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小説「YOSHI」前説

作者: 真木 山太

第一章「新たな旅立ち」


     第一話「上京」        完

     第二話「大学生活の始まり」  完

     第三話「燃ゆる愛」      完

     第四話「新しい年の始まり」  完


第二章「愛・友情・絶望」


     第五話「愛・結末への助走」 完

     第六話「求め合う二人」   完

     第七話「愛と幸せと友情」   完

    第八話「輝く太陽のように」 完

    第九話 「厳しき現実」    完

    第十話 「YOSHI」    完

    第十一話「明子の病」     完

    第十二話「友の死」完結編 掲載中



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ネット小説「YOSHI」を私が書く事になった

大元の理由は私が大学時代に儚く寂しく死んで

いった友人の死がある。

大学を出てもう30年近く封印してきたのには訳がある。

彼の死が私の人生をも変えてしまうほどの衝撃を与えた

からである。

人生最良の友と信じていた友、何でも語り合えた友

同じ釜の飯を食い、一緒に泣き、一緒に笑い、辛いとき

嬉しい時寂しい時悲しい時その全てを実の兄弟以上に

仲良く過ごしてきた日々ある日彼は突然に私の前から消えた。


共に大学2年|(昭和51年10月18日)の秋の事だった

大学近くにある10階建て雑居ビルの屋上から飛び降り自殺したのである。


私が知ったのは二日後の事だった。

何の連絡もないので彼が移り住んだアパートを訪ねていって彼のお母さんが彼の荷物の整理を

している所だった。


私も驚いた。まさか何故、様々な彼との会話が蘇ってきた。


その思いをこれまで私は封印する事で逃げてきた

私に告げずに、自殺した事への憤りもあった。

何故俺に一言言わなかったのかと彼を責めた


30年を過ぎて私の思いは変ってきたと過ごしたあの日々を彼が生きた証を残して

やれないものかとそれが一人旅立った彼への供養になるのではないかと・・・・


彼と俺しか知らない青春の一時を、失った彼の両親へのささやかな弔いの気持ちとして、

この小説を書き始める事にしたのだ。


亡くなった彼の本名は明かせない。小説の上で仮名 松岡義雄とした。

義雄の事を YOSHI と呼んでいたからだ実際は よし でも ヨシ でもいいのだが

あえて YOSHI とした。

よしお というのは 本当の呼び名である。小説は昭和50年3月 大学生活を始める

為に横浜に移住する場面から始まる。大学名は 私立 神奈川大学である。

私は 工学部 電気工学科

YOSHIは 工学部 建築学科

共に工学部同士である。


私の出身は 香川県

彼の出身は 宮城県


そんな二人が 希望に胸膨らませ大学に入学初めて六角橋商店街入り口

交差点で出会う事になる。


そして、一年余にわたる彼との生活、そして彼の死、彼なき後の私の転落ぶり


就職、恋愛、失恋、失望、希望あらゆる人生の経験をこの小説に

書き綴っていきたい。彼の供養と、自分への励ましとして。


ここで作品に出てくる武志の母(俊子)の事について触れておきたい。

この作品の武志に大きな影響をもたらしているからである。


武志の母(俊子)について


母(俊子)は昭和5年(1930年)生まれ 大阪松原に父(増田俊一)アキノ

間に産まれる。その後父俊一は俊子が小さい時分に病死しアキノの手によって

育てられる。増田俊一は元陸軍将校であった。若き時に結核を病み若年で亡くなった。

俊子の母アキノは旧姓に戻り、大川姓に戻る。武志の母は(増田家)に跡継ぎがいない

ため増田姓を名乗る事になる。


その後大阪での生活に困窮したアキノは俊子を連れて香川に親戚を頼り高松市に住むようになる。

その後、俊子は、19歳に父(槙田寅三)と見合いして結婚する。


持病の腎臓病は既に結婚する前から患っていた事しか分からない。

武志を産む前に二度妊娠するも、体の不調により、堕胎している。

そうであるが故に三回目の武志を産む時には死ぬ覚悟が出来ていたと思われる


武志はこの話を中学2年の時に母自身から聞かされていた。二人の小さな位牌も見せて

くれた。

母にとって子供を堕す事ほど辛かった事はなかったのだ。身を引き裂かれる思いであった。


武志に打ち明けた時、大粒の涙を流して武志に抱きついた。

どうしてあげたらいいのかわからない武志は涙の溢れる母を強く抱きしめていた。


そうした経緯があって母が昭和47年(1972年)に脳梗塞で倒れた後平成8年

(1996年)65歳で亡くなる迄、病気療養、看護、全ての世話を父(寅三)と

分担でやってきていた。それだけに大学入学時の彼にしてみれば、病院での不自由さを

思うと自分が大学へなんかいかなくてもいい。母の側でいたい。という強い思いが

あったのだ。


父(寅三)も生活の事、武志に送ってやる費用等も工面していかねばならず苦しい生活の

中で、武志を大学へ行かせる難しさも分かっていた。

それでも武志を行かせたかったのには、父自身が戦争というものが彼の青春を全て奪い取った

という無念の思いが強かったのだ。予科練を志願したのも授業と戦争という両立できる手段

として選択したものであった。

武志はその事も知っていたし、父が強く勧める事にどうしてもいかないとは言えなかったのだ。

こうして様々な問題を抱えたまま、彼(武志)の人生が大学進学と共にスタートする。



********************

第二章


登場人物について


友成 明子について簡単に説明しておきたい


彼女は武志と同じ年 昭和30年9月生まれ

武志より 3ヶ月程早く生まれている。

父 友成 勇一 母 アイ の間に横浜市で

生まれる。


父は一流企業の重役である。

母 アイは家が貧乏であった為苦労してきた

二人の間に明子が生まれた時、まだ家庭は

それほど裕福ではなかった。

その分愛情を明子へ注ぎ育ててきた。

子供の頃から何不自由なく育ってきた。

目に入れても痛くないというほど愛して

育てられてきた。

ギターは小学校の頃から習い始める。

ピアノ、習字、算盤、英語、とありと

あらゆる教育を受けてきていた。

両親にとって誇れる娘だったのだ。


両親にすれば、彼女に苦労をさせたくない

という思いが強かった。

明子は一人っ子であり、友成の家を守って

欲しいと両親が思うのは当然である。

武志も一人っ子である。

武志も養子に行くという事は出来ない。


武志という存在が両親特に、父勇一にとって

明子を奪われるという気持ちがあったのだ。


またその時期に明子に気心しれた上司の息子(次男)

との結婚話が持ち上がり父勇一も内心喜んでいた



父勇一は上司の力で、重役の地位までなれたの

である。

また、上司の息子とも家を通して付き合い彼の

性格も気に入っていたのである。


そんな背景の中、武志という訳のわからぬ人物が

現れて、明子との交際を求めてきた。


その時の武志の態度が気に入らなかったのはなく

勇一としては上司の息子との婚約を進め様として

いた時期に武志が現れたというタイミングの悪さ

も手伝って反対していたのである。


友成家の様々な問題が絡み合って父勇一は明子に

武志との付き合いを止める様にかなり強引に

すすめていた。


明子が次第に武志に傾いていく事も嫌だった。

そうした背景の中で武志と明子との愛は

益々エスカレートしていくのである。





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