12-3
「──まぁ、ではイーリスさんはグレンの幼馴染みなのですか? 何がどうしてこんな……一人だけチンピラに……むぐ」
「うるせぇぞ」
哀れみの目を向けられたグレンは、モニカの言わんとしていることを察してその顎を片手で掴んだ。
同じ教会に引き取られた孤児同士といえど、片や貴族の養子に、片や盗賊に身をやつしているのだから思うところはあるかもしれないが、それはもはやどうにもならない。
正直な話、グレンからしてみればイーリスは非常に幸運な部類に入る。身元の分からない子どもを引き取り、そのうえ召使いではなく養子にしてくれる貴族など滅多にいないのだから。
ゆえに昔は、彼女の持つ強運に嫉妬さえ覚えたものだが──おどおどとやり取りを眺めるイーリスの姿を横目に、グレンは小さくため息をついた。
「イーリス、お前もう少し寝とけ」
「えっ」
「話すのも帰るのも熱下がってからだ」
そうすげなく言い放つと、イーリスが目に見えて落ち込んだ顔をした。
家出してきたと言うくらいなのだから、養親の元に帰りたくないのだろう。グレンとて、引き取っておいて外出すら許さない貴族に少しの怒りは覚えるものの、このまま彼女と一緒にいるわけにもいかない。
長くたおやかな薄水色の髪を顔の両側へと退けて、グレンはその体調の悪そうな顔を覗き込んだ。
「いいかイーリス、貴族は手段を選ばねぇ奴が大半だ。そこの女が良い見本だな」
「え? まさか私のことですか?」
「そのまさかだ何を驚いてんだ。……お前を力づくで家に戻そうとする可能性だってある。面倒なことになる前に自分から帰った方がいいだろ」
心底驚いた様子のモニカに相変わらず自覚がないことはさておき。
イーリスは口をつぐんだまま、グレンの含めるような言葉に小さく頷いた。何か言いたいことがあるにも関わらず、こうして沈黙を選んでしまうところは昔と同じだ。素直と言えばその通りだが──自分の意見を殺してまで相手に従う癖は、あまり褒められたものではない。
別にこれは叱っているわけではないと言外に伝えるべく、グレンは俯きがちな頭を押すように撫でた。
「起きたら何がしたいか考えとけ」
「……!」
伏せられていた瞼が押し上げられ、色素の薄い睫毛が瞬く。
幼い頃も、なかなか寝ようとしないイーリスに小さな約束をしたものだ。薬を飲めたら、熱が下がったら、好き嫌いせずに食事できたら──シスターの真似をしてご褒美制にしたら、イーリスがとても素直に言うことを聞いたから。
さすがにこの歳になると通用しないかと思ったが、予想に反してイーリスは泣きそうな笑顔を浮かべていた。
「うん。……お願い、聞いてね。グレン」
▽▽▽
讃美歌は止んでいた。祈りの時間へと移行した聖堂には、聖書を読み上げる司祭の声が微かに響く。長椅子に尻を敷き詰めた少年たちが、少し眠そうに耳を傾ける姿が遠目に見えた。
光の神々の教えを聞くつもりのないグレンが、そのまま静かに外へ続く扉をくぐると。
「グレン、イーリスさんが引き取られた家の名前はご存知ですか?」
頃合いと見てか、後ろを付いて来ていたモニカが尋ねる。振り返れば、こちらではなくロジタ湾を眺める薔薇色の瞳がそこにあった。
グレンもそちらに視線を投じつつ、教会前の大木に背を預ける。
「いや。シスターからは貴族の家とだけ教えられた」
「そうですか。でもメイドや侍女としてではなくて、養女として引き取られたのですよね? それなのに外出禁止とは……彼女の扱いがどうにも解せません」
「……。貴族の娘ってのは成人するまで外に出ちゃいけねぇのか?」
「いいえ? 私、思いっきり出ていましたよ」
そうだった。こいつは学院を首席合格して大衆食堂で楽しく働いていた女だったと、グレンは今さら思い出した。
「実の娘を溺愛して外に出さない、なんて話はまぁ、たまに聞きますけれど……教会から引き取った孤児を必要以上に拘束する意味は何だろうと思ってしまって」
そこでモニカは眩しげに目を細めて、自身も木陰に入ってくる。白い頬に強い光がちらつく様を見たグレンは、殆ど無意識のうちに彼女のフードを深く被せていた。
「何ですか? 前が見えません」
「…………何でもない」
「あ、ねぇグレン。イーリスさんがもともと貴族だったという線はありませんか?」
手を離すと同時にモニカが顔を上げ、そんなことを言い出す。
イーリスが元から貴族だった。それが事実だとすると、彼女は貴族から捨てられ、また別の貴族に引き取られた形になる。考えるだけで腹の辺りがムカムカとしたが、あながち見当外れでもないかもしれない。
イーリスは教会に預けられたばかりの頃、ずっと泣いていた。引き取り先が貴族だと知ったときは、それ以上の癇癪を起こしていたように思う。
──彼女の出自に何か事情があるのは明白だろう。
しかし本人がそれを打ち明ける兆しはない。いや、もし打ち明けてきたとして、自分に何ができるというのか。話を聞くだけ聞いて何もしないなど、無駄な期待を抱かせるだけではないか。昔のように、またイーリスを中途半端に助けて見捨てることになりやしないかと、罪悪感がグレンの足に重たい枷を嵌めるようだった。
「グレン。イーリスさんが大事なんですね」
思わぬ言葉でわれに返ったグレンは、思考を中断してモニカに視線を戻す。
フードで半分ほど隠れた彼女の横顔から、感情の読めない口元が覗いた。その血色のよい唇が弧を描けば、ようやっと微笑を湛えた薔薇色の瞳が姿を現す。
「今日はイーリスさんの傍にいてあげてくださいな。グレンに会いに来られたのでしょう? 彼女のせっかくの時間と労力を無駄にしてはいけません。私は大公殿下の別邸におりますから、護衛は心配しなくてよろしいですよ」
「はっ?」
「一応の備えとしてフォルクベルガー様も就けてくださるようなので、それじゃ、よい休暇を」
「良い感じに略すな。おい、ちょっと待て!」
すたすたと別邸に向かって歩き出したモニカを追いかけ、その腕を掴み寄せた。きょとんと振り返った不思議そうな目に答えることはせずに、右手の指輪を回す。
「──光よ、天翔ける薫風よ」
血と呪文に応じて姿を現した風の聖霊が、ふわりと淡い光を帯びてモニカを包み込んだ。くるくると螺旋を描きながら空に消える様を見届け、グレンはゆっくりと手を放す。
「今のは?」
「障壁だ。あのガキがやってたろ」
リュリュがヒルデの身を守るために施していた守護の魔術と同じだと簡潔に説明すれば、モニカが自分の手を裏返しながら首を傾げた。
「まあ! グレンもこのような魔術が使えるのですね。でもどうして私に?」
「護衛だから」
「……」
珍しくぽかんとしている雇い主に、グレンは溜息まじりに告げておいた。
「今は俺の意志で護衛やってんだから、当然の処置だろうが。ちなみに相手がギレスベルガーでも、お前に触っただけで弾かれるようになってるから本人に言っとけ」
「ずいぶん物騒ですね。なぜフォルクハルト様まで?」
「ただの保険だ」
素っ気なく答えた後、訪れる沈黙。
じっと手のひらを見詰めていたモニカが、次第にその口元を緩めて笑う。フードで隠れて見えないとでも思ったのか、それはあまりに無防備な笑顔だった。
先ほど自分で被せたフードが少々邪魔に思えてきたところで、モニカが途端に上機嫌な声を出す。
「うふふ、お気遣いありがとうございます。あのグレンが積極的に護衛のお仕事をしてくださるなんて、感動で涙が出そうですねぇ。私も貴族の姫らしくご褒美のキスでもさしあげましょうか?」
「へえ、いいのか」
「なんて冗談ですよ、そう怒らず……はい?」
グレンは背を屈めると、呆けているモニカの顔を覗き込んでは意地悪く笑ってやった。
「どこにしてくれんだ? 俺の雇い主様は」
モニカが崩れ気味な笑顔で固まる。自分で言った通り冗談のつもりだったのだろう、浮かせた両手に動揺が色濃く表れていた。
正直なところ、彼女の調子を突き崩せただけで満足だったのだが、ほっそりとした指先が頬にかけられたことには驚いた。
「あ? おい──」
つい目を剥いてしまったのも束の間、すぐに艶のある銀髪が間近く迫る。
甘やかな香りが鼻腔を掠めるのと、やわらかな感触が頬に当たるのは同時だった。
「…………」
無論そこに押し当てられたのは唇ではなく、モニカの頬だが。
お互いの頬をくっつけた状態でしばらく固まって、中腰が辛くなってきたグレンは低く呟く。
「……なん……何だこれ」
「チークキスですね」
「……」
期待などしていない。断じてしていなかったが、肩透かしを食らったような漠然とした落胆に、グレンは思い切り顔を顰めてしまったのだった。




