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フェルンバッハ家の長女モニカに仕える騎士の青年には、一人の幼馴染がいた。
のどかな故郷で共に育った娘の名はゾフィ。二人は馴染みの川辺でよく遊び、よく語り、辛いことがあった日には励まし合う仲だった。
ただひたすらに拙い友情を育んでいた二人だったが、やがて悲しき別れが訪れる。
予てから剣術に優れていた青年が両親のすすめで士官学校へ入学、片田舎からレアード王国の都心部へ越すこととなったのだ。
学校は全寮制で、頻繁に里帰りが出来るような距離でもない。
つまりは、幼馴染のゾフィとも今までのように会うことが出来なくなる──。
士官学校への入学準備で忙しくしていた青年は、そこでようやっと大きな喪失感を覚えたのだった。
青年は故郷を発つ日の早朝、泣き咽ぶゾフィに別れを告げる。彼女は自分よりもとっくに、友人と別れる辛さに気付いていたのだろう。
いや、もはやこの気持ちは友人に向けるそれではないと、青年は無慈悲に昇る朝日を見て知った。
「ゾフィ、僕が騎士になったら──君を迎えに来るよ。だから……どうか待っていてくれ」
青年の不器用な、それでいて真っ直ぐな言葉にゾフィは涙ながらに頷いた。
かくして青年は目指した通りの立派な騎士となり、由緒あるフェルンバッハ家に仕えることが決まった。心優しい主人は故郷に置いてきた幼馴染の話を聞くや否や、「迎えに行きなさい」と穏やかに背を押す。
しかし──約束の場所へ赴いても、ゾフィは現れなかった。
いや、それどころか懐かしき故郷から姿を消してしまっていた。
聞けば、光の神々の天啓を受けたことにより、領主の館で占い師として雇われているというではないか。青年は逸る気持ちのまま主人のモニカと共に屋敷を訪ね、ついに約束の再会を果たすかと思われたが……。
「一体どんな仕打ちを受けたんだ!? 僕はゾフィのこんな姿は見たくなかった……!」
いやお前こそ一体何の話をしているんだ? 占い部屋に着くと同時に謎の語りを聞かされたアロイスとその配下たちが、我に返った様子で目を擦る。
ちなみに今しがた作り話を延々と語っていたのは、言うまでもなくモニカである。グレンの熱演に真顔で感動ストーリーを添えていた彼女は、ハンカチで目頭を押さえながらうずくまった。
「はあ、なんてこと! 私はただグレンとゾフィさんを会わせたかっただけなのに、一体どうなっているのです!」
「はぁん……!? も、モニカ様、それはこちらの台詞ですな。占い師のゾフィはあちらの娘で、その痩せた女はうちの使用人……」
「僕がゾフィを見間違えるものか! 彼女を床下に隠し、占い師などと偽って贋物を使わせた罪は重いぞ!」
グレンがすかさず声を張り上げ、アロイスの苦しい弁解を吹っ飛ばす。
モニカを表舞台から消すことばかり考えていた子爵からすれば、今の状況は全く意図していない展開だろう。占い師の正体が暴かれることはもちろん、自称幼馴染が現れて罪を弾劾してくるなど──しかもそれが都合よくモニカの護衛騎士だったなどと。
「贋物……?」
「天啓を受けた占い師という話では……」
ざわざわと動揺を滲ませる私兵たち。どうやら詳しい事情を知らなかった彼らの手前、段々と笑みが剥がれてきた子爵の顔を窺いながら、グレンは疲弊しきったゾフィを横抱きにした。その幼子のように軽い体重に顔を顰め、悲痛な面持ちで彼は語り掛ける。
「ゾフィ、すぐに家族の元へ帰してやるからな。今度は君を一人で置いて行ったりしないよ」
彼女は最初、グレンの変わり様に驚き、呆気に取られていたのだろう。くぼんだ目を丸く見開いた後、次第にどこか泣きそうな表情で唇を噛む。
「……か、かえりたい……帰りたいです、あんなの、拾わなきゃよかった……」
ついに両手で顔を覆ってしまったゾフィを見て、この場にいる全員の視線が子爵へと向かう。
占い師が自らの意思とは関係なく軟禁状態にあったこと、それから危険な贋物を屋敷に置いていた理由を問う、批判的な目だ。いくら子爵の元で働いている者たちと言えど、倫理に背いた行動を目の当たりにして動じずにいられる人間は少ないだろう。
今まで築き上げてきた信頼がガラガラと崩れていく音に気付いたのか、アロイスは歯を剥き出しにしたままグレンを──正確にはモニカを睨み付ける。
「茶番はそこまでにしていただきましょうモニカ様! 私を貶めるための芝居にしては、些かやり過ぎではありませんか? フェルンバッハ家も堕ちたものだ。こんな方法で目障りな家門を陥れようなど!」
「目障り? 誰がです?」
はて、と顎に人差し指を押し当てたモニカが、わざとらしく首をかしげる。単純にとぼけているように見せてその実、お前など歯牙にも掛けていないと言わんばかりの挑発だった。
「この……っ!」
それに乗せられまんまとアロイスが激高しようかといった瞬間、不意に私兵の一人が不審な動きを見せる。
陰に紛れて行われた一瞬の行動を、グレンは見逃さなかった。
──アロイスと話していた魔術師だ。
手のひらを剣の刃で切り付けた魔術師は、血が滴るのに併せて大きく一歩踏み出す。そうして子爵を容赦なく横に突き飛ばし、標的のモニカだけを見据えて呪文を口にしたのだ。
「──光よ、まどろみを誘う憩いの水よ、大地を焼き払う天の焔よ!」
「やべ……っ!?」
相反する二つの聖霊が召喚された直後、水の焼ける音と共に大量の水蒸気が発生する。間もなく視界が真っ白に染まれば、突如として発動した目くらましと熱気に場が騒然となった。
ゾフィを抱えていたため動けずじまいだったグレンは、彼女をその場に降ろしつつ周囲の気配を探る。水蒸気が発生する寸前、あの怪しい魔術師は一直線にモニカめがけて走ったはず。もしかしたら既にモニカを昏倒させ、部屋から脱走してしまったかもしれない。
しかしここで自分が魔術を使えば、芝居で惹き付けたせっかくの同情心が逸れ、モニカともども要らぬ疑いを掛けられるだろう。下手に動くことは出来ない。
急転した状況にグレンは思わず舌を打ったが──ほどなくして白い壁の向こうから、鋭い剣戟の音が生じた。
ついで、誰かがうめき声を漏らして倒れる音まで。
「誰か死ん……あ」
そっと自分の心臓を押さえつつ呟いたグレンは、霧中で起きていたであろう戦闘の決着をそこで目撃する。
仰向けに倒れた魔術師の首筋へ、抜身の剣を宛がうヒルデの姿を。
刺客を叩き伏せた淡い緑の眼光に、つい先程までおろおろとしていた少女の面影はない。まごうことなき剣士の顔で、ヒルデは切っ先を軽く払う。
その凛々しい姿はまさしく、かつて神々と共に戦ったという戦乙女を彷彿とさせた。
「……逆上してモニカ殿の命を狙うとは。見損ないました、子爵殿」
そうして場の流れを上手い具合に軌道修正した少女は、美しい所作で剣を鞘に納める。ゆっくりと刃の煌めきが消える頃、部屋中に充満していた水蒸気が全て晴れた。
「……なっ」
魔術師から突き飛ばされて尻餅をついていたアロイスは、ぽかんと口を開けて少女に見入った後、ようやく言葉の意味を理解したようだった。
否定を口にしようとした次の瞬間、アロイスは後背にいた私兵たちによって取り押さえられてしまう。
「何をする貴様ら!! 主人を拘束するなど、ぐえっ」
彼らが苦渋の色を浮かべながら子爵を拘束する中、ここに長く仕えていたであろう中年の騎士がモニカに深く一礼する。それと、今日に至るまで助けてやれなかったゾフィに対しても、同様に謝罪の礼を取ったのだった。




