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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
2.一飯の恩と永久の愛

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2-2

 手のひらサイズと言っても過言ではない、小さな小さな子ブタ。

 折れた耳には可愛らしい真っ赤なリボン。わずかにくびれた首元には、純白のフリルで縁取られたチョーカー。

 その辺の村娘より洒落た格好をした子ブタは今、清澄な湖の水をごくごく飲んでいた。丸い尻の先、くるんと弧を描いた尻尾が揺れる様を、グレンとモニカは後ろからじっと観察する。

 暫しの沈黙を経て、何が悲しくてブタの尻など眺めなければいけないのだと我に返ったグレンは、頭痛を堪えるような仕草でかぶりを振った。


「……早く元の場所に戻してこいって、俺は宗教上の理由でブタが嫌いなんだよ」

「まあグレンったら信仰心の欠片もなさそうなのにそんな」

「じゃあ個人的な事情だ! とにかくブタは嫌な予感しかしねぇ!」

「可哀想です! さっきも寂しそうに震えていたのにっ……私には子ブタさんを置いて行くことは出来ません!」


 ブタにかける慈悲心はあるくせに、他人の心臓は平気で手荒く扱うこの女がいつにも増して憎い。

 言い合いに疲れたグレンは大股に子ブタへ歩み寄り、胴体を引っ掴んで持ち上げる。


「きゃあー! 乱暴は駄目ですグレン!」

「こんな大層に飾り立てられてんだ、どうせ飼い主がいるんだろ。さっさと戻すに限る!」

「捨てられてしまったのかもしれませんよ。もしグレンのような小悪党に捕まったら食用ブタとして丸焼きにされてしまうかも……ひっ、何て残酷なことを想像させるのですか!?」

「どこから怒ればいいか分かんねぇほど失礼だなお前──あ」


 丸焼きという言葉に反応したのか定かではないが、子ブタがグレンの手から脱出した。そのまま草むらに落っこちては一直線に森の中へ駆け、あっという間に姿が見えなくなる。


「何だ、手間が省けたな」

「ああ、子ブタさん……ってグレン! あちらは“目覚めの森”方面ではありませんか!?」


 レアード王国の管理下にある聖遺物“目覚めの森”。

 神聖な空気を纏う一方で、一度足を踏み入れれば二度と外に出られないという曰く付きの森だ。

 光の神々の一柱である植物神ラートルムが眠りに就いた場所とも言い伝えられるため、人々は大都市ラトレからその外観を拝むことしか許されていない。

 レアード王国では心の清らかな少年少女が森に迷い込み、途方に暮れたところで美しい女性に導かれて生還するといった御伽噺が多く遺っているが、所詮は作り話だろう。

 何にせよ、不用意に神域へ立ち入りラートルムの眠りを妨げたならば、サクッと命を落とせる場所としても有名だった。


「まあ……別にブタなら雑草だけでも生きられるだろって、おい!?」

「子ブタさーん! 戻っておいでー!」


 それほど子ブタの身を案じていないグレンが踵を返そうとする傍ら、対するモニカは一大事だと言わんばかりに子ブタの後を追いかけてしまう。

 すぐさま襟首を掴み寄せるべく手を伸ばしたものの、あと一歩足らず空を切る。意外と足の速いモニカの後を追いかけながら、グレンは悲痛な叫びで訴えた。


「待て待て待て! ブタはともかくお前は絶対に行くな! いや行っても良いけど心臓は返せ、頼むから一人で死ね!」


 子ブタ、モニカ、グレンの順で走り抜けるたび、ばさばさと至る所から鳥が飛び立つ。

 ようやく忌々しい銀髪に手が届きそうだというとき、彼はハッと周囲に視線を巡らせた。緑で構築された景色に目立った異変はないが、どうにも視界が薄暗い。靄が立ち込めたかのように目がかすむ。

 前を走るモニカの姿さえおぼろげになってきた頃、グレンはついに足を止めてしまった。


「くそっ……──光よ、天翔ける薫風よ」


 これ以上進めば“目覚めの森”が放つ気にあてられる。

 聖遺物然り、贋物然り、厄介なものには極力近付かないというのが魔術師における共通認識だ。だからこれは決して、断じてモニカを助けるためではないと己に言い聞かせながら、グレンは指輪の刃を回した。


「あのクソ女を外に誘導しろ! 子ブタもだ!!」


 皮膚から血が滴れば、ふわりと生じた風が供物を喰らう。グレンの言葉を聞き届けた風の聖霊は、モニカの後を追って木々をすり抜けていった。



 □□□



「捕まえた!」


 思い切って右足を大きく踏み出し、疲れ気味の子ブタをひょいと抱え上げる。

 土や葉っぱでまみれたピンクの体を払ってやりながら、久々に全力で走ったモニカも一息つく。


「いけませんよ子ブタさん。あまり奥に入ると戻ってこれなくなりますからね」

「フゴッ」

「さてと、戻りましょうかグレン──あら? グレン?」


 てっきり後ろにいると思っていたグレンの姿が見当たらず、きょろきょろと視線を巡らせる。そういえば途中から彼の罵声が途切れたが、面倒臭くなって引き返したのだろうか。

 そよぐ森を見渡したモニカは足跡を確かめつつ来た道を戻ろうとしたが、その進路を阻むように突風が吹き抜ける。驚いて顔を上げてみれば、淡い翠色の光が彼女の身体をぐるりと旋回し、絶えず別の方向へ流れていく光景があった。


「……まぁ! もしかしてグレンの魔術でしょうか? 綺麗ですねぇ」


 そっと手を伸ばしてみると、仄かに指先が温かい。陽だまりのなかに肌を晒したときのような、爽やかな空気がモニカを包み込む。

 やがて背中を優しく押され、彼女の足が一歩ずつ前へと動いた。その方向は来た道とは真逆だったが──“目覚めの森”の歩き方は、人間の常識に当てはめたところで通用しないだろう。大して焦ることもなく、冷静な面持ちでモニカは風の聖霊に従った。

 細い獣道を進んでいくと、次第に視界が開けてくる。ひたすら続くかと思われた木々の群れが途絶え、眩しい光がモニカの顔を明るく照らした。



 黄金に染まる葉脈。

 淀みなく流れゆく小川。

 一本の大樹を抱き込む瑞々しい草花にまぎれて、誰かがやすらかに眠っている。

 揺れ動く青い影の下、ゆっくりと美しい人は目を覚まし──呆けた人間の娘をまっすぐに射抜いた。



 はっと、モニカは瞼を瞬かせる。

 大樹の下には誰もいない。

 否、彼女が今見ていたはずの大樹はどこにもなく、他と同じ真っ直ぐな幹がそこに立ち連なっているだけだった。


「今のは……?」

「ブヒ」

「ああ、ごめんなさい。早く外に行かなくては」


 子ブタの存在を思い出し、気を取り直してモニカは歩みを再開する。しかし三歩も進まぬうちに、彼女は先程とはまた異なる、奇妙な景色をそこで見ることになった。


「あら、こんなところに立派な天幕が……」


 “目覚めの森”の周囲に建物の建築など許されていただろうか、と首を傾げたのも束の間、モニカの視界は暗く閉ざされてしまった。


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