その②
「どうして君がいるのかな?」
「あら、わたくしは貴方の婚約者でしてよ。婚約者の側にいて、何が悪いんですの? それとも、わたくしが居ては不都合なことがありまして?」
双方とも顔は笑顔なのに、どこかバチッと火花が散ったように感じるのは気のせいだろうか。
焼き立てのお菓子とともにお茶を持ってきたリスファは、冷や汗をかきながら準備をした。本来なら、執務室付きの使用人が行うべきところなのだろうが、なぜかリスファのときはだれも手伝ってくれないのだ。
今も壁際に一列に並んで素知らぬ顔をしている。
(職務怠慢だっ)
リスファは女中ではないのだ。
お茶の淹れ方も習ってはいるが、まだ不慣れで美味しいものは淹れられない。
けれど王太子がそれを望むから、リスファ以外の者が淹れることはできないのだ。
「それはそうと、未来の旦那様。近頃、女狐だけでなく、虫も周囲を飛び回っているとか。女狐は捨て置くとしても、虫の存在は捨て置くことはできませんわね。噂になっていましてよ」
「心配してくれているのかな?」
「それはもちろん、愛おしい方のことですもの。男として魅力的なのはわたくしも未来の妻として鼻が高いですけれど、醜聞はいけませんわね。王太子として、未来の王として、一点の曇りも許されることはなくってよ」
「それは手厳しいね」
(な、なんで、冷え冷えとしているのっ)
婚約者同士ならば、もっと甘い言葉を掛け合うのが普通ではないだろうか。
しかも、二人は幼い頃から婚約していたはず。
政略結婚とはいえ、幼い頃から付き合いがあれば情も湧くだろう。
(ご令嬢はきっと照れ屋なんだ、きっと)
うんうんと心の内で頷いた。
好きな人を前に素直になれない、なんて子は、孤児院でもよくいた。
特に男の子は、好きな子をいじめて泣かしてしまうことはしょっちゅうあった。
公爵令嬢は、つっけんどんになってしまう性格なのだろう。本当は大好きなのに、それを正面切って伝えられないのが、どこか可愛く感じられた。
「うん、今日も美味しいね、この焼き菓子」
空気を読まずにのほほんと言うのは、宰相子息だった。
「リスファちゃんは、お茶を淹れるのはいまいちだけど、お菓子作りは上手だよね。うちで働いてほしいな、ほんと」
「それは、駄目だよ」
リスファが口を開く前に王太子が却下した。
リスファが淹れたお茶を口にすると、笑みを深めた。
「この間よりも上達したね」
「あら、渋いですわよ。人前に……まして、上級貴族たるわたくしに出すものではなくてよ」
公爵令嬢は、顔をしかめ、不快をあらわにした。
「えっと申し訳ございません……」
「謝罪をするのでしたら、もっと上達なさい。わたくしは蜂蜜を入れた甘い紅茶が好みなのよ。茶葉は、今の季節なら、アジール産がいいかしら。この焼き菓子にもよく合いますわね。殿下はこだわりがないみたいですけれど、時期と茶菓子によって茶葉を変えるのは当然のことよ。そんな初歩的なことすらわからないなんて、恥を知りなさい」
つんっと顎を上げた公爵令嬢は、そのまま手を伸ばして焼き菓子を取ろうとしたが。
「あら、なにをなさいますの?」
「私が無理を言って淹れてもらっているんだ。小言を言いたいのなら、帰ってくれるかな?」
「まぁ、酷いお方。わたくしという存在がありながら、こんな平凡な女狐に心を寄せるなんて」
焼き菓子が入った籠を悔しげに見つめた公爵令嬢は、険しい顔をリスファに向けた。
「そこなあなた、わたくしのためだけに焼き菓子を作りなさい。これは、命令よ」
「彼女は君の物ではないだろう」
「あら、貴方のものはわたくしのものですわよ」
おーっほっほっと愉快そうに高笑いをした公爵令嬢は、用が済んだとばかりに立ち上がった。
「大切なモノは、独り占めがよろしいですね」
不敵に微笑んだ公爵令嬢は、揚々と去っていった。
「相変わらず、嵐みたいな方だねぇ」
焼き菓子をつまみ食いしながら、宰相子息が呆れたように呟いた。
「リスファ、いいかい? アレと関わってはいけないよ」
アレというのは公爵令嬢のことだろう。
婚約者とはいえ、随分な言い方だ。
笑みの中に冷たい色を見つけたリスファは、顔を引きつらせながら頷いたのだった。
「君は、私のだから、ね」
◇◇◇◇
「そういえば、リスファちゃんって、好ましいと思う異性はいないの?」
王太子の片腕として、書類を検分していた宰相子息が、そんなことを言い出した。
甘やかな顔には、好奇心が見え隠れしていた。
「好ましい、異性、ですか?」
「そそ。せっかく学園に来たっていうのに、リスファちゃんてば、青春を楽しむことができないでしょ? いくら仕事とはいえ、甘酸っぱい青春も楽しもうよ」
ペンの動きが止まった王太子をちらりと見た宰相子息に気づかず、リスファは食器を片付けていた手を止めた。
「甘酸っぱい青春……わたしには程遠いものかと。それよりも、働いて給金がもらえるほうが嬉しいです」
「……うわー。寂れているね」
「恋や愛でお腹は膨れません!」
孤児院の生活は、決して豊かではない。
一日二食で、具がほとんどないスープと固い黒パンがメインだ。それもこれも、寄付が少ないからだ、と院長は言っていた。
昔はある貴族が援助をしてくれていたらしいが、王家に背いた咎で一族が処刑されてしまった。そのせいで、自分たちで日銭を稼ぐしかなくなったのだ。
それでも子供たちの稼ぎなど程度がしれている。
五十人近い子供たちを飢えさせないため、院長は貴族たちに頭を下げて寄付をもらっているのだ。
リスファも、孤児院の足しになればと、給金のほとんどを仕送りしていた。
罪人と縁があった孤児院を援助しようと申し出る奇特な貴族なんていない。だったら、自分でなんとかするしかないのだ。
「リスファちゃんっていくつだっけ?」
「確か、十四だったと思います」
「あと四年で成人の儀を迎えるんだね。俺たちよりも三つも年下なのに、こんなにしっかりしているなんて、お兄さん、涙が出てくるよ……。どう? 俺の義妹になってみる? 不自由はさせないけど」
冗談と受け取ったリスファは、肩をすくめた。
出自が不明な自分が、貴族の一員となれるとは到底思えなかった。
「わたしはこれで失礼いたします」
「また、明日もお菓子を頼むね」
ぺこりと頭を下げて退出しようとする背に、王太子の声がかかった。
「お望みでしたら」
菓子職人ではないんだけどなー、と思いつつも喜んでくれる相手がいることは良いことだ。
ひらひらと手を振る宰相子息にも軽く頭を下げたリスファは、洗い物をするために調理場へ向かったのだった。
(好きな異性、かぁ。考えたこともなかったな)
王太子をはじめ、彼の周辺には見目麗しい者たちが揃っている。
しかも、見た目だけでなく、家柄もよく、有能だ。
恋心を抱くにはうってつけの存在かもしれないが……。
(ないなー……)
婚約者をほったらかして男爵令嬢をちやほやとしている彼らは論外だ。
宰相子息は軽すぎるし、王太子は雇い主だから、そういう目で見ることはない。
(そもそも、身分が違いすぎるしね)
孤児である自分が、貴族の子息と万が一にも結ばれるはずがない。
昔、院長が読んでくれた本には、平民の娘と貴族の青年が結ばれる物語もあったけれど、所詮は、夢物語。幼い女の子たちが夢中になった恋愛物語も、大きくなれば現実を直視して、それが非現実的な話であったことがわかるものだ。
(身分相応な暮らしが一番)
リスファの望みは、孤児院のみんながお腹いっぱい食べられるようにすることだ。
そのために、稼ぐべしっ!
ふんぬと気合を入れたリスファは、足取りも軽くその場をあとにした。