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「ええい、舐めおって……さっさと奴らを喰わんか! 大金はたいて買い取ったんだ、相応の仕事はしてもらうぞ!」
支配人が一際大きく鞭をしならせ、カイメラの胴を強く叩いた。右目を潰された怪物はしばらく唸っていたが、やがて鷲のような甲高い声を上げて床を叩き鳴らす。
すると会場ごと崩壊させる勢いでカイメラが暴れ始め、頭上からは柱や松明が降り注いだ。怪物の意識がどう見ても支配人の制御下にないことを悟ったグレンは、仕方なしに右手の指輪を回す。
「おい、ブタ狂い! 子ブタを死なせたくなけりゃ手ぇ貸せ!」
「ブランシュだ!! だがお前に呼ばれるとブランシュが穢れる気がするから呼ぶな盗賊」
腹立つ……。
早口で咎めてきた殺人鬼に絶句しつつ、グレンは右手を振り払った。指輪の刃がうっすらと裂いた皮膚から、少量の鮮血が宙に舞う。
「──光よ、大地を焼き払う天の焔よ!」
召喚の呪文を唱えた直後、どこからともなく火の聖霊が出現し、グレンの血を流れるように喰らった。
供物を得た聖霊は轟々と燃え盛り、暴れ狂うカイメラへと一直線に突進する。投石のごとき鋭い軌道に反応しきれず、まともに焔を食らったカイメラは地をのたうち回った。
刹那、好機と見たエクホルムの悪魔が即座に駆け出す。グレンは炎上する怪物をちらりと一瞥し、素早く右手を振った。
「──光よ、空を裂く剣の巌よ!」
黄金の光が地面へと浸透し、カイメラの足下からいくつもの嶮山が飛び出す。それまで激しくもがいていた怪物の肉体を無理やり縫い留めてしまえば、赤い瞳が宙から舞い降りる青年を捉えた。
彼は着地と同時にうなる双剣をカイメラの首に突き立て、瞬く間に左右へ振り抜く。黒く濁った血が噴出し、そこで唖然としている支配人ごと周囲を汚した。
「っ!」
そのとき、カイメラの鋭く尖った尾が青年の背中を狙う。彼が双剣で弾こうとするより先に反応したのは、剣を手にしたヒルデだった。少女は華奢な体に似合わぬ動きで剣を振るい、怪物の尾を切り落とす。
些細な抵抗を最期に、ようやく哀れな生物兵器は活動を停止したのだった。
一連の戦闘を目の当たりにした支配人は、信じられないと言わんばかりの面持ちで膝をつく。
「う、嘘だ……殺人鬼も魔術師も殺せるって……あいつら言って……」
「絶望中に失礼しますね。ヒルデさんと一緒に捕まえた方、どちらに売られたかご存知ですか? おじさま」
「くそ、くそ、何が狂王のお気に入りだ、しょうもないもん掴ませやがって!」
「おじさ……聞きなさいな」
支配人に話しかけていたモニカが、笑顔のままその頭を鷲掴む。頬をぺしぺしと二回ほど叩いた後、何故か思い出したように“隷属の箱”で支配人を殴った。
「ってぇ!! おいコラそれで殴んな!!」
「な、何をするこの小娘! 商品が私に楯突くなど!」
「もう一発、悪党パンチ!」
「ぎゃああ!」
何度か心臓に鈍痛を与えられる羽目になったグレンは、なかなか口を割ろうとしない支配人の衣服を燃やし、木に吊るすことで尋問を終えたのだった。
▽▽▽
下穿き一枚で吊るされた支配人いわく、ヒルデの同行人はベラスケス王国の貴族に買い取られてしまったという。
それを聞いたヒルデが眩暈を起こす傍ら、用済みとなった支配人はそのまま残してグレンたちは会場を後にした。モニカからは「レアード王国の騎士団に引き渡すべきでは?」と提案されたが──会場内の惨状を説明するのが面倒くさすぎるのと、そもそも盗賊が率先して騎士団に会いたいはずもなく。
「何でか知らねぇが殺人鬼もまだいるしよ!」
とっぷりと日の暮れた夜の森で、グレンは焚火に枝をぶち込みながら不満を口にした。
聖遺物“目覚めの森”から無事に脱出できたのは良かったが、余計なものが二つも付いて来てしまった。
一人は売られそうになっていた薄紅色の髪の乙女ヒルデ。同行人の身を案じるあまり今にも魂が抜けかけているが、こちらは無害そうなのでまだ許せる。
問題はもう一人、エクホルムの悪魔だ。この青年は人を殺すことに何ら躊躇しないくせに、嫌に義理堅いところが非常に迷惑である。ブランシュを保護していたモニカに恩義でも感じたのか、夜が明けるまで寝ずの番をするなどと言いだしたのだ。
「殺人鬼に見守られながらぐっすり寝れる奴がどこにいんだよ」
「別に俺は貴様が野犬に食い散らかされようが助けないぞ。守るのはモニカとヒルデだけだ」
「はいそうですかぁ! 頑張ってください!」
焚火のそばでフゴフゴ鳴いている子ブタを今すぐにでも丸焼きにしたい衝動に駆られたが、グレンはそれを溜息でやり過ごす。億劫な動きで丸太から腰を上げれば、外套を寝袋代わりに就寝しようとしていたモニカが声をかけてきた。
「あら、グレン。どちらへ? いつも一緒に寝るのに」
「言い方変えろ、一緒には寝てない! ……心配せずとも逃げねえよ」
「逃がしませんけど……ああ、行ってしまいました」
遠ざかっていくグレンの背中を見送りながら、モニカは宝石箱をしっかりと鞄に詰め込むと、逡巡の末に体を起こす。疲労で半分ほど眠りに落ちているヒルデを横たわらせつつ、彼女はそっとエクホルムの悪魔を見遣った。
「エクホルムの悪魔さん……って呼ぶと物騒ですね。お名前はないのですか?」
「無い。適当に呼べ」
「ならエクホルムさんで。グレンとはいつからお知り合いに?」
青年は目出し帽の隙間から、薄色の瞳をゆっくりとモニカに寄越す。就寝前の子守歌をねだる子供のような笑みを見詰め、彼は静かに星空を仰ぎ見た。
「数年前だ。行き倒れていたところを助けられた」
「まあ! グレンも優しいところがあったのですね」
「さぁな……。……モニカ」
「はい?」
「奴はまだ師を探してるのか?」
聞いた覚えのない話に、モニカは目を瞬かせる。彼女の反応で悟ったのか、青年は「何でもない」と問いを取り下げたのだった。




