八十二
アンナは、ミーティングルームの白いテーブルを挟んでマギーレインと向き合って着席している状況に対して、何度やっても慣れないものだと、心の中で嘆いていた。
いつまで経っても、アンナに残り続ける『苦手意識』が生み出している感情だった。
さらには、交通事故によって重度障害を負うことになった『本体』から切り離され、今までとは全く異なる容姿と、言語と生活文化、そして人間関係に至るまで、全てが刷新された人生そのものにも、彼女は慣れていなかった。
「思い上がりですよ」
マギーレインは、転生アンナに向かって、そう伝えた。
「あなたは、先人の意志の写し。そもそも存在していなかったのです」
つまり、先人のアンナ・リリーホワイトの生存情報に基づき、作り上げた『擬人』に繋がっているのは虚偽記憶に過ぎないと言うのだ。
そのような認識を持ち続ける者に対して、現実に『擬人』と扱われているアンナが敬意を抱けるはずも無く、そのことが、いつまで経っても馴染めない要因となっていた。
「私はヒトとして存在しているのです」
アンナは、毅然と反論した。
「ヒトてしての存在を設定したのは所有者です。ならば、私がヒトらしい反応を示すのは当然のこと。矛盾しているのはオーナーの方です」
「もう時間が無いのです」
マギーレインはピシャリと言い放つ。
何の時間?
まただ……
説明の無い会話をいつもぶつけてくる。
それでもアンナは、会話の背景を自分なりに解釈しようと試みる。
時間というのは、オーナーが何らかの目的達成のために必要と計算した時間。
それは、当然に私の行動や成果がプロセスに組み入れられている。
もし、目的達成に見こみが無いという状況ならば、そのタイミングで私は消されているだろうと思う。
こうして呼ばれ、時間が無いなどと嘆かれているのは、私しだいで可能性が残されている、ということなのだろう。
アンナはそこまで思考し、満足そうな笑みを浮かべる。
「思い上がりですよ」
マギーレインは、すげなくその言葉を繰り返した
「残された時間をあなたがどう解釈したかは探りませんが、私の方では、あなたが生み出す成果による影響をできるだけ小さくする判断を検討しています」
「オーナーは、私では羽蕗 梨菜に勝てないと言いたいわけですか?」
アンナは、マギーレインを下から覗きこむような姿勢で、そう尋ねた。
「私は、すでにそう伝えたつもりでしたが……」
「私の分身であるキュア凶子は、予選リーグで羽蕗 梨菜と直接対決し、打ち負かしています」
「それが、あなたの思い上がりだと言ってるのです」
マギーレインは、下目でアンナをにらみつける。
「あなたとキュア凶子は、本体のアンナ・リリーホワイトから『伝承』した経緯から、対等であると考えています。つまり、キュア凶子は、あなたの分身ではありません」
「私の言い方は、ともかくとして」
アンナは、なおも食いついてくる。
「私は可能性について言っているのです。私と……つまり……出所が同じキュア凶子ができたことは、私にもできる可能性があると……」
「それは組織的に認めています」
アンナの言葉に重ねるようにマギーレインが言う。
「だから、未だあなたを残しているのです」
……そんな程度……
私の存在意義って……そんな程度……
いや、それはおかしい。
まぐれとはいえ、私は羽蕗 梨菜に勝ったのだ。
仮に、羽蕗 梨菜の捨て身の行動が無かったとしても、少なくともキュア凶子は倒していた。
確かに、試合開始前の私は、オーナーの言うとおり、思い上がっていたかもしれない。
だが、結果は出せている。
つまり、オーナーの計画に貢献する成果を上げているのだ。
それなのに、そのことを承知のはずなのに、オーナーは私を認めていない。
それはなぜか?
「非現実です」と、アンナは声に出した。
マギーレインは、少しも表情を変えなかった。
「予選リーグ優勝の時は、あれほど勝利を祝ってくれたオーナーが、今は、あの時以上の成果を上げても、祝してくれません。その理由は明らかです」
アンナは立ち上がり、左足を軸にして、全身を時計回りにひねって、回し蹴りの態勢を取った。
「オーナー、あなたは非現実です。幻惑によって、私を陥れようとしているのなら、対抗措置を取るしかありません。あなたに対して暴力を働く無礼をお許し下さい」
アンナの右脚が、まっすぐにマギーレインの頭を直撃する。
感触は無い。
アンナは、それを直感的に予測していた。
マギーレインの姿は、霧のように消え去り、白いテーブルのあるミーティングルームも闇に包まれ、あたりが真っ暗な中に、アンナ一人がたたずんでいた。
「ジャッキー・ロワイヤル! あなたのやり方だということはわかってたわ。あなたの幻惑術は、私には通用しないことがわかったなら、姿を表しなさい」
闇の中を、アンナの「なさい」という声がこだまする。
静まり返った空間の向こう側に、誰かの気配を感じる。
アンナは身構える。
ジャッキー・ロワイヤルの本体が、まさに目の前に現れようものなら、瞬時に攻撃を仕掛けてやろうと考えていた。
「ようやく対面できましたね、アンナさん」
180センチ強の見上げるような長身。
9等身の引き締まった体格。
小顔の割に大きめに開いた黒瑪瑙のような瞳。
アンナは、何度も息をのみながら、正面に立つ人物を見つめた。
「……羽蕗 梨菜……さん?……」
名前を呼ばれて、梨菜はにっこりと笑顔を見せた。
「ああ……本当なら……」
瞬く間に、アンナの両目から涙がこぼれ落ちた。
「あなたとお話できることを、どんなに望んでいたか……幻でもいいわ……私は……あなたとお話がしたい……」
「良いですよ」と、梨菜はアンナに向かって、丁寧にお辞儀した。
「そのために、ここへ来たのですから」




