九十四
美園 仄香とマグダラ・マグワイア(愛称『マギーレイン』)は、15秒ほど向き合って立ち、お互いの目を見つめ合い、ほぼ同時に頬が緩んだのをきっかけに、まるで水門を開いたようにお互いが歩み寄り、そして抱き合った。
「ようやく、この時が来たのね」と、マギーレイン。
「長くて退屈な年月だったわ」
「退屈という言い回しは、あなたらしいですね」
仄香は、笑顔で答える。
この仄香は、外見は仄香だが、内蔵している『意志』は西藤 静香、または、有利香である。
その状況は、マギーレインも承知している。
二人は抱擁から離れ、再びお互いを見つめ合うように立った。
「全ては、『予言』のままに。
私には、15年分の時の経過しかなかったわ」
マギーレインは、歌うように言った。
「状況の維持、あなたは、その大役をやり遂げたのです。
ただ、時の経過を待っていただけではないはずです。
そして、優秀な『永久凍土』チームの育成をありがとう。
あなたの成果ですよ」
仄香のねぎらいは、マギーレインを大いに満足させた。
「私の気持ちは、キヨと同じよ。あなたが席巻する世界の実現に貢献しただけ。私の役目は、これで終わりね」
「違いますよ」
仄香の静かな否定に、マギーレインは驚きを見せた。
「世界の総括は、私一人でするのではありません。
私一人の力だけでは不可能です
あなたのように信頼できる要員に対象範囲を預け、組織的に総括することを目指しています。
当初から、その計画でしたよ。
もっとも、あなたが退任を考えているのなら、後任を検討しなければなりませんが、それでも今すぐに辞めてしまわれたら、私が困ります」
「とりあえず、居場所はありそうね」と、マギーレインは、笑みを返した。
「でも、そろそろ後任を選ぶ時期だと思って、私は、アルトゥール・レーシンをと考えているのよ」
「その判断もお任せします」
仄香からの即答に、マギーレインは、さらに満足した。
「すでに同邦にしたB国とD国は、どうするつもりなの?」
「しばらくは、ゴースワンさんと、フィッシャーさんにお任せしますが、後任候補は、『強天使』のメンバーから選びたいですね」
「じゃあ、D国は、オイゲンね。
B国は、適任者が私には思いつかないわ。
どうするの?」
「また、キヨさんにお願いする判断が有力ですが、梨菜さんという選択肢もあります」
「羽蕗 梨菜さん……か……」
マギーレインは、少し複雑な表情をする。
「確かに、梨菜さんは、世界最強とも言える『意志』の持ち主だけど……弱い側面をかかえているわ。
敵陣に、そこを突かれると、立ち直れない危険性がある。
あなたは、その点を、どう対処するつもりなのかしら?」
仄香は、マギーレインの問いかけに、大きな驚きを見せた。
「梨菜さんに弱い側面があるなんて……あなたは、何を言い出すの?」
仄香の反応に、マギーレインも驚きを見せた。
「意外ね……あなたが気づいていなかったとは思わなかったわ。
あなたの想定外は、私たちの歴史の落とし穴。
『予言』は、順風満帆に進んでいるわけではなさそうね」
「あなたは、何を言っているのですか?」
マギーレインの言葉に、仄香は激しく動揺していた。
初めて見た状況だった。
仄香が、いや、静香が動揺する姿を見るのは。
「すぐに守る措置を取るべきだわ」
「守るって……梨菜さんをですか?」
仄香の声は、焦燥でゆがんでいた。
「いいえ!」と、マギーレインは、抑えつけるような叫びをあげた。
「梨菜さん当人ではなく、梨菜さんの弱みに成りうる対象ですよ。
あなたの特性は、私もよく理解しています。
私も、あなたから派生した存在ですから。
あなたが、普段は見ないようにしている個人的感情は、時には、とてつもなく大きな荒波を作り出すことがあるのよ。
あなたの特性では、それに気づけない。
それは、致し方のないことだわ。
でもね、一番大きな問題は、あなた以外は、みんな知っているという状況よ。
敵陣も含めてね」
「私は……何を判断すれば……」
仄香は、すっかりうろたえていた。
「もう手遅れかもしれないわ。
でも、今からでも屈強な警備員を送り出す指示をするべきよ。
それは、私がしてあげる。
でも、残念な展開になる覚悟はしておいてね。
あなたは、明らかに後手を踏んだのだから」
「教えて下さい……マギーレイン……
私に敵がいることはわかります。
彼らのねらいは、何でしょうか?」
すがりついてくる仄香を、マギーレインは哀れみに満ちた視線で見つめていた。
「明日……でしたよね……彼がラズベリーパークに到着するのは」
「彼……」
仄香は、思案をめぐらせ、『彼』の意味に、ようやく気づけた。
「決勝戦を観に……梨菜さんを応援するために……確かに、彼が来ます……」
「あなたのチャーター便に切り替えられる?」
「無理です……もう、出航しているはずです……」
マギーレインは、深くため息をもらす。
「彼らが、この機会に気づかないか、あるいは気づいていても、黙って見送ってくれるなら良いけど、それはありえないと思う。
ラスカー・タムに派遣指示を出しておくわ。
彼は、軍の出身なの。
暗殺者の駆除も経験があるのよ」
「暗殺……ですか?」
仄香は、息をのみ、マギーレインをじっと見つめる。
「もちろん、そうさせないための対処よ。
でもね、私も軍隊の指揮経験があるから言わせてもらうんだけど、敵としては、弔い戦に転じるような状況は望んでいないと思うわ。
もしそうなったら、梨菜さんを怒らせ、ますます手に負えない強化を作り出してしまう。
ねらいが、梨菜さんの弱化なら、生かしておくはずよ。
ラスカーの役割は、救出になると思うわ」
「……」
仄香は、言葉を出すことはできず、黙って唇を震わせていた。




