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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
2.一飯の恩と永久の愛

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2-6

 エクホルムの悪魔と呼ばれる青年と出会ったのは、何も今日が初めてではなかった。

 光の神々が討ち漏らした現代の鬼神とまで恐れられる青年は、物騒な噂に違わぬ腕の持ち主だ。何者であろうと屠ってしまうその実力に魅入られた各国の王侯貴族は、莫大な報酬を提示してかの殺人鬼を買収しようとしたが、ついに誰の下にも就かず今日に至る。

 ──グレンは奇妙なことに、そんな空想じみた存在と何度も顔を合わせたことがあった。

 言うまでもないが、けっして親しい間柄ではない。


「……ひ、さしぶりだなぁ。エクホルムの悪魔さん、調子はどうだ?」


 既に返り血を浴びまくっている殺人鬼の調子なんて聞かずとも分かる。絶好調だ。

 それでも間を持たせるためにグレンは無理のある世間話を振ってみたが、青年の反応はよろしくない。じっとこちらの顔を見詰めた後、地を這うような声が返って来た。


「貴様、単なる盗賊かと思えば人売りだったのか……?」

「いやいやいや、俺の知り合いがドジ踏んで捕まっちまったんだ。だからこうして助けに来ただけ」


 何一つ嘘はついていないはず。

 グレンは進路を断つように突き立てられた剣をくぐり、じりじりと横歩きをしながら愛想笑いを浮かべた。

 しかし、エクホルムの悪魔はその鋭い瞳を動かしては、グレンの持つ小さな宝石箱を見咎める。


「貴様が人助けだと。嘘をつけ! それを盗むのが目的だったんだろ! この不道徳者め!」

「殺人鬼が何か言ってら──っだぁ!?」


 まばたき程度の時間で距離を詰めた青年が、容赦なく剣を薙いだ。それを間一髪で回避したグレンは、転がる勢いを利用して走り出す。

 柱から得物を引き抜き、双剣をそれぞれ握り締めた青年がその後を素早く追った。


「クソ、それが飯を奢ってもらった恩人に向ける態度かよ! 助けるんじゃなかったぜこんな狂犬!」

「貴様が行く先々で俺の名前を使っていることなどとっくに知っている! それを咎めていないだけありがたく思え盗賊!」

「うわマジか知ってたのか」


 ひょいと背後からの斬撃を躱したグレンは難しい顔で唸る。傍ら、舞台袖から出てきた人売りの男が代わりに断末魔を上げた。

 競売会場に引き続いて大混乱になった舞台裏を駆け抜ける最中、後ろの悪魔が斬り殺した人数などもはや覚えていない。このまま振り切れずに地下牢へ行ってしまえば、うっかりモニカの首が飛んでしまう気がした。

 最悪の場面を危惧したグレンは、なるべく人混みの中を選びつつ地下牢に続く階段を素通りする。


「っていうか俺を殺してどうなる! お前ブランシュが何とかかんとか言ってたろ!」

「人売りに加担した人間を生かしておくつもりはない! まず貴様からだ!」

「だから加担してねぇ! 人の話を聞け!!」


「──あっ、グレン!」


 え、とグレンは顔の向きを戻す。

 そこには何故か地下牢から脱出したモニカが、呑気にもこちらに手を振っていた。

 彼女の傍には薄紅の髪の少女もいる。そちらの方がグレンの状況をいち早く察したのだろう、サッと青褪めてはモニカの肩を引く。


「さっき親切な男の子が牢を開けてくれたんです! 外に出られましたよ!」

「モ、モニカ殿、逃げたほうが……!」

「ピンク髪!! そのアホ連れて外に出ろ!!」


 グレンの指示を受けた少女が慌ただしく動くのと、モニカの腕から子ブタが顔を覗かせるのはほぼ同時だった。

 リボンとフリルのチョーカーを付けた子ブタが「ブヒ」と鳴いた瞬間、後方から迫っていたはずの殺気が消え失せる。


 ──否、それまで以上の速度をもってグレンを追い越した。


 壁を蹴り、宙を駆けた悪魔が双剣を振るい、モニカの首を狙う。

 前触れもなしに標的となった彼女は瞳を瞬かせ、身を守る行動すら思いつかない様子だった。ようやくハッとした顔で後退った頃には、双剣が彼女の首を斬り飛ばさんと動く。


「モニカ殿っ──」


 少女の上擦った声が、目まぐるしく回る視界の端で聞こえた。

 グレンはすんでのところでモニカを両腕に攫い、勢いのままに床へ転がる。二人して肩や背中を打ち付けた後、グレンは引き抜いた短剣を直感のみで振り上げた。

 刹那、激突する三本の刃。

 長く尾を引いていた残響が止むと、全身から汗が噴き出し、忘れていた呼吸が再開する。

 目の前には依然として、グレンを圧倒するエクホルムの悪魔がいた。


「……珍しい。貴様が人を庇うとは」

「初の試みだ。褒めて良いぜ」


 後ろで頭を打ったモニカが悶えていることには、ひとまず目を瞑っておく。


「それよりお前、何でコイツを狙った。悪人以外は斬らねぇ主義じゃなかったか?」


 風に煽られた緞帳の隙間、仄かに光が射し込む。

 目出し帽から覗く薄色の瞳をあわく煌めかせ、青年はモニカを一瞥した。


「俺のブランシュを誘拐した犯人だ」

「は?」

「見えないのか? その女の腕に! 小さくか弱いブランシュがいるだろうが!」


 青年が勢いよく指差したのは、ピンク髪の少女──ではなく。ピンク色の子ブタだった。


「子ブタのことか?」

「そうだ!!」


 子どもが号泣するような剣幕で肯定した青年に、グレンは白目を剥きそうになる。いや、薄々分かってはいたのだ。この青年がの名前を連呼するはずがないと。


「……まぁ! この子ブタさん、ブランシュちゃんと言うのですか?」


 するとようやく頭の揺れが治まったモニカが、ぼさぼさの髪を直すことなく立ち上がった。ふらふらこちらへやって来ては、崩れ落ちるようにグレンの隣に座り込む。

 そして、笑顔で子ブタ──もといブランシュを青年に差し出した。


「森で寂しそうに震えていたのです。私の不注意で、一緒に地下牢に入ることになってしまって……ごめんなさい。お返ししますね」



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