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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
13.青に魅せられて

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13-1

『リュリュ』


 晴れた海原を前にして、少年を呼び止めた声はわずかに強張っていた。


 一足先に商船へ乗り込んだヒルデの背を見届け、何かと思い振り返ってみれば、険しい表情の養母がいる。真白い雪の中に立つ姿ばかり見ていたせいか、活気あふれる港町の景色は、彼女にはあまり似つかわしくない。


『何ですか、ユスティーナ様』


 出発の挨拶ならつい先程、婚約者と共に済ませたはず。他に何か話すべきことがあったかと不思議に思っていると、軽い仕草で手招きをされた。歩み寄れば、もたらされるは億劫な溜息。


『此度の調査、あまり気負うでないぞ。……そなたが危険を冒してまでやることじゃない』

『……。影の精霊の研究は、エルヴァスティにとって急務でしょう』

『だがあんな戯言さえなければ、海を渡ろうとも思わなかっただろうに』


 養母の言葉に、リュリュは少しの間を置いてから頷く。


 確かに、たった一週間ばかりの遠出でさえ厭う自分にしては、随分と思い切った行動に出てしまった。広い海を越えた先、ほとんど交流のない未知の大陸に行こうだなんて、普段の少年なら決して提案しなかったことだろう。


 例えそれが、自分を含めた精霊術師たちの興味を惹いて止まない影の精霊──暗黒を調査するためであったとしても、他の者を雇い遣わせばよいだけのこと。公爵家の跡取りとして引き取られた身を思えば、当然そうすべきであった。


 そうしなかったのはひとえに、先日行われた御前会議での一件があったからだ。


 ──本当に、リュカ殿を大巫女の座に就かせるおつもりですか? フルメヴァーラ公爵。


 居丈高に問う声。そこに滲むは明らかな侮蔑だった。


 エルヴァスティ王国には、太古に生きた「賢者アイヤラ」を創始者とする、精霊術師たちのための学び舎がある。メリカント寺院と呼ばれるその施設で、最高責任者に位置する役職が大巫女だ。


 寺院に集う全ての精霊術師をまとめる立場であることから、大巫女には非常に優れた精霊術師が据えられる。現在では養母のユスティーナがこれを務め、半年ほど前に厳しい審査を合格したリュリュが後継に選ばれた。


 つまりは、確かな実力と正式な手順を踏んだ上で次期大巫女の座を獲得しているわけだが──ここに来て人選に異を唱える者が出てきたのだ。


 大巫女はメリカント寺院の総責任者であると同時に、国王の相談役としてもしばしば意見を求められる機会がある。災害時の対応に始まり、ときには行政に口を出すこともあるため、貴族から不満が上がるのも無理はない。


 しかしそれは国王と貴族たちによって執り行われる政治活動を、第三者の目から公平に判断するという意味でも必要な権限だった。大巫女に据えられる者が、精霊術だけでなく様々な分野で秀でていなければならないのも、相談役を務めるための必須条件というわけだ。


 その上で、既に大巫女としての器を認められているリュリュに対し異論を展開したのは、前々からフルメヴァーラ公爵家を目の敵にしていた者たちだった。


 ──リュカ殿は確かに素晴らしい精霊術師ですが……平民上がりの人間を陛下の相談役に据えるというのは、如何なものかと。


 リュリュにとって、こういった当てこすりは何も初めてではなかった。自分が平民であったことは紛れもない事実で、何をどうしても変えようがない。ゆえに「またか」と聞き流す姿勢を取ったのだが、続く言葉には腸が煮えくり返った。


 ──しかも、ローデヴェイクの姫君は精霊術に適性がないと伺いました。失礼ながら、箔をつけるためだけに選ばれた王女に、大巫女を支えるだけの器量があるとはとても……。


 それまで目を閉じて黙っていたリュリュだったが、あわや発言した貴族めがけてナイフを投げそうになった。無論、傍から見ればちょっと苛ついたようにしか見えなかっただろうが、少年の内心は大荒れであった。精霊術の武力行使を禁ずるアイヤラの掟さえなければ、会議が終わった後ボコボコにしていたのではなかろうかと少年は今でも思う。


 だが、その貴族の言っていることは事実だった。ヒルデに精霊術の知識がないのも、箔をつけるためにリュリュの婚約者として選ばれたことも。何一つ間違っていない。ゆえに反論しなかった。


 否、できなかったのだ。


『……僕自身はどう言われようが正直どうでもいいんですけど、ヒルデまで悪く言われるのは我慢できないので』

『うむ……まぁ……そなたが王女殿下を気に入っておるのは分かるが……』

『向こうでヒルデと一緒に影の精霊についての情報を持ち帰れば、二度と馬鹿げた文句は言わないそうなので』

『侯爵に詰め寄って約束させておったな……いやあれは脅迫と言った方が正しいか……』


 良い歳した大人が半分泣いておったではないか、という養母の呆れた苦言を聞き流し、リュリュは素知らぬ顔で穏やかな海を一瞥する。


『影の精霊が何なのか。僕らが手懐けられるものなのか、確かめてきます。……アレと対峙した経験があって、なおかつ自由に動き回れるのは僕ぐらいしかいませんから』

『……』

『もしも向こうで影の精霊を見付けても、無闇に近づくような真似は──』

『リュリュ』


 柄にもなく心配を露わにする養母を安心させるべく言葉を並べていたら、静かにそれを遮られた。


 つと鼻先を戻してみれば、昔より幾分か老いた眼差しに迎えられる。


『影の精霊とは別に、そなたに言っておくことがある』

『……?』


 もしや彼女の浮かない顔は、そちらの件が気掛かりだったがゆえか。リュリュが不思議に思いつつ傾聴の姿勢を取ると、養母は周囲をさっと見回してから囁いたのだった。



『……妙なモノに付きまとわれていると感じたら、殿下と共に逃げよ。……よいな』



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