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その①

「もぅ、やだぁ、ティアスったらぁ」


 くすくすと鈴を鳴らしたような可憐な声が、食堂に響き渡った。

 可憐な声にふさわしく、愛しらしい容姿の彼女は、ふわふわの桃色の髪を揺らしながら、そっと王太子殿下にしだれかかった。

 四人がけのゆったりとした長椅子に腰掛けるのは、王太子と少女のみ。

 一人分空いていた隙間はいつの間にか可憐な少女によって詰められていた。


(むむっ)


 ぴったりと密着しながら、王太子の腕にさりげなく胸を押し当てているのをリスファは、見逃さなかった。

 無邪気さを装いながら王太子の反応を伺うように上目遣いをする少女だったが、彼の表情は穏やかな笑みをたたえたまま変わらなかった。

 顔を赤らめ、慌てふためくような彼の姿を思い浮かべていたのだろう。

 思った顔を引き出せず、一瞬、真顔になった少女は、けれどすぐに甘えるような笑みを浮かべて更に王太子にしがみついた。


(計算づく、と……。やるな)


 王太子の側近候補たちは、少女の無礼な態度に物申す者はいない。

 無邪気さを装う少女の近すぎる距離にも、なぜか微笑ましいとばかりに目尻を下げるばかりだ。


(うわっ。使えない!)


 普通なら、諌めるべき場面だろう。

 彼女が、王太子の婚約者候補とでも思っているのだろうか。

 残念ながら桃色の髪の少女の家は貴族とはいえ、男爵だ。

 どう転んでも王太子妃になれる身分ではない。

 しかも、正妻の子でもなく、平民の娘が産んだ子で、最近になって男爵家に引き取られたらしい。裏切られたと知った正妻は、さっさと離縁し、実家に戻ったという。二人の間に子がなかったのは幸か不幸か。

 今では平民の娘が正妻として顔を利かせているというが、社交界からはそっぽ向かれているらしい。

 親子共々、貴族としての品位がなく、学ぶ姿勢も見せていないらしい。


 困った男爵が子供だけでも正そうと、由緒あるこの王立ディーディリア学園にあらゆるコネを使って入れたらしい。 

 だが、残念ながら、少女は貴族としての立ち居振る舞いを学ぶ気はないらしい。


 周囲の貴族子息や令嬢と同じく冷たい視線を少女に投げついていたリスファが、やれやれと肩を竦めたそのとき、頭に衝撃が走った。


「イタッ」

「こら、仕事しろっ」

「えーーー。だって、今、面白いところだし……」


 拳骨をくらったリスファは、涙目になって頭を押さえた。

 あの少女の仕草を真似て、上目遣いに彼を見上げるが、絶対零度の視線が返ってきた。


 これは、怒っている……。


 逆らってはいけないと反射的に察したリスファは、さっと水が入ったグラスをお盆に載せた。

 

「行けばいいんでしょ、行けばっ」


 背筋をピンと伸ばすと、滑るようななめらかさで目的地へと足を進めた。

 お仕着せの紺色の服は踝まであり、動くとふわりと広がるのが特徴だ。汚れ防止の真っ白な前掛けは、フリルがあしらってあり、貴族令嬢からも可愛いと評判だ。

 かくいうリスファもこの制服が気に入っていた。

 可愛いのは正義である。


「ティアスは、このあとの講義は受けるの? 今日は二人一組で行うらしいから、わたし、ティアスと一緒がいいな」


 日差しが注ぐ窓際は、限られた者だけが使用できる空間だ。

 今代は、王太子と側近候補たちがその栄誉を得ていた。

 最も、王侯に連なる者たちが周囲を気にせずに食事ができるようにと個室も用意されているが、王太子はそこを利用する気はないらしい。

 その輝かしい美貌を今日も食堂で見せつけていた。


(個室に行ってくれたら、手間が減るのに)


 連日、食堂が混み合っているのは、王太子の姿をひと目見たいと押し寄せる者たちと、あわよくば目を留めてもらえるかも、と下心を持つ者たちが数多いるからだ。


「悪いけれど、午後は欠席する予定だよ。学園の生徒である前に、私には王太子としての仕事もあるからね」

「えーー。残念。一人ぼっちになっちゃう……」


 眉を下げ、しゅんと肩を落とす少女。

 まるで雨露に濡れた花のように萎れた姿に、側近候補たちの顔も悲しげになった。


「よろしれば、俺が……」

「いや、ここは、僕が!」


 王太子の顔色を窺いながらもそう名乗り出る側近候補たちに、少女の顔にパッと花が咲いた。


「ありがとう、嬉しい!」


 令嬢のしとやかだけれど、貼り付けたような笑みとは違い、顔をくしゃっとさせ心から笑う彼女に、側近候補たちの顔からも憂えが消えた。


(! しまった、また聞き入ってしまった) 


 なんの喜劇だろうかとすっかり魅入っていたリスファは、感じた殺気にぞくりと体を震わせた。

 こほんっと、空咳をしたリスファは、何事もなかったかのように足を進めた。

 少女の相手をだれがするのか話し合う側近候補たちを横目に、水を入れ替えようとリスファが長椅子へと近づく。


「わぁ、アシガスベッタ」


 声が棒読みなのは見逃してほしい。

 

「きゃーーーっ」


 わざとらしく転んだあと、芸術的な角度でお盆が宙を舞い、グラスに入っていた水が桃色の髪の少女にかかった。


「これは申し訳ございません、お嬢様。うちのスタッフが、とんだ粗相をっ」

「え? あ、あらイケメン……」


 飛んできたのは、先程、リスファに拳骨を食らわした男性だった。まだ成長途中の少年にはない大人の色気を放つ男性は、少女の足元に片膝をつくと、覗き込むようにして少女の手をとった。


「お怪我はございませんか? 素敵なお召し物も濡れてしまいましたね。よろしければ、新しいものをご用意しましょう」

「え、ええ、ぜひ」


 低めの甘い囁き声に、少女の顔が赤らんだ。

 そのまま男性にエスコートされて去っていく。

 残された側近候補たちは、嫉妬の目で男性を睨んでいた。



「大丈夫かい?」


 新しい火種ができた、とリスファが思っていると、笑い出しそうな声とともに、傷一つない手が差し出された。

 しかし、リスファはその手を取ることはしなかった。

 すっくと立ち上がったリスファは、残念そうに手をおろした彼に気づかなかった。



「ええ、問題ございません、殿下」

「君も大変だね」

「いいえ、仕事ですから」


 唇の端を下げれば、ますますおかしそうに王太子が笑った。

 近くで見ても、その輝くような美貌はあせることはない。

 黄金を溶かしたような髪に、青水晶をはめ込んだような双眸。長身だが細身で、均整とれた体つきは、剣術も嗜んでいることもあり、引き締まっていた。

 性格も穏やかで、その顔にはいつも笑みが浮かんでいた。

 彼が声を荒らげている場面を見た者はいないだろう。


「でも、助かった。いつも感謝しているよ」

「……仕事ですから」


 そう、仕事だ。

 給仕のお仕着せに身を包んでいても、リスファの仕事は、料理を作ることでも、給仕をすることでもない。

 王太子殿下によりつく虫を排除することだ。

 御年十七歳の王太子殿下は、それは見目麗しくお育ちになった。本来なら、婚約者がいる彼に余計な虫がつくことはない。

 けれど、婚約者の公爵令嬢の評判があまりよくないせいで、婚約が白紙に戻されるのではないかと噂されている。そのため、次の婚約者の座を狙って、令嬢たちがあの手この手を使って近づいてくるのだ。

 リスファは、それを憂えた王太子殿下に雇われたのだ。


(まぁ、お給料はいいしね)


 リスファは孤児である。

 両親の顔すら知らない。

 孤児院に捨てられていたのを院長が見つけて、そのまま育ててくれたのだ。身分を示す物はなにもなく、口減らしのために捨てられたんだろうと院長は言っていた。


 そんなリスファと王太子がどこで出会ったかというと、話は一年前に遡る。

 働かざる者食うべからず、を信条に掲げる孤児院では、小さい子を除き、みんな働いていた。リスファも道端に生えた花を花束にして売っていた。


 あるとき、お忍びで下町に訪れていた王太子が、リスファが売っていた花束に興味を示したのが始まりだ。


(いやぁ、あれがなんで、こうなるかなぁ)  

 

 本来なら孤児であるリスファが由緒正しきこの学園で働けるはずはない。

 院長は出世頭と諸手を挙げて喜んでくれたけれど、リスファの本心は微妙だった。なにせ、雇い主の王太子の心が読みにくいのだ。

 本当に、群がる令嬢を払いたいのなら、王太子が一言告げれば済む話だろう。けれど彼はそうはせず、こんなに回りくどいやり方をしている。


 側近候補たちのこともそうだ。

 将来、彼を支えるために選ばれた有能な子息たちが、揃いも揃って婚約者に見向きもせず、一人の少女を気にかけている。

 王太子が気に入っているから邪険にできない、というのが彼らの言い訳だが、そんなことで騙される者はこの学園にいないだろう。

 時には王太子にすら嫉妬を隠さない彼らを処分することなく、そのままにしていた。


「リスファ、あとで執務室へお茶をお願いできるかな? ああ、ちゃんと君が持ってくるんだよ。この間のように、他の者と代わらないように」

「はぁい……」


 執務室、というのは、学園の一室に設けられた王太子専用の部屋である。

 次期国王として、その部屋で月の半分は執務を行っているのである。


「……リスファちゃん、殿下はこの間食べた焼菓子をご所望だよ」


 王太子が席を立ち、執務室へと向かうのを追いかける一瞬の内に、側近候補の一人である宰相子息ウィリック・フォン・ベゼジグドが、耳打ちしてきた。

 厳格な宰相とは似ても似つかぬ甘い顔立ちの彼は、女の子には気さくに声を掛ける軟派な性格だったが、ほかの側近候補たちとは違って、王太子をしっかりと支えていた。


「あれ、準備が面倒なのにな」

「甘いお菓子で殿下を癒やしてあげてね」


 ぼやくリスファの声を拾った宰相子息は、足を止めるとわざわざ振り返って片目をつぶりながら言った。

 きゃあっと令嬢たちの黄色い声が聞こえたのは気のせいだと思いたい。

 彼に婚約者がいないのが幸いだろう。

 もしいたら、だれにでも気安い彼の態度に胸が痛んだかもしれない。






「ねぇ、そこなあなた」


 命じるように慣れたような凛とした声だった。

 自分にも、こんな威厳のある声が欲しい、と思いつつ回廊を歩いていたリスファは、強く肩を掴まれて飛び上がった。


「な、なに!?」

「それは、わたくしの台詞ですわ。このわたくしがわざわざ声をかけて差し上げているというのに、無視をするなんて!」


 振り返ると、そこには豪奢な黄金の髪を緩く巻き上げた令嬢の姿があった。

 涼やかな美貌は甘さがないが、知的な印象があった。けれど、吊り上がった眦が、どこか人を見下しているように感じさせ、威圧感のある声と相まって、リスファの肩が小さく震えた。


「あなた、殿下とはどういうご関係かしら?」

「え?」


 ぽかんと間抜けな顔をさらすリスファが癇に障ったのか、令嬢は苛立たしげに言った。


「とぼけないでくださる? わたくしの愛おしい殿下があなたを気に留めていることを知らないとでも?」


 彼女から少し離れたところからこちらを伺うのは令嬢の取り巻きたちだ。

 人払いをしたのか、しんっと静まり返った中に、令嬢の声が跳ねた。


「ええっと、わたしはただ、雇われているだけで……」

「ふんっ、女狐は言い訳が得意ですこと」


 王太子の婚約者である公爵令嬢は、手に持っていた扇をぱちりと閉じると、その先をリスファに向けた。そのままくいっと顎を持ち上げた。


「化粧っ気のない顔ですこと。殿下は素朴な顔がお好みなのかしら。……まぁ、大きな目は見られなくはないわね。琥珀をはめ込んだような美しさですし……。肌の白さは……わたくしに比べたら焼けてはいますけれど、及第点かしら」


 しげしげとリスファを見つめ、採点を始める令嬢。

 辛辣でトゲはあるが、リスファは嫌な気はしなかった。


 きっと、彼女が素だからだろう。

 悪意なく事実を述べているのだ。

 そこには、言われているような悪女はおらず、ただ王太子を想って行動している一人の少女の姿があった。


「あのぉ、なにか勘違いされているようですけど、王太子殿下とわたしは、雇い主と雇われた者という関係で、それ以上でもそれ以下でも……」

「あら、女狐に口を開いていいなんて許可は与えていなくてよ? まったく、男爵家の娘といい……平民の娘はしたたかですわね。わたくしという存在があっても尚、殿下に近付こうなんて……血を見たいのかしら」


 令嬢の双眸に一瞬、狂気が走る。


 ひぃぃっという悲鳴をリスファは飲み込んだ。

 ものすごく怖い。


(殿下がよそ見したら、きっとその子が殺されるっ)


「アリーシャ様、そろそろお時間ですわ」

「あら、もうそんな時間なの。惜しいけれど、今日はここまでね。あ、そうそう。殿下がお好きというお菓子をわたくしにもお持ちになってね。これは命令ですわよ」


 取り巻きの一人が声を掛けると、渋々と言ったように扇を下ろした令嬢は、けれど双眸を爛々と輝かせたままリスファに命じた。


「は、はぃぃぃっ!」


 長いものには巻かれろ。

 ぴしっと背筋を伸ばしたリスファは、最敬礼で令嬢を見送ったのだった。

 


 ……どうしてこうなった?





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