八十一
『魔界』
ジャッキーの詠唱が響き、『永久凍土』の四人はお互いの顔はおろか、位置関係すら掴めない暗闇に包まれた。
思い出したように測定器付のゴーグルを通して計測値を頼ってみても、お互いを知ることはできなかった。
ジャッキーは、抜け目なく情報の書き換えをやってのけたのだった。
すなわち、彼らのゴーグルに表示される数値は、常にゼロだった。
(惑わされるな)
警戒心の強いラスカーは、視覚による受け入れを阻止するために、両目を閉じてみた。
ジャッキーが見せる暗闇と、まぶたを閉じた時の暗闇なのかは区別がつかない。
ただ、視界の縁から、オレンジ色とピンク色がマーブル状に不完全な混ざり方をした液体が、じわじわと湧き出てきて、目の前を覆いつくそうとしていた。
つまり、ジャッキーによって見せられている映像は、目をつぶっても無効にできないということだ。
幻惑は、すでに始まっている。
逃れる術は無さそうだ。
ならば、自らが幻惑によって乱されないように、平静を保つことが大事だ。
仲間たちも、そのあたりは理解できているだろうか。
ジャッキーの能力については、事前に警戒していたはずだ。
連絡を取り合いたいが、自分からの通知が届いているのかどうか、実感がない。
おそらくジャッキーに遮断されている。
オレンジとピンクの領域がかなり広がってきた。
明るい配色の影響で、暗い感じはしないのはいいが、ジャッキーは何を仕掛けるつもりなのだろうか。
確かに、ハーモニー真樹や矢吹パンナが使っていた武器には、たっぷりとMEが蓄えられていた。
そのことについては、完全に失念していた。
そもそも、武器を捨てさせて、格闘の展開に持ちこんだのは、自分たちの方だったのに。
矢吹パンナは、この展開を『予測』していたのだろうか。
始めから、自分たちは、彼女の作戦に乗せられていたのではなかろうか。
今さら憶測しても、無駄だろうが。
ジャッキーは大量のMEを活用して、力強い攻撃を仕掛けてくるだろう。
第1ピリオドは残り1分を切ってるが、これを耐えきれるかどうかで勝敗は決まる。
バトルポイントは有利な状況なので、こちらは3名以上倒されなければ、判定勝ちになる。
言い換えれば、これから始まるジャッキーの攻撃で、3名以上倒されれば、我々の負けになる。
仲間と連絡を取り合うのが不可能ならば、ここは何とか持ち堪えてくれることを願うしかない。
ラスカーがそこまで思考した時点で、ピンクとオレンジは、かつて暗闇と感じさせた黒い部分を完全に覆いつくした。
やがて、濃厚な配色は徐々に透け感が表れてきた。
透けて見える風景は、木と草と土の色だった。
さらに透けが進むと、そこが見覚えのある場所であることに気づいた。
「ここは……?」
「伏せろ、ラスカー!」
背後からの叫び声。
ヴィタリーが駆け寄ってきた。
彼の出で立ちを見て、ラスカーの両目が大きく開く。
茶色に近いカーキ色のロングコート。
幅の広い折り襟。
灰色のパパハ。
見慣れた風貌は、自分自身もそうであることに気づいた。
ヴィタリーに強引に押さえつけられた直後に、銃撃戦が起きたようなけたたましい騒音に見舞われる。
それは、まさに銃撃戦であり、ラスカーの頭があった位置を数発の弾丸が飛び交うのが見えた。
「残兵が命がけの悪あがきを続けてるんだ。油断するな!」
「残兵……」
ラスカーはつぶやき、瞬間的に遠い記憶を手繰り寄せた。
羊ヶ丘侵攻作戦……
勝機のハードルはそれほど高くなかった。
準備期間を含めて、4日で完遂した作戦だ。
だが、帰りに手間取った。
首領を攻略できても、組織的な繋がりが希薄な軍隊は、指揮命令系統を壊滅されても喪失感を抱かない。
むしろ、緊縮から解放された自由な行動判断で、味方も領域も省みない無謀な攻撃を仕掛けてくる。
本基地に潜伏した首領を追いこんだ先発部隊の大半は、敵側の武器庫に玉砕的に投げ入れられた手榴弾によって、大爆発に巻きこまれて失っていた。
勝ち戦のはずなのに、勝ち鬨を上げられない緊迫した状況が続いている。
第6部隊の隊長を務めるヴィタリーだけは、その状況を予め読んでいた。
その恩恵で、ラスカーも生き延びてこれた。
「パーヴェルに斥候を指示している。安全な退路が見つかるまでは四方にアンテナを張るのを怠るな」
「承知した」
流れに任せたそこまでのやり取りを経て、ラスカーは首を傾げた。
5年ほど前に軍役についていた頃の記憶だが、立場が真逆だ。
今の指示は、私がヴィタリーに対してした内容だ。
正確な記憶の再現になっていない。
つまり、この状況は非現実だ。
「攻撃が止まったら、すぐに前進するぞ。R152171の民家前でパーヴェルと落ち合う。わかったな」
「承知した」
展開は同じだ。
この辺りの地形の座標軸も頭に入っている。
位置の整合性にも矛盾点は無い。
違うのは、ヴィタリーと私の立場だけだ。
この相違点には、きっと理由がある。
予想どおり、敵の攻撃にインターバルが発生した。
わずか数秒程度の機会だが、数十メートルの移動が可能だ。
そう思いながら、ヴィタリーの背中を追う。
そして、彼の動きに合わせて、私も立ち止まり、姿勢を低くして、そこいらの茂みや木の裏に身を隠す。
敵襲が再開した。
この回避行動のタイミングは、カラダが覚えていた。
この繰り返しで、やがて敵からの攻撃は遠ざかり、撤退が成功したと実感する。
「気をつけろ」
合流したパーヴェルが声をかけてきた。
彼は、正面に見える赤い屋根の民家を背にしていた。
「この家の中に、女が二人残っている。おそらく母娘だと思われるが、警戒心からか、武装して立てこもっている状況だ。右手の庭から、母親が窓からライフルの銃口を外に出しているのが見える」
「緊張感が漂うな」
ヴィタリーの言葉だが、本来は私がヴィタリーに対して使った会話だ。
警戒しながら庭に侵入し、茂みに身を潜めて、そっと窓の方に目を向けると、パーヴェルの報告どおり、建物の窓から外に突き出た銃口が見えた。
銃口は、明後日の方角を向いており、こちらのことは気づいていない。
まざまざと、かつての状況記憶が甦ってくる。
数秒後に、あのライフルが乱発を始める。
きっかけは……
……私の挑発だ。




