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「──み、みみみ緑色の宝石箱なら、し、支配人様の部屋に」
「だからその支配人の部屋を教えろっつってんだろうがよ。その耳、聞こえてねぇなら削ぎ落してやるぞ」
「ひぃっ! このまま真っ直ぐ突き当たりまで進んで右です!」
ひたひたと頬に短剣を突き付けていたグレンは、ようやく聞き出せた情報に満足して男を殴り倒した。
同じ手段を繰り返しながら何とか天幕の二階へ辿り着いたものの、些か時間と労力が掛かり過ぎたような気がしないでもない。しかし命の危険を感じるほどの手練れがいるわけでもなし、人売りなど別に全滅させても何ら問題はないのだし、そう深く考えることではなかろう。
ずかずかと大股に通路を進むと、視界の右側がふと広がる。
天幕の屋根を木製の梁がしっかりと支える下、一階の競売会場が怪しげな光を放つ。天窓から取り入れた眩しい陽光がそのまま照明となり、また新たな商品を頭上から照らし下ろしていた。
「三百!」
「五百だ」
「他にはいらっしゃいませんか? それでは二十二番のお客様の落札となります!」
今でさえ盗みで食いつないでいるグレンだが、人間を売って金銭を得たことは一度もない。
そこに手を出せば最後、面倒な貴族と要らぬパイプを作ってしまうことは勿論、今以上の日陰者にならざるを得ないだろう。何より──自分とさほど変わらぬ立場の人間が売られていく姿を、他人事と思って見送ることなど出来ようか。
ここで雇われている屈強そうな男だって、支配人と客の言葉一つで舞台上に立たされるのだ。明日にも手足を削がれ、娯楽を求める貴族の見世物にされるかもしれない。彼らにそんな覚悟があるとは到底思えないが、鞭で打たれる側に回るのも時間の問題だろう。
それからもう一つ。こういった組織に属してしまうと、いざというときに言い訳が通じないのだ。
例えば騎士団が突入してきたり、予期せぬ正義の味方なんてものが会場に飛び込んで来たりしたときは、どんな言葉を並べようと罪人扱いされてしまうわけで──。
「……さあ、お次は本日の目玉商品! 世にも珍しい薄紅の髪を持つ乙女……」
司会者が意気揚々と両手を広げたときだった。
舞台を照らす光が遮られ、天窓から一直線に何かが舞い降りる。
軽々と着地した人影に、司会者と観客が呆けたのも束の間のこと。
不気味なフードで頭部を覆い隠した青年は、何の躊躇もなく双剣を引き抜いた。
「ブランシュはどこだ」
「へ……え?」
「答えろ外道が!!」
唐突に怒り出した青年が、目にも止まらぬ速さで双剣を振る。
司会者は何が起きたかもわかっていない顔で、派手に血を噴いて倒れてしまった。
一瞬にして会場全体が凍り付き、悲鳴すら上げられずに観客が硬直する。
そんな彼らをゆっくりと振り返った青年は、もう一度問いかけたのだった。
「貴様ら、まさかブランシュを買ったのか……? その薄汚い手でブランシュに触ったのかァ!!」
「キャアアアアアア!!」
前列に座っていた恰幅の良い男が斬り伏せられ、今度こそ絶叫が上がった。
そこからはもう阿鼻叫喚の地獄絵図である。怒り狂った青年に背を向け、それまで悠々と商品を見物していた貴族らが真っ青な顔で逃げ惑う。
そして大混乱の中で、誰かがいよいよ叫んだのだ。
「──エ……エクホルムの悪魔だぁ!!」
悲鳴再び。
二階の特等席で殺戮ショーを見る羽目になったグレンは、一人で顔を覆って蹲っていた。
「やばぁい……」
何故だ。何故あれが──エクホルムの悪魔がここにいるのだと、グレンは頬を引き攣らせながら会場を窺う。
今もなお片端から貴族を蹴散らしている青年は、確かにエクホルムの悪魔本人である。あのセンスの悪い目出し帽も、左右で装飾の異なる双剣も、獣のようにしなやかで俊敏な動きも本物だ。
「嘘だろ、やっぱりあのピンク……──!?」
そのとき、グレンの後ろを誰かが走り抜けた。
驚いて見れば、裾の長い派手なコートを着た男が、何やら荷物を抱えて裏口の方へと駆けていく。グレンはその袋に入った濃緑の宝石箱を見逃しはしなかった。
「支配人……! おい待て! その宝石箱置いてけ!!」
「は!? 何だ小汚い下男め! これは私のものだ!」
支配人の男は唾を飛ばして吐き捨てると、さっさと階段を下りていく。派手に登場した殺人鬼については下っ端に相手をさせて、自分だけ逃亡する気なのだろう。儲けと金品はちゃっかり独り占めにして。
「待てって、言ってんだろうが!」
手摺を飛び越えたグレンは、ちょうど踊り場で折り返してきた支配人の脳天を踏みつけた。そのまま支配人を下敷きにしてガタガタと階段を滑り下り、金品の詰まった袋を奪い取る。
「ぐ、や、やめ……それは全て私の……うぅ!?」
往生際の悪い支配人を舞台裏の方へ蹴り転がし、グレンはようやく宝石箱を引っ張り出した。どこにも傷がないことを確認し、天幕の裏口から出ようとしたが──すぐさま爪先を転換させる。
非常に不本意ながら、エクホルムの悪魔という規格外の危険因子が登場してしまった以上、何よりもまずはモニカの安全を確保しなければならない。
手違いでモニカが殺されるような展開に陥れば、有無を言わさずグレンも道連れになってしまう。本当に忌々しい魔術を掛けられたものだと、グレンが舌を打ったときだった。
「づぁっ!?」
とんでもない速度で回転した剣が目の前を横切り、柱に深々と突き刺さる。
行く手を塞ぐ刃に、グレンの引き攣った顔が反射する。彼が小脇に抱える宝石箱からは、どくどくと大きく脈打つ鼓動が伝わってきた。
噴き出す汗と共に視線をずらしていけば、予想通り。
「──貴様……何故ここに……?」
血を浴びたエクホルムの悪魔が、真っ直ぐにグレンを見据えていた。




