八十三
窓から突き出たライフルの銃口は、当然にモノを言うはずもない静物だが、周囲に、特に庭内に侵入している三人に対して、威圧的な臭いを漂わせ、接近行為を躊躇させる効果を得ていた。
「さて、あれに対しての対策だが」
ヴィタリーが紙をクシャクシャに丸めるような声を出す。
ライフルの銃口を動揺させるような音量ではない。
「おそらく構えているのは、我々のような軍人ではない。狩猟に使用する程度の腕前と見た。つまり、ヒトを撃つ経験に長けていないということだ」
ヴィタリーは、さも自分はベテランと言いたげに得意満面に、かつてラスカーが言った台詞を忠実に話す。
自分も、あの時、鼻につくような雰囲気だったのだろうか。
今のヴィタリーの態度を見ていると、自分が恥ずかしく思えてくる。
「誰か一人が銃口の正面に立つ。相手はヒトを撃ったことが無いから、きっと躊躇する。その隙きを狙って、あとの二人が一気に攻めこむ」
自分が立てた作戦の概要を、本来なら指示を受けた立場のヴィタリーが説明している。
これは非現実だ。
ラスカーは、その警戒を維持できていた。
この場面での問題は三つ。
一つ目は、非現実である状態を打ち破る方法と機会が不明であること。
二つ目は、ヴィタリーとパーヴェル、それにアンナの安否が確認できないこと。
先の二人は、自分と同じ幻惑を見せられている可能性もある。
そして、三つ目は、この局面。
この民家に籠もっているのは。母娘関係の女が二人。
我々の退路上に遭遇したという理由だけで、戦闘判断を強いられているわけだが、相手は自己防衛のための、当然に取りうる警戒態勢だ。
戦闘能力の高い男3人で対処するのは、いかにも大袈裟だ。
後に、この時に自分たちがした判断に悩まされることになる。
銃を構える相手の正面に立つ作戦は、まんまと成功し、相手は発射のタイミングを逸してしまった。
正面に立ったのはラスカー自身。
その間に、残り二人が母親を射殺。
隠れていた娘は捕獲するつもりが、薪を振り上げて襲ってきたので、これも射殺。
正確には、母親をパーヴェル、娘をラスカー自身が射殺した。
だが、今の立場の流れだと、ヴィタリーが正面に立つことになりそうだ。
幻惑とわかっているとはいえ、見せられているこの経験が、自分を精神面で追いこんでいる。
相手は、武器を所有しているとはいえ、素人の女二人だ。
しかも、一人はまだ子供。
このまま流れに任せたら、あの時の血生臭い光景を繰り返し見ることになる。
流れを変えることができれば……
流れを変えることができるのか……
「私が行く」
挑発役を買って出ようとしていたヴィタリーに先んじてラスカーが立ち上がり、ライフルを構える女の視界に飛びこんだ。
女は、驚きを昇華し、引き金に通った指に力が入るまで1秒を要した。
ラスカーは、もちろんその行為を読んでおり、弾が大きく右に逸れていくのも読んでいた。
女は、息を飲んで、1発目の行く末を見守り、成果が無かったことを知って、2発目の発射を判断するまで、さらに6秒を要した。
だが、その2発目が発射されることは無かった。
………
というのが、かつての経緯。
その流れで、まず母親が射殺され、次に娘が殺される。
無情な殺戮を繰り返し見ることになる。
ラスカーがその後の流れを阻止するために、味方であるヴィタリーとパーヴェルを射殺。
まずは正確な弾道で二人を即死させた。
これが非現実であり、真に二人に手をかけたのではないことは承知の上だ。
そして、正面の女。
ラスカーは、彼女の右肩を撃ち、ライフルを床に落とさせた。
ここまで5秒。
続いて、空いた窓に飛びこみ、部屋の中に侵入した後に、戸惑う女の背後に回って、腰骨のあたりに手銃を突きつけた。
「娘を呼べ」
母親は、口をパクパクさせながら、
「娘だけは勘弁して下さい」
と、ラスカーにすがった。
「わかってる」と、ラスカーは応じた。
「私が仲間を始末したのは、お前たちを救うためだ。部屋の出入口付近で薪を持って待ち構えている娘に、お前から声をかけるんだ」
「あなたはいったい……」
母親が両目を大きくして、ラスカーを見る。
「良いから……娘に声をかけろ」
これで、流れが変わる。
だが、それが何になる?
ジャッキー・ロワイヤルが作り上げた非現実世界に干渉したからといって、現実の歴史が変わるものではない。
「……ジヒジヒヒ……今頃気づいても、もう遅い……」
現実に引き戻される時の重力の回復。
ラスカーは、地面にしっかりと両脚を着け、踏みとどまった。
プチカップゼリー・ドームの闘技場内。
内耳にフェードインしてくる何度も聞き覚えのあるホイッスルの音。
長めに鳴り響いているのは、勝敗が決した場合だ。
「……」
ラスカーは無言だった。
ヴィタリーとパーヴェルの二人が、そばで横たわっているのにも、驚きを見せなかった。
あれは、私がやったのだ。
当然の状態だ。
「ジヒヒ……あんたのせいじゃない……」
姿は見えないが、ジャッキー・ロワイヤルの声だけが耳を打った。
「……あの二人は幻惑の中で……自らを絶ったのさ……残念だけど……血塗られた過去を繰り返し見たくなかったんだろうね……ジヒジヒヒ……だが心配は無用……幻惑の世界で自殺したって死ねないよ……ジヒヒヒヒ……人間なんてね、簡単には死ねないのさ……今のあんたが生きてるのが、その証拠じゃないのかい……残念だけど……」
「……アンナはどうした?」
ラスカーのつぶやくような問いかけに返答は無かった。
だが、彼の背後にヒトの気配を感じた。
フワリと漂うミントの香り。
この独特の雰囲気は、もちろんラスカーに覚えがあった。
直接触れたことのある人物。
「ラスカーさん」
名前を呼ばれ、声のした方を振り向く。
そこには、アンナ・リリーホワイトを両手で抱きかかえる梨菜の姿があった。
「アンナさんなら、このとおり無事ですよ」
アンナは、幸せそうな笑みをたたえながら、寝息をもらしていた。
そして、梨菜もまた優しさに満ちた笑みで、ラスカーを見つめていた。




