2話 拾ってよかった
男の子はほとんど一日寝ていた。
ずっと隣で寝顔を眺めていたからか、悪夢を見ているのはよく分かった。
誰かの名前を呼んで、ひどくうなされていたからだ。
目を覚ましたのは、仄かな朝日が窓越しに差し込んだ時だった。
「っ……」
「あ、起きた」
ゆっくりと、彼は静かに目を開けた。
「よく眠れた?」
「……!?」
そして、がばっと私ごと飛び起きた。
自分の身体をまったく気にせず、この子は必死に周囲を見回した。
キョロキョロと辺りを見回して、私の顔の前で止まる。
「あの……みんなは!?」
「みんな? 私が拾ってきたのはあなた一人だけど」
「ぅ、僕の隣に誰か居ませんでしたか!?」
「残念ながら」
この子の息がひどく乱れて、ぐちゃぐちゃなペースで漏れ出てた。
背中をさすっても、気づいていない。
「そんな、じゃあ……そんなっ……!?」
両手で絶望した顔を覆って、彼はぼたぼたと涙を流す。
「あ、えっと、キミ、泣き止んで?」
ぽんぽんと頭を叩いてみるが、効果は無い。
思えば子供の相手をするのは初めてで、今ひとつ対応が分からなかった。
『泣き止んで貰うべきか?』
しかし、やっていいんだろうか。
「あ、あのね、私、泣いてる子を慰めるのはちょっと、わかんなくて」
「みんな、僕の為に、どうして、どうしてっ」
聞いちゃいない。
泣き続けながら嘆く。これもまた見栄えする顔立ちをしている。
笑ってくれた方がかわいいのに。
「んー……そうだ。んっ!」
「あうっ」
この子を抱きしめ、頭を胸元に寄せた。
生物ではない私に鼓動はない。
『だが、存在しない心臓の音が、この子に伝わりだした』。
あえて鼓動をリズム調にして、彼の呼吸に合わせた。
「辛かったね、苦しかったんだね……あっためてあげる」
「あの、えっ、その」
男の子がどことなく落ち着いた。
「だから、泣き止んでくれると嬉しいな」
抱きしめながら囁いて、腰から抱きしめ頭を押さえた。
全身が密着して、泣き嘆く子の全部が私と一体化していった。
数分もすれば、この子も流石に落ち着いた。
やや顔を赤くしている。睫毛が長い。
「ご、ごめんなさい。あの、ここは」
「私の家?」
混乱気味な顔になってしまった。
説明不足だったか。腰に手を置き、尋ねかけた。
「キミは森の中で倒れていたんだよ? 覚えてない?」
「ちょっとだけ、覚えています」
「ここはその真ん中にある家なの。住んでいるのは私だけ」
まだやや困惑している風だけど、彼は小さく頷いた。
頭を下げ、私に向かって笑顔を見せてくる。
「ありがとうございます。あ、傷まで治してくれて……本当にありがとう!」
この子が私の手を握り、お礼を口にした。
ちょっとした事だけれど、そこに秘められた真心はよく伝わってくる。
なんて、いじらしい子だろう。
「きゅぅ……」
「?」
「ああ、うん、気にしないで。ほら、キミ、怪我してるんだから休んでいなさい」
「は、はい」
胸を押して寝かしつける。
彼は、ちら、と私の上半身を見上げた。その視線が胸元で僅かに止まった途端、まるで悍ましい行為であるかのように素早く逸らした。
それからはもう、視線は私の瞳から逸れる事は無い。
「……」
「どーしたの?」
「いえ……凄く綺麗な目の色だって、ごめんなさい、急に」
「へー。綺麗に見えたんだ」
恐るべき死の虹とか、見た者は発狂するだとか、そう呼ばれていた瞳を褒められるのは悪い気がしない。
思わず寝転がって、再び腕の中にへと引き寄せた。
「あうっ、う、ええっ? あああのっ!!」
彼はすごく高い声で騒ぎだし、腕をじたばたさせる。
結構な力だけれど、離れてはあげない。
「あーばれなーいーでー? さっきからずっとこうしてたし」
「あの、でもでもっ、僕は」
「いーのいーの。人肌があると落ち着くんだよね?」
「う……」
寝顔を見ていたから知っていた。
そう言ってみると、諦めたのか、抵抗をやめてくれた。
頭を撫でてあげると、身を小さくしているのが良い。
照れる彼の耳元に口を近付け、勢いのまま息を吹きかけた。
「キミ、勇者でしょ」
「!」
照れて顔を枕に埋めていたのがピタリと止まる。
この子はすぐに顔を上げ、私の顔を強い意思のこもった瞳で見つめた。
「どうして分かるんですか?」
凄い輝きだ。実際に光っている訳じゃない。心が瞳に籠もってる。
責任の重さに押し潰されそうで、それでも倒れず立ち上がる。そんな力のある人間の瞳だった。
「キミみたいな子は召喚されたに決まってるの。合ってる?」
「……はい」
「じゃあ、ようこそ異世界へ! 悪を倒す為に来てくれてどうもありがとう! ……ああ、私達からだと、キミの世界が異世界になるのかな?」
飛び上がるようにして立ち上がり、両手を大きく翼のように広げる。
そしてもう一度、改めて彼に向き合った。
「ねえ、お名前は?」
「リヨン・エィールです。栄留理音」
「理音くんね、理音……リヨンくんでいい?」
「あ、はい。こっちの人は僕をそう呼びます」
「うんうん、そっか」
顔を近付けてみる。僅かに引かれたが、視線は瞳から外れない。
「私はね、イクス・スピネル。聞いたことある?」
リヨンくんは、首を小さく横に振った。
その瞳孔、仕草、さりげなく握った手から伝わる機敏が、嘘では無いと告げてくる。
「ふふ、そっか」
名乗った瞬間に逃げられるのではないかと警戒していたが、やはり私の存在は伝わっていない。
忘れられている。
あるいは、私なんて大した存在じゃ無くなったのかも。
せっかく助けたのに逃げられるのは残念だから、いずれにせよ良かった。
「そうだ、お腹空いてる?」
「はい、えっと、です」
取り繕ったような口調に、思わず吹き出す。
ごめんごめんと謝って、指を鳴らす。
『すると、机と彼の口に合うカレーライスが出現した』
湯気を立てた、茶色いどろっとした液体にライスがかかっていて、切られた野菜をそこそこに含んでいる。
かつて召喚された勇者から聞いた食べ物だ。
これで合っているだろうか。
「わっ、凄い……! 一人で魔法が使えるなんて、しかもワープ?」
リオンくんが目を丸くして、私の事をどこか興奮気味に見つめた。
はて、と首を傾げる。
この力は魔法ではない。
魔法というのは人間が編み出した生活の知恵を発展させた技術だ。
私が外に居た頃はまだまだ発展途上だった。
そのまま成長し続けていれば、きっとこんな事くらい出来るようになっている。
「魔法で物をワープさせるのって、まだ不可能って聞きました」
「そうなんだ?」
「はい。色んな……物理? 化学……? えっと、まだ必要な研究ができてなくて、道具を使っても、物を動かすのが精一杯って……」
「うーん。そうなの? 私、魔法にはあんまり詳しくないんだけど」
彼の手をさする。
『その間に、コップに注がれた水が現れた』
ちなみにこれはどこかから持ち出してきた物ではない。
作り出したものだ。
コップを差し出すと、彼はますます興味津々で私を見ていた。
「普通は、一人じゃ火もつけられないって」
「んー。なんでだろうね」
はぐらかしつつ、言い訳をする。
ニヘラとした表情を自覚する。ほとんど独り言だからか、口調の丁寧さが抜けている。
どうやら、素はこちらの様だ。かわいい。
「あ、自分で食べられるから、僕、大丈夫です」
スプーンで食べさせてあげようとしたが、断られてしまった。
「それは残念」などと言いつつも彼にスプーンを渡す。
彼がおずおずと口へ運び、咀嚼しながら小さく頷く所を見て、心に安堵が広まった。
「美味しい?」
「おいしい」
思わずといった風に零れた声に、にっこり笑って応えてあげる。
そうしたら、リオンくんは本格的にカレーを口へ運び始めた。
美味しそうに、幸せそうに、味わいながらゆっくりと。
彼の目から涙が垂れた。
「ううっ」
「あ、辛かったかな?」
急に泣き出してしまった。
顔を覗き込みながら返事を待っていると、無理矢理作った微笑みが返ってくる。
「ごめんなさ、カレー食べるの、ひっく、ひさしぶりで、えぐっ、うう」
すぐに笑みは消えて、また泣き出した。
だが、手は止まっていない。震える指先でスプーンを押さえ、口元に涙を滲ませながらも次々と食べ進めている。
「はーい、ゆっくり食べてねー。欲しかったらお代わりもあるよ?」
『お水をコップの中に満たす』
差し出し、一気に飲み干す様を楽しく眺めさせて貰った。人間に食事を提供するなんて、生まれて初めてではないだろうか。
いつになく自然と笑顔が溢れてくる。
「ん……お姉さん」
そんな私を見て、リオンくんは何を思ったのかスプーンを置いた。
「お姉さん」
また私を呼び、ゆっくりと私の両手を握る。
なぜだろう。その真剣な面持ちに、私の心が熱くなる。
「ありがとう……」
何度も何度も腕を振って、同じ事を繰り返している。
「ありがとうっ……! ありがとう……!」
また、声をあげて泣き出してしまった。
笑いと泣きが同時に現れ、もはや「ありがとう」も言葉になっていない。
明らかな感謝と尊敬の念が送られてきた。
「……どういたしまして」
返答はこれで良いのだろうか?
感謝されるのも、前はいつだったか。
しかし、胸の高鳴りを感じる。これはいいものだ。
本当に、良い拾い物をした。
今日の私の直感は、非常に正しかったのだ。