2-3
「──さっきの女はどうした?」
「ああ、なかなか良い値で売れそうだったから牢屋に入れといた」
「そりゃいい、今日は盛り上がるな」
がはは、と酒瓶片手に景気よく笑う男二人の背後へ迫り、走る勢いのままに後頭部を殴りつけた。半ば吹っ飛ぶようにして前のめりになった彼らは、傍らの木に顔面をぶつけて敢え無く沈黙する。
両の拳をひらひらと振りながら、グレンは森に隠された巨大な天幕を仰ぎ見た。
「ったく、人売りかよ。面倒だな」
モニカ(とついでに子ブタ)を“目覚めの森”の外に誘導したはずが、よもや人身売買の会場が進路にあるとは誰も思うまい。
裏手から正面の入り口を見てみれば、地味な旅装に身を包んだ男がぞろぞろと天幕の中へと入っていく姿があった。外見は平民に扮しているが、恐らくはどれも大金持ちの貴族だろう。
「よくこんなところに目ぇ付けたな。誰にもバレてねぇだろ」
聖遺物“目覚めの森”は奥地にさえ行かなければ、無法者にとって絶好の隠れ家だ。ぎりぎり外へ引き返せるぐらいの場所、かつレアード王国騎士団の巡回経路から外れた場所を選べば、こんなふうに拠点さえ築けてしまう。
とは言えこれだけの貴族が利用するのだから、騎士団に金を握らせている可能性も無きにしも非ず──。
レアード王国の後ろ暗い事情は自分には関係ないとして、ともかく今はモニカだ。伯爵令嬢が他の貴族に売られるなどという間抜けな事態に陥ることは別に構わないのだが、それは贋物“隷属の箱”を抜きにした場合の話である。
このままモニカが誰かに買い取られることになってしまえば、自分の心臓も帰ってこないかもしれない。いや、旅の頓挫を悟ったモニカが「ここまでですね……」と自ら命を断ちかねない。それはもうあっさりやりかねない。
「おい、いつまで酒飲んでんだ? 早く戻っ──」
不意に現れた男の顔面を振り向きざまに殴り倒し、そのまま付近の崖下に蹴り落とす。緑の中へ悲鳴が沈んでいったところで、グレンは天幕の裏口とおぼしき簡素な出入口を見遣ったのだった。
その天幕は一見すると曲芸団体の会場だが、一歩踏み入れば噎せ返るような香が充満し、暗く落とされた照明が何とも怪しい雰囲気を醸し出していた。
内部には華奢な椅子がずらりと並び、既に多くの客で埋め尽くされている。仮面で素顔を隠したまま彼らが見るのは、言わずもがな上品な歌劇などではなく、舞台上に晒された哀れな商品だ。
首輪に手足の枷を嵌められた黒髪の少女は、薬でも嗅がされたのか意識がない。椅子の上にぐったりと乗せられた姿を指し、司会者が意気揚々と口を開いた。
「さてお次は何と、謎多き西大陸からやって来た少女でございます! 残念ながら今は眠っておりますが……この娘、碧海を丸ごと宿したような非常に美しい瞳を持っておりまして。素朴で穢れのない容姿も然ることながら、宝石と同様に観賞用として傍に置いてみてはいかがでしょう?」
ほお、と観客が沸く。ついで司会者が買受けを促せば、次々に貴族が札を上げた。
グレンは競売の光景を後目に、さっと舞台袖に体を滑り込ませる。奥まった通路を進めば案の定、地下へ続きそうな階段が闇に浮かんだ。
「おい、誰だお前」
素知らぬ顔でそこを下りようとすると、ちょうど階下から商品を引き連れた男と鉢合わせてしまった。グレンはちらりと後ろの女の顔を確認する。モニカではない。
「見ない顔だな。無関係者は立ち入り禁止……」
「いやあー、悪いね。新入りなんだ。あんたと会うのは今日で初めてかもな」
「新入りだと?」
それまでの無表情から一転、グレンは人当たりのよい笑顔を浮かべ、懐から一枚のメダルを引き抜く。
「これを持っていけって言われたんだが、合ってるか?」
銅で作られたそのメダルは、先程グレンが天幕の外で昏倒させた連中から拝借したものだ。もうひとつ銀製のメダルもあったのだが、恐らくこちらの方が下っ端の証だろう。
そんなグレンの見込みは当たっていたらしく、男の怪訝な顔つきが少し和らぐ。
「最初からそれを見せろ。じゃあお前、地下の掃除やっとけ。商品が汚れてるってクレームが来たんだよ」
「了解ー」
警戒心の薄い男だ。グレンは階段を下り切るなり笑みを引っ込め、コインを指で弾きつつ懐に戻した。途中、女から縋るような視線が寄越されたが、彼が答えるはずもなく。
松明の灯に点々と照らされた、暗い地下牢が視界に広がる。かなり整備が進んでいるところを見るに、やはり長いこと“目覚めの森”で競売をしているのだろう。
どんよりと湿った空気のなか、すすり泣きと助けを求める声がグレンの耳にまとわりつく。それらを素通りしながら、グレンは虱潰しに牢屋を回った。
やがて辿り着いた最奥の牢屋から、場違いとも言える元気な声が弾む。ここ最近ですっかり聞き慣れてしまった、モニカの声だ。
まだ売られていなかったかと安堵する一方、少しは怖い思いをしてくれたら良かったのにと意地の悪い気持ちが顔を覗かせる。とは言え舞台に晒されてしまえば奪還が面倒だ。ここはさっさと牢屋から出すべきだろうと、彼は素直に声を掛けようとしたが。
「──元気を出してください。私の知人がきっと助けに来てくれますよ」
「知人……?」
「ええ! 金髪にエメラルドのような目をした……一見すると人相の悪いチンピラなんですけども!」
人相の悪い捻くれたチンピラはそこでピタッと足を止めたのだった。




