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吹っ飛んだ水晶は神々との交信に勤しんでいたゾフィの顔面に直撃し、紫色のカーテンを巻き込んで部屋の奥へと消える。天井で布を固定していた金属製のリングや釘がけたたましい音を立てて落ちていく中、特に驚いた様子のないモニカが小首をかしげた。
「グレン、何が危なかったのですか?」
「テーブルの脚が折れそうだったのでお嬢様の安全第一で動きました」
「壊したのはあなたですがね。もう、ヒルデさんがびっくりしてしまったではありませんか」
モニカの小言を聞き流しつつ二人の椅子を後ろへ引き、グレンは小卓のちょうど真下辺りに敷かれた絨毯を捲る。
現れた木製の戸に手を掛ければ──ほんのわずかだが、聖霊の気配が感じ取れた。
やはりこれは魔術を使ったインチキ商法だったのだろう。種を暴いてやるつもりで彼が取っ手を握り締めると。
「ちょ、ちょちょちょっと待って! やめなさい! あたしの給料が!!」
「あ?」
額に赤いこぶをこしらえたゾフィが、必死の形相で駆け寄ってくる。飛び掛かろうとしてきた彼女の右足を容赦なく蹴れば、バランスを崩して再びカーテンの中へ。今度は完全に簀巻き状態になったことを確認し、グレンは改めて床の隠し扉を引き上げた。
ゆっくりと開かれた床下の小部屋。そこにはたった一つの蝋燭を灯し、赤い水晶玉を抱えて蹲る娘がいた。
痩せこけた骨と皮ばかりの手足、くぼんだ眼窩、水分を失った髪。寒さに震えながら顔を上げた娘は、グレンと目が合うなりボロボロと涙をあふれさせる。
「た、たすけて……おねがいします、も、もう無理です、こんなの、こんなの」
「……本物の占い師はこっちか?」
「まあ……! グレン、早く出してあげましょう。こんなに震えて」
扉の下を覗き込んだモニカが、ヒルデと一緒に急いで娘を引き上げていく。やがて娘の全身が明るみに出てくれば、グレンはその妙に不健康な見た目に眉をひそめてしまった。
床下で強制労働をさせられていたことは見れば分かるが、それにしては待遇が悪すぎる。毎日休みなく相談者が来るわけでもなし、ここにずっと食事抜きで閉じ込められていたなんてことはないはずだ。
ならばこの異常な痩せ方は──魔術の代償か?
ひとつの結論に至った直後、グレンはハッと床下を確認する。娘が先程まで抱えていた赤い水晶玉。それは本来の透き通った美しさとは縁遠く、生物の血を注入したかのような濁りが詰め込まれていた。
「げっ……おま、これ贋物じゃねぇか!」
魔術師の命と引き換えに造られた危険物。それを何の知識も持たない娘に使わせていたことを察し、グレンの口から思わず大きなため息が出てしまった。
大方、雇い主のアロイスに言われて恐る恐る血を与え続けたのだろう。相談者の失せもの捜しや未来の出来事を知るために。
だがいくら誰でも使える贋物と言えど、未来予知に関しては非常に多くの対価を要求されるはず。聖霊と親和性のない人間なら、血の他にもさまざまな代償を奪われたに違いない。
下手をすれば近いうちに床下で死ぬことになったであろう娘を一瞥したとき、部屋の外から複数の足音が聞こえてきた。
「ああ……グレンが暴れたから気付かれてしまいましたね。できるだけ穏便に済ませたいところですが……」
「穏便? もうさっさと脱出すりゃ良いだろ。占い師も贋物ありきだったみたいだしな」
「だとしても、占い師を私たちが屋敷から拉致したと触れ回られると困りますもの。ここはどうにかしてアロイス様を皆が石を投げたくなるような悪人に仕立て上げなくては!」
曇りのない瞳で堂々とそんなことを言う度胸に絶句したが、モニカの主張には一理ある。
アロイスの背後に怪しい連中が控えているのは先程のやり取りからして明白。この場で本物の占い師を連れたまま逃げたとして、それを口実に街の出入り口を封鎖でもされたら──モニカの身柄は確実に連中へ引き渡されるだろう。そうなると“隷属の箱”に心臓が入ったままのグレンまで道連れになってしまう。
面倒だがもうひと芝居打つ必要があるようだ。グレンは迫りくる足音を一瞥し、思案げに唸るモニカの銀髪をくいと引っ張る。
「おい、さっきの調子で合わせろ。ピンク髪はその辺でおろおろしとけ」
「お、おろおろ?」
もう既に十分おろおろしているヒルデを後目に、衰弱しきった本物の占い師を床に横たえる。痩せ細った娘の手を握ると、グレンは手短に尋ねた。
「名前はゾフィで合ってんのか」
「は……はい……彼女は、子爵様が雇った役者です……」
ちらりとゾフィが見遣ったのは、未だにカーテンから脱出しようともがいているニセ占い師だ。曰く、日々痩せていくゾフィの姿を相談者に見られぬよう、そして他の貴族に奪われぬようにアロイスが影武者を雇ったのだという。
なるほど、それは良い情報だとグレンがほくそ笑んだ瞬間、ついに部屋の扉が開け放たれた。
「モニカ様、先程の音は一体──」
「──ああゾフィ!! こんな姿に変わり果ててしまって!!」
先陣を切って現れたアロイスの言葉を遮り、グレンはまるで恋人のように占い師を抱き締めたのだった。




