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生真面目な目許に緊張を滲ませたフォルクハルトに連れられ、グレンとモニカは大公の元へ向かうこととなった。移動の際にも複数の騎士が同行し、その只ならぬ雰囲気にグレンは少々気圧されつつ尋ねてみる。
「おい、ギレスベルガー。何があったんだよ」
長身の騎士は後ろを振り返らぬまま、一度だけ周囲を確認した。垣間見えた鋭い瞳は、モニカに恋慕を抱く初心な男のものではなく、まさしく大公に仕える騎士のそれである。
周辺に怪しい影がないことを確かめたフォルクハルトは、低く抑えた声で先程の問いに答えた。
「……アストレア神聖国の大司教殿が皇宮にいらっしゃいました」
予想外の返答に、グレンはついモニカと顔を見合わせてしまう。聖遺物“創生の地図”に関しての会合が数日後に迫っているにも関わらず、アストレア神聖国は昨日まで何の音沙汰もなかった。出欠の返事はおろか、聖遺物の扱いについても言及することはなく、ただひたすら沈黙を貫いていたのだ。
それを、よもや先触れもなしに皇宮へ訪問してくるなど。大公が警戒する理由としては十分すぎるだろう。
「フォルクハルト様、大司教というのは……メム=アステアが自ら帝都へ足を運ばれたということで?」
「はい。……帝国からの分裂以降、初めてのことです」
カレンベル帝国とアストレア神聖国。二国の不仲は年端の行かない子どもでも知っている常識だ。長い年月を経て、光の神々から徐々に離れていく勇者カレンの末裔と、それを良しとしなかった傍系の者たちの争いは、今日この日まで続いている。
言ってしまえば現在の帝室は光の神々──とりわけ天空神への過剰な信仰を嫌い、傍系の者たちと袂を分かったのだ。聖遺物の有無によって定められてしまった諸国の序列に対しても、長らく緩和を試みていると聞く。
そんなカレンベル帝国と正反対の思想を掲げるアストレア神聖国は、己こそが正統なるカレンの末裔であると主張し、大陸北部のグリーシナを聖都と定め、この帝都オルステッドには一度も足を踏み入れなかった。
──このような意地の張り合いにも思える歴史をかなぐり捨て、大司教メム=アステアは海神の愛した大地へやって来た。
しかしこれが二国の和解に繋がる第一歩になるだろうなどと、誰が楽観視できようか。
グレンはちらり、隣で神妙な顔をしたモニカを見遣る。神聖国が動いた理由はまず間違いなく、彼女の持つ聖遺物であると同時に、彼女自身の価値を高く見ているがゆえ。気を抜けばあっという間に搔っ攫われそうな予感がしたグレンは、ざわめく気分を落ち着かせるべく息をついた。
「会合当日まで、モニカ嬢との面会は謝絶することになりました。大公殿下が許可された方以外とはお会いになりませんよう」
「ええ、分かりました」
「それからグレン殿、神聖国の人間が貴殿に接触してくる可能性も高いかと。どうかご注意を」
「……ああ」
フォルクハルトの忠告に頷いたときだ。グレンが通りがかった出窓の向こうに見たのは、純白の旗を掲げた一団が城下町の中央通りを進む光景だった。
「ああ、戻ってきたね」
シュレーゲル伯爵令嬢にと大公から宛がわれた部屋には、柔和な顔立ちをした男が一人優雅に紅茶を楽しんでいた。白髪交じりの髪を決まり過ぎない程度に整えたその男が、ふとグレンの方を見遣ったとき、彼は瞬時に半歩下がってしまった。
(──こいつの親父か。そっくりじゃねぇか)
他人を見る冷めた眼差しが特に……などと失礼な思考が空気を伝ったのか、斜め前にいたモニカが笑顔で振り返る。
「グレン、私のお父様ですよ」
「見りゃ分かるわ」
「大丈夫です。取って食うつもりはないと昨日仰っていましたもの」
「そうそう、硬くなる必要はないよ。グレン君」
親子でどんな会話してんだというツッコミはさておき、シュレーゲル伯爵ことエッカルト・フェルンバッハは娘とそっくりな笑顔で着席を促した。会わずに済めばいいなと思っていた矢先の対面に、グレンは内心げんなりしつつモニカの後に続く。
上品なティーカップと多めのミルク、それから見るだけで甘そうな茶請けが並ぶテーブルの下、かなり使い込んでいる様子のサーベルが立てかけてある。言わずもがな伯爵の愛剣であることは明白のため、グレンはさりげなく目を逸らしておいた。
「さて、大司教がおでましのようだが……大した根性だねぇ。会合で何をしでかすのやら」
ぐっと背凭れに体を預けたエッカルトは、肩の凝りをほぐすように首を回す。馬車での長旅による疲れが取れていないのか、「歳だなぁ」とぼやきながら溜息を漏らした。
仕草だけなら立派な中年だというのに、グレンはひとつも気が休まらない空間に口内が渇いていくのを感じた。早く退出したいと願いつつ瞑目していると、茶菓子をつまんでいたモニカが静かに口を開く。
「……神聖国は何かカードを持っていると思いますか?」
「当然持ってるだろう。陽動に引っ掛かったことを根に持ってるかもしれないし、ああ面倒臭い」
でも、とエッカルトは腹の上で組んだ両手の、人差し指で互いの甲を叩く。
「帝国に助けを求めたのは賢い選択だ。よく思い切ったね」
「カルラのおかげです。あの子がアストレアの神官と接触していなければ、まだ帝国を頼るべきか否か、踏ん切りが付いていなかったかもしれません」
「パラディース卿がいるとは言え、ここも一枚岩じゃあないからねぇ。──おやモニカ、いつから砂糖もミルクも無しで紅茶が飲めるように?」
「紅茶は少し前からストレートで飲めます」
「ああ、平民の宿は大体そうなのか。よかったよ、どこぞの男に好みを変えられたのではなくて」
会話の流れがだいぶおかしい。そして全身にビシバシと殺気を感じる。グレンは目を開けようとして、そのまま小刻みにかぶりを振る。モニカの紅茶事情など一つも介入していないし何ならさっきは大麦茶が飲めない彼女にミルクを突き付けてやったぐらいである。そいつは多分いまも甘党のままだと必死に無関係を訴えていれば、しばらくして鋭い視線が外された。
(おい誰だ、父親が娘を聖遺物のお守り程度にしか見てないとか言ったのは!? どこ見て生きてきたんだこの箱入り娘──)
滲む冷や汗はそのままに片目を開けたグレンは、俯いたままちび……と紅茶を飲むモニカを見付けて絶句する。
(どこも見てねぇな!! 何だこいつ体調不良か!?)
何となく事務的な返答ばかりだなとは思っていたが、どうやらモニカは思った以上に父親との会話が苦手らしい。実母が病で亡くなって以降、ずっとこんな調子だったのだろう。ちょうど昨日、ハヴェルから伯爵夫妻の仲について語られたが──そう簡単に態度を変えられるはずもなく、といったところか。
しかしだからと言ってエッカルトに「娘さんがあなたの愛情を疑ってるのでもっと分かりやすく接したらどうですか」などと口が裂けても言えない。言いたくない。殺されそうな気がする。
理不尽な殺意はエクホルムの悪魔で十分すぎるほど経験してはいるが、そんなもの自ら好んで向けられたくはないのだ。
だが見れば一発で分かる父親の溺愛っぷりを、モニカに教えてやらないままというのも何だか──ひと足先に、ハヴェルと一応の和解を得た身としてはしこりが残るような。
(こいつなら気付きそうなもんだけどな……)
テーブルに載ったミルクも砂糖も、手を付けた様子のないエッカルトには不要なものとすぐに分かる。これは全て甘い紅茶が好きなモニカのためにわざわざ用意したものだろう。他人の観察が得意な彼女は、父親の言動に限っては何ひとつ汲み取れないようだった。
そもそも父親の顔を見ずに会話しているので土台無理な話かと、グレンが雇い主の思わぬポンコツ具合に呆れたときだ。
「シュレーゲル伯爵、パラディ―ス大公殿下がお呼びです」
「おや、神聖国がさっそく何か言ってきたのかな。ちょっと行ってくるよ。グレン君、娘を頼むね」
「え、ああ……」
エッカルトが緩慢な動きで立ち上がり、サーベル片手に部屋を出て行った。
去り際、猛禽を思わせる琥珀の瞳に射抜かれたグレンは、頬を引き攣らせて硬直することしか出来ず。
「……おい、お前──」
「グレン、どうでしたかっ?」
「は?」
そうしてモニカに声を掛けると、食い気味に彼女が身を乗り出した。
「は? ではありません、私の態度は娘としてどうでしたかと聞いています! 昨日も久しぶりにお会いして少し思ったのですよ、お父様って意外と冗談を仰る方なんだなと! だから今日は意識して喋る言葉を長くして、あっ初めてお茶の話をしましたね! 全く興味ないと思っていましたが私の紅茶の好みをうすうす感じ取っていただけてたなんてびっくりです、こんな気付きを得られたのはきっとグレンやハヴェルさんのおかげ……グレン? 聞いてますかっ!?」
「…………。聞いてる聞いてる」
まあ別に放っておいていいかと、グレンは冷めた紅茶を飲んで姿勢を崩したのだった。




