね」
「何にも面白くないからやめろ!」
水路を見ては物騒なことを言い始めたモニカの肩を強めに掴んだところで、静観せざるを得なかったヒルデが騒々しい二人の脇をそっとすり抜ける。腰に佩いた剣を傍に置きつつ、ヒルデは子どもたちに優しく話しかけた。
「危害は加えませんから、その宝石箱を返してくれませんか。それは彼女の持ち物なのです」
「え……でも、これは……レジェスが貰ったって……」
戸惑いをたっぷりと含んだ少年の言葉に、当のレジェスは大変気まずそうな顔で目を泳がせる。何と言い訳をしようか必死に頭を働かせている様を見て、やはり機転を利かせたのは薄紅色の髪の乙女だった。
「君は──落としものを預かってくれていたようですね」
「え」
「手違いで君の元に行ってしまったのでしょう。捨てずにいてくれてありがとう」
自然な笑みで、ともすれば一発で信頼すら勝ち取ってしまいそうなヒルデの振る舞いによって、子どもたちの緊張は見事にほぐされたらしい。おずおずと頷いたレジェスに続いて、じっとヒルデを見上げていた兄妹も泣き止んだ。
残念ながら人徳のなかった二名は各々微妙な顔つきで互いを一瞥し、静かに口を噤んだのだった。




