八
柴田 明史は、美容師のヒカリさんに髪を整えてもらい、ご満悦な様子で、ハンドルを握っている。
自動車は、仄香の自家用車で、アウディTTクーペ。
つい、先週に納車されたばかりの、ピカピカの新車である。
ちなみに、価格は一千万円ほど。
仄香のプライベート用にと買ったのだが、柴田が運転したいと言ってきたので、今は運転手をさせている。
ヘアサロン・ヒカリまでに、柴田が見せた運転態度の評価から、仄香は、少し新車が心配になってきていた。
「安全運転してよ」
仄香のその言葉には、切な願いがこめられていた。
「してますよ」
柴田は、軽率に答える。
「そんなことより、アネさん、ボクのアタマ、似合ってませんか?」
茄子のヘタのような頭からガラリと変わって、髪色をグレージュにし、左目の上から左右へ緩く『Cカール』させた髪型となり、ヒカリさんの術によって、眠っていた『美容意識』が芽生えたようである。
「ヒカリちゃんなら、どんな男子でも、そこそこ見られる容貌にできちゃうから、まあ、よく似合ってるわよ」
仄香の言い回しは、どこか冷たい。
「アネさん、ボクのこと、好きになっても構いませんよ」
「へ?」
仄香のアーモンド型の眼が、真ん丸になる。
「ボク、実は、イケメンだってこと、前からわかってたんです。でも、ここでバレちゃいましたからね。きっと、ボクのことを、好きになったはずです」
「あらま……ずいぶんと、自信満々……」
「ボクは、アネさんの想いを、しっかりと受け止めますよ」
「ふう……」
仄香は、疲れ気味に、ため息をもらす。
「旦那さんが亡くなって三年でしたっけ。淋しくなったら、いつでも、ボクの胸の中に飛びこんできて良いですよ」
「調子に乗って……新車ぶつけたら、修理代、給料から差っ引くからね」
「まあまあ、ボクとアネさんの仲じゃないですか。少しくらい、羽目ハズすようなこと、言ったって……」
「踏切よ。止まりなさい」
結構なスピードが出ていたが、仄香の注意で、柴田はブレーキを踏み、遮断機ギリギリの手前で停車した。
「アナタ、梨菜ちゃんの等身大の写真を、ラミ加工して、壁に貼って、頬ずりしてるそうじゃない」
「ど……どうして……そのことを……」
柴田は、うろたえる。
「私、そういう行為をするキモい男子は、キライなの」
「むむむ……」
「アナタは、頭は良いけど、そういうところが残念ね」
「……わかりましたよ……パンナさんの写真は外して、アネさんの写真と貼り替えますよ」
「なに?」
仄香の声が裏返る。
「以前に、旧アカデミーのメンバーで、グアムに行ったじゃないですか。あの時の、アネさんのビキニ写真があるんで」
「きゃあああ」
仄香の悲鳴が車内に響く。
「あの写真を引き延ばして、ラミ加工します。アネさんの許しが出たんで」
「私が、いつ許したって……オマエ、調子に乗るな!」
仄香は、両手で柴田の首を締める。
グエッと、柴田は、アヒルのような悲鳴を上げる。
その時、バンという爆発に似た音と、背後から体当たりされたような衝撃が、仄香を襲う。
「何、今の?」
「ホられました」と、柴田は、後ろに目を向ける。
「大型トラックですよ。しっかりと、トランクに食いこんでいます」
「じょ……冗談じゃないわよ。買ったばかりの新車よ!」
仄香が、後方に向かって、怒鳴る。
光沢のある白いボディが、リアウインドをびっしりと覆う。
トラックは、さらにボディをトランクに押しこもうと、前進してくる。
柴田は、ブレーキを踏む足に、力を入れる。
「アクセル踏んで、押しこんできますよ」
「何をする気なの?」
仄香は、窓を開けて、声を枯らす。
トラックは、無表情に、沈黙を維持したまま、前進しようとする。
仄香のアウディは、少しずつ、遮断機との間合いを詰める。
ボンっと、激しい破裂音を上げ、リアウインドが粉々に砕け散る。
トラックは、尚も、アクセルを踏みこんでくる。
「すごい力だ。これじゃ、踏切内に突き飛ばされるよ」
向かい側の線路を、電車が高速で通過する。
電車の通過方向を示す矢印は、双方向が点灯しており、今の電車の通過で、その一つが消灯した。
残るもう一つは、手前側の通過電車の到来を示している。
仄香の車のボディの先端が、すでに遮断機に接触し、踏切内に入ろうとしている。
「アネさんの力で、トラックを食い止められませんか?」
「あんな大きなトラック……無理よ……」
と、言いながらも、仄香は、後方に『爆発』を押し込んでみる。
トラックの白いボディに、微かな震動を与えた程度で、前進してくる力に対しては、ほとんど効果が無い。
トラックは、そこで、一旦、押すことをやめて、ピーピーと音を鳴らしながら、後退し始めた。
「あきらめたのかしら?」
仄香は、拍子抜けする。
「勢いをつけて、ぶつかろうとしてるのかも」
柴田は、ドアの開閉レバーに手をかける。
「車を捨てて、逃げましょう」
「待って……」
仄香が、柴田を止める。
「どうしたんですか?」と、柴田が訊ねる。
仄香は、車のすぐそばに、いつの間にか現れた人影を指差す。
ヘソが見えてしまうピンクのキャミソール。
サックスブルーのホットパンツ。
銀色のサンダル。
キラキラ輝いている黒瑪瑙のような瞳。
長身の美少女が、仄香に近づいてくる。
「パンナさん!」
「梨菜ちゃん!」
二人は、張り裂けるような大声で、それぞれ呼び名を叫ぶ。
「どうして、ここに?」と、仄香が訊ねる。
「有利香さんに頼まれて、来ました。仄香さんが困ってるだろうからって」
「ああ……」と、仄香は祈るように両手を合わせる。
「お願い……助けて……」
「仄香さん」
羽蕗 梨菜(または矢吹 パンナ)は、仄香に視線を向け、イタズラっぽく微笑む。
「車の屋根に乗っても良いですか?」
「え?」と、仄香は、戸惑う。
「新車のようですから、一応、断っておこうと」
「梨菜ちゃん、この上に乗りたいの?」
仄香の視線が車の天井に向く。
梨菜は、ゆっくりとうなずく。
「踏み台にします」
「……」
仄香は、少し考えて、梨菜に微笑み返す。
「買ったばかりだけど、もうオシャカ寸前よ」
「天井が少し凹むと思います」
「構わないわ。あの横暴なトラックを何とかして」
「了解」
仄香と柴田は、車外に脱出する。
梨菜は、サンダルを脱いで、裸足になると、勢いをつけて飛び上がり、仄香のアウディの天井に立つ。
ドンと音を立て、梨菜の両脚が着地した部分が、体重分相当の重圧がかかった凹みを作る。
仄香の両眉が上がる。
ちなみに、身長百八十六センチになった梨菜の体重は、七十キロに達していた。
トラックは、七、八メートルほど距離を置いた所で静止し、プシューっと、まるで雄叫びのように、エアが抜ける音を立てる。
そして、カツンとギアを前進に入れ換える音と共に、猛然とアウディの上に立つ梨菜に向かって、突進を始める。
「臨界」
梨菜が詠唱すると、たちまち全身に金色の輝きが広がる。
トラックとの間合いが、どんどん詰まってくる。
梨菜は、光を帯びた両手を前に出し、腰を引いた姿勢で、『爆発』と詠唱する。
ドカンという、すさまじい爆音と共に、トラックのフロントに球状の凹みができ、前進しようとする動きが、透明な壁にでもぶち当たったように封じられる。
梨菜は、すぐさま飛び上がり、『臨界状態』の右脚でトラックの正面に向けて、蹴りを入れる。
ビシッと音を立てて、トラックのフロントガラスの、梨菜の爪先が当たった所から、十文字にヒビが入る。
追い討ちをかけるように、ヒビの中心あたりに右パンチを打ち込み、もう一度、『爆発』を仕掛ける。
トラックのフロントが、さらに、球状に凹み、今度は、数メートル押し戻された所で、静止する。
梨菜は、反動で後方に突き飛ばされる力を利用して、後ろ宙返りを繰り返しながら、元のアウディの屋根の上に、キレイに着地する。
静止したトラックからは煙が上がり、全壊したフロントガラスの向こうに、仰向けにノビている運転手の姿が見える。
「止まった……さすが、パンナさん……」と、柴田は、息を飲む。
「そりゃ、そうよ……」
仄香は、半泣きの状況になっている。
「世界最強の女子だもん……」と言うと、大きく鼻をすする。