八十四
「私は……私として……」
アンナ・リリーホワイトは、そこで言い淀んだ。
正面に立つ梨菜は、その先の言葉が出てくるのを、ただ黙って待っていた。
『生まれた』という言葉を出したいのだが、自信を持って、それを言い切ることに、アンナは躊躇していた。
喜びの感情。
怒りの感情。
切りつけられれば血が流れるし、
痛みだって感じる。
涙だって流れる。
どこから見たって、私は人間。
ならば、自信を持って言えるはず。
私は、私として、生まれてきた。
……
どうしても言い切ることができなかった。
涙の力を借りても……
慟哭の勢いに載せてみても……
悔しさと惨めさが、動かそうとする唇を引き締めてしまう。
……
私は、短命でこの世を去ったアンナ・リリーホワイトの『写し』に過ぎない……
事実として、生まれたのではなく、作られたのだ。
誰かの意思によって。
消えてしまったアンナの人生を引き継がせるために。
引き継いでしまえば、その後の生き方は、私の自由であるはず。
でも、なぜか意図的な導きを感じ始めている。
姿を現さない誰かが、私の選択肢を支配している、そんな気がしている。
私の趣向を利用した選択肢を、まるで導火線のように設定し、その姿を現さない誰かにとって理想的な創造世界を実現する手段としているのだ。
私は自由に生きてきたつもりだったが、実はそうではなかった。
この先の未来も、誰かのコントロールによって、決まりきったレールの上を歩かされるか、または不要と判断されて、排除されるか……
私の存在意義って、私自身が決められない状況にあるようだ。
ある意味、排除されることが、自由を獲得できる手段なのかもしれない。
「ネガティブ思考になりがちな事情はわかりますが、歴史はアンナさんを排除しませんよ」
梨菜が静かに言った。
アンナの耳には、しっかりと届いた。
アンナの両目が、大きく開いた。
ゆっくりと、その視線が梨菜の方を向いた。
「矢吹さん……あなたの過去を知ってるわ……」
アンナが梨菜に伝えた。
梨菜は、1ミリの微動も見せずに、アンナの話に耳を傾けていた。
「多くの苦難を乗り越えて……今、ここにいるのよね……でも、あなたの人生として続いているわ」
「いいえ。私もあなたと同じです」
「え……」
「あなたが言う苦難を乗り越えたのは、私ではなく、私の『意志』の参照元となったヒトです。私の記憶には、その内容が残されていますが、実際に経験したのは私ではありません」
アンナは、梨菜を凝視し、何度も息を飲みこんだ。
「あなたも、先代の『意志』を『伝承』した存在だったのね……」
「でも、私は羽蕗 梨菜……矢吹パンナの名称で闘うWGBGの戦士。先代が果たすことのできなかった時代の役割を担っています。アンナさんも、そうでしょう?」
「ああ……あう……うう……」
アンナは同調の意思を示す言葉を発したかったが、こみ上げてくる嗚咽に阻止された。
私のことを理解できるヒトがいた。
絶望感に満ちていたアンナに、希望が導かれた瞬間だった。
抽象的で曖昧な感覚だが、アンナは実感できた。
思うように同調を表現できない。
言葉にできない。
だから、思い切り声を上げて泣くことにした。
両膝を床につき、顔を上に向けて、思い切り泣いた。
梨菜はアンナに近づき、両手で包みこむように、アンナを抱きしめた。
しばらく梨菜の胸の中で泣き続けていたアンナだが、次第に泣き声が小さくなってきた。
「でも……あなたはキュア凶子を選んだわ……」
アンナは鼻をすすりながら、そう言った。
「あのヒトも、アンナ・リリーホワイトの『意志』を引き継いでるわ。あのヒトがレモンティーンに選ばれたのなら、もう私は必要のない存在……取り残された私は、歴史から排除されるのよ……」
「そうは、なりませんよ」
梨菜は、変わらない優しい声で言った。
「歴史の視界に入るかどうかは、アンナさん自身の行動で決まります」
「まだ、私にチャンスがあると?」
アンナの問いかけに、梨菜は静かにうなずく。
「私の元に来て下さい。そうすれば、アンナさんの視界も明るいものになると思います」
「同情ならやめて……私はWGBGの敗北者……歴史的な存在価値は、もう無いわ……」
「歴史など、私の知ったことではありません」
梨菜は、はっきりと言い切った。
「私には、アンナさんが必要なのです。私が求めているのは、あなたの承諾です」
アンナは、全身を震わせながら、梨菜の顔を見上げた。
「私の居場所があるのね」
梨菜は、笑みで答えた。
「……うれしい……」
アンナは、梨菜に抱かれたまま、再び泣いた。
ずいぶんと、ゆっくりの時間を過ごして、幸福感に満ち満ちたまま、静かに眠りについていた。
「キミの勝ちだ」
ラスカー・タムは、梨菜に向かって言った。
「そんな幸せそうなアンナを見たのは、初めてだよ。キミには力がある。到底、私が叶う相手ではなかった。元々、私たちは挑戦者の立場だ。精一杯やったんだ。悔いは残していない」
「違いますよ、ラスカーさん」と、梨菜は返した。
ラスカーは驚きに満ちた目で、梨菜を見た。
「私一人の力ではありません。チーム全員の成果です。あなた方は、とても手強い相手でした」
ラスカーの顔が、ほんのりと赤く染まった。
「ありがとう……キミと出会えて良かった……」
ラスカーは言うと、眠っているアンナを、梨菜から受け取った。
アンナは、聞き取れないくらい小さく寝言を言い、笑顔を見せた後に、再び寝入った。




