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占い師ゾフィは光の神々から天啓を受けたのではなく、偶然入手してしまった贋物の力によって、さまざまな事象を透視することが可能だった。
贋物の代償は重く、衰弱した彼女は一人で歩くことも儘ならぬ状態に陥っていたが、良い商売道具を得たアロイスは非情にもこれを無視。偽の占い師を表に立たせ、ゾフィの容態を広く知られぬよう配下に口止めまで行っていたという。
「水晶は村のはずれに落ちていたんです。……ちょうどあのとき、手を擦り剝いていたから……私の血を吸って、未来を見せてくれたんだと思います……」
当時のことを深く後悔しながら語ったゾフィは、一度も紅晶のほうを見ようとしなかった。
モニカは屋敷の者たちと相談の上、これらの事実を王宮に報告すると決めた。モニカの命を狙った正体不明の魔術師は、アロイスの仲間だろうということでちゃっかり牢屋送りにしておくとして──問題は子爵領の今後だ。
貴族同士の決闘が神聖なるものとして認識されている一方で、王の承認無き私闘は「天空神に背く行為」として大抵の国で固く禁じられていた。ゆえにそのつもりはなくとも法を破ってしまったアロイスには厳しい罰が与えられる。
想定されるのは爵位の還収と、それに伴う財産の没収──今の王なら容赦なく、一部と言わず根こそぎ国庫に収めてしまうことだろう。そして、この街は近いうちに王領地と化す。
王家にあまり臨時収入などは与えたくはなかったが、仕方あるまい。モニカは据わった瞳を一旦閉ざしてから、努めて明るい口調で告げる。
「すぐに王宮から新しい領主が送られてくるでしょう。あなた方はそちらの指示に従ってください」
「は、承知いたしました。……此度はまことに申し訳ございません、モニカ様。よもや貴女に危害を加えようとは……」
「こうして無事に生きていますもの、お気になさらないで」
アロイスの下で働いていた老齢の侍従は、深々と頭を下げてから事後処理に戻る。その背をゆるやかな笑みで見送ったモニカは、一連の騒動で散らかった占い部屋をちらりと見遣った。
ゾフィが所持していた紅晶──グレンの言葉を借りるなら、“予見の宝珠”とでも呼ぶべきか。
あれはアストレア神聖国の聖遺物“全知の書”を真似て造られた贋物だろうと、彼は投げやりな口調で語っていた。
かの聖遺物はすべての事象に関わる未来を知ることが出来ると言われており、その夢のような特性ゆえに数多の戦を呼び寄せた神の遺産だった。
もちろん人の手で造られた“予見の宝珠”にそれほど絶大な力は宿っておらず、せいぜい見通せるのは数日後の未来まで。加えて贋物の予見は精密さにも欠けるため、ゾフィのもたらした奇跡はまさしく占いという呼称がぴったりだったのだろう。
「……ふぅ。私はこのまま地道に進みましょうかね」
モニカはやれやれとかぶりを振り、先ほど粉々に砕いてもらった“予見の宝珠”を一瞥する。
ゾフィの血を吸って赤く染まった水晶は、夕日の光を浴びて静かに煌めいていた。
□□□
「──本当にありがとうございます。幼馴染のゾフィを助けていただいて」
「えっ」
騒動を聞いて子爵の館に駆け付けた青年は、何と本物の幼馴染だった。
グレンが人当たりの良い笑顔を維持したまま小さく驚く傍ら、再会の現場に居合わせたヒルデも「作り話だったはずでは……」と目を瞠る。
二人の妙な様子に気付かぬまま、爽やかな青年は汗を拭いつつ、心の底から安堵の溜息をついた。そして忍び足で部屋を覗き込んでは、先ほど医師の診察を受けて眠りに就いた幼馴染の寝姿を確認し、じわりと涙を浮かべる。
「ゾフィがこの街にいることは知っていたんですけど……占い師に会ってみたら全くの別人で。お金だけ取られて追い払われてしまったんです」
「へー……そりゃ気の毒に……」
「あれはゾフィじゃないと言っても誰も信じてくれなくて。僕がゾフィを見間違えるわけないのに……!」
「そうだな……」
聞いたことのある言葉にグレンは頬を引き攣らせ、適当な相槌を返した。これでは誰が占い師なのか分からないなと、下らないことを考えては密かに溜息をつき。
「それで何かお礼をしたいのですが、今は手持ちがなくて」
「ああー! じゃあこの屋敷にいる間は、あんたゾフィの兄貴ってことにしといてくれ! それでチャラな!」
「え? は、はあ……?」
そこでハッと我に返ったグレンが辻褄合わせに走れば、気圧された青年は戸惑いながらも承諾してくれる。演技に加担したゾフィについては問題ないだろうし、これでさっきの仰々しい茶番が無駄になることはなさそうだった。
「あー疲れた……じゃ、俺はこの辺で」
「あの」
さっさと退散しようとしたグレンの背に、か細い声が掛けられる。
振り返れば、目を覚ましたゾフィがゆっくりと体を起こすところだった。グレンの大声で起きてしまったのだろう。青年が慌てて肩を支えてやると、二人は少しの間を置いてから微笑み合う。言葉なき再会を経て、その虚ろな瞳がこちらへ寄越された。
「お礼に、なるかは分かりませんが……水晶に映ったことを、お伝えしたくて」
「!」
占い師の娘が見遣ったのは、相談した張本人──ヒルデだった。
少女は一拍置いてから瞠目すると、足を縺れさせながらもベッドに駆け寄る。
「な、何か見えたのですか!?」
「はい」
──吹き荒れる白煙の中、長い黒髪を靡かせる小柄な人影が。
もたらされた予見は、非常に曖昧なものだった。
探し人の特徴は合致しているようだが、白煙が一体何を指すのかグレンには見当もつかない。
白煙と聞いて真っ先に思い浮かぶのは吹雪だが、可能性としては低いだろう。何せヒルデの同行人が売られたと推測されるベラスケス王国は、神聖国のような常冬の地ではないから。ここレアード王国と同じで、積雪など滅多に見られない。どの地域よりも雨量が多いことで有名だが、やはりそれだけだ。
謎解きにも近い言葉を受け取ったヒルデも、さぞ困惑しているのかと思いきや──グレンはその横顔を見て、軽く眉を上げた。
「……生きて、いるのですね?」
ヒルデの眼差しには、今までにない生気が宿っていた。
人身売買の会場を脱出してからこの街に至るまで、ずっと曇っていた表情が初めて晴れた瞬間だ。いつも眉間に微かなしわを寄せていたのは、別に生まれつきではなかったらしい。
占い師の言葉は道しるべにはならずとも、少女に多大な希望を示したのだろう。寝台のそばで頽れ、何度も礼を述べる少女の姿を見詰め、グレンはひとり退室したのだった。




