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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
3.水晶に映るのは

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21/179

3-3

「……ふん、生意気な小娘が……」


 アロイスは煩わしげに柄付きのクラバットを緩め、荒々しい手つきで侍女に投げ渡した。そうして代わりに受け取ったのは暗色のローブと、顔を覆い隠す樺茶の布。廊下を進みながら手早く身なりを一変させた彼は、付き人たちを追い払ってから裏口の扉をくぐる。

 日当たりのよい南側の玄関とは打って変わって、そこは日影の急勾配が下へ伸びていた。石造りの歪な階段を早足に駆け下りた彼は、街の片隅にある破屋へと体を滑り込ませる。


「おい、フェルンバッハの長女が来たぞ。護衛騎士は一人だけだ」


 顔を隠したまま、くぐもった声で呼びかけた。すると細やかな砂埃が舞う日向の奥、黒く陰った場所から人影がぬっと現れる。

 かの人物はアロイスとは対照的で、平凡な庶民の出で立ちをしていた。たったいま畑から帰って来たかのような姿で微笑んでは、何も持っていない両手を広げる。


「左様ですか、ご報告ありがとう領主殿。して、令嬢は今も屋敷に?」

「占い師に会わせた後、宿泊するよう持ち掛ける。……これで良いだろう」

「ええ、上出来です。我々の痕跡は残しませんので、その点はご心配なく」


 街の住人に紛れていても何ら違和感を持たせない男。されど無機質な笑みに宿る冷たい色は、相対する者を竦ませる。

 彼がアロイスと接触してきたのは、ほんの数日前のことだ。今と同じ不気味な笑顔を携えてやって来た男に、訝しみながらも用件を聞けば、フェルンバッハ家の長女モニカの行方を知りたいという旨が寄越された。

 アンデ家の嫡男から婚約破棄を言い渡されてすぐ後、彼女が忽然と屋敷から姿を消したのはアロイスも知っていたが、それ以降のことは関知せず。父親に似て何を考えているか分からない娘だったから、忘れた頃に戻るのではないかと適当な返答をしたところ。


 ──近々こちらに立ち寄るかもしれません。その際は、我々に令嬢を引き渡していただけませんか? 悪い話ではないはずです、領主殿。


 前王朝、いやそれ以前からレアード王国で脈々と血を繋いできたフェルンバッハ家。その長き歴史に見合う発言力と財力は、王朝の交代に伴って新興貴族が増えていく中でも揺らぐことがなかった。

 ときに慈悲深く、ときに冷酷に。切り捨てるべきは切り捨てて、かの家は今も粛々と生き残っている。それを面白く思わない輩は当然いて、アロイスもそのうちの一人であった。

 だからこそ彼らは伯爵に将来性の薄い商売を持ちかけたり、共同で投資をしないかと誘ってみたり、伯爵の再婚相手に財産を使い果たすよう唆してみたが──すでに手綱を握られているのか一向に潰れる兆しがない。

 それどころか馬鹿な公子が「次女のほうが可愛いからそっちと結婚する」などと言いだし、無能な次女に家督を継がせる計画もパア。何ひとつ上手く行かず、アロイスたちが裏で発狂していたところへ、この男は前触れなくやって来た。


(確かにモニカさえ消えれば、伯爵家の後継はいなくなる。この者らに始末させてしまえば……)


 そんな誘惑に負けた結果、アロイスは今こうして正体不明の集団と取引をしてしまっていた。怪しい匂いがぷんぷんするが、モニカを引き渡したら今後一切関わらないと誓わせてある。だからそう恐れることもあるまい、と──。


「……いいか、皆が寝静まってから動けよ」

「はい。ところで領主殿」

「何だ」


 一刻も早く破屋から立ち去りたくて、アロイスが苛立ちながら応じたときだった。

 にこやかな男が不意に右手を振り上げ、小さなナイフを投げる。一直線に飛ばされた刃は、アロイスの袖口を貫通して壁に突き刺さった。


「なっ、何をする!?」

「いえ……虫がついておりましたので」

「虫だと? ああ、袖が……口で言えばよかろう!」

「申し訳ありません」


 憤慨する彼にさらりと謝罪した男は、柔和に細めた瞳を下へ移す。

 子爵の足下を漂う、淡く色づいた翠光。男の視線に気付いたのか、その小さな光は破屋の外へと消えて行った。



 □□□



 ふ、と途切れた声。

 出窓の棚に座っていたグレンは、そこで静かに瞼を押し開いた。同時に、アロイスと謎の男の会話を届けてくれていた風の聖霊が役目を終え、ふわりと消え失せる。


「気付かれたか」


 グレンは舌打ちまじりに呟き、されど大した焦りもなく彼は壁に凭れ掛かった。子爵のどこか白々しい態度が気になり、魔術を使って盗聴をしてみたのだが──予想通り嫌な話が聞けてしまった。


「はあー……またお前狙いの連中だぞ。こりゃ街で話しかけてきたジジイもグルだな」

「まぁ! 私を屋敷に行かせるために? 小癪ですねぇ」

「え……す、すみません、私が考えなしに突っ走ってしまったから……!」


 応接間でグレンと一緒に盗聴に勤しんでいたモニカはやれやれとかぶりを振り、一方のヒルデは真っ青になって謝る。


「いいえ、気にしないでくださいヒルデさん、何かしら理由をつけて屋敷に招くつもりだったのでしょうし」

「ですが……占い師などやはりデタラメだったのかも……」


 しゅんと落ち込んでしまった少女を後目に、グレンはつと視線を宙に遣った。

 魔術師はそう珍しい存在でもないが、他人の魔術に対し迅速に対処できる人間は決して多くない。それこそかなりの熟練者でなければ、この短時間で会話が盗み聞きされていることなど気付けないはずだ。

 訓練された刺客に魔術師、モニカを狙う連中が無駄に多彩であることを確認したグレンは、また一つ憂いの溜息をついたのだった。


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