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レモンティーン  作者: 守山みかん


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79/136

七十九

香子は、アンナ(Anna)リリーホワイト(Lillywhite)に仕掛けられた固め技を引き離すのに全身を発熱させたおかげで、発生した汗で入浴後のようなスブ濡れた状態になった。

もともと汗かき体質なので、発汗を促すような行動は毛嫌っていた。

アンナはしかめっ面で香子をにらんだ。

彼女の方は、格闘相手の汗が付着するような状況を毛嫌っていた。

香子が一歩詰めると、アンナは間合いを維持しようと同じだけ後退した。

「調子に乗らないでよね」と、アンナは言った。

「そんな汗まみれになって、私がイヤがると思ってるんでしょうけど」

アンナの右脚がまっすぐに香子に向かう。

香子は、すんなりと避けるが、その動きの際に、汗のしずくが床に落ちた。

アンナは構わず右脚で濡れた床を踏みにじり、もう一方の脚で回転蹴りを仕掛けた。

香子は、垂直に押しこんでくるアンナの左脚を、両掌で受け止め、その脚を掴もうとする。

「無理無理」

アンナは、すばやく左脚を引き抜き、今度は軸脚を変え、左側からの攻撃に警戒してスキができていた右の脇腹を目がけて、右脚の回し蹴りを繰り出した。

香子は、とっさに右肩を落として、右上腕でアンナの蹴りを受けた。

アンナの渾身の力と「意志」が上腕から肩、そして全身へと響き渡った。

アンナの足の裏には、ヌルリとした汗の感触が伝わってくる。

「気色悪い」

アンナは吐き捨てるように言い、右脚に力を流しこむ。

重い押しこみが上腕から入る。

香子は対抗して押し返したいところだが、態勢が悪い。

前傾気味の姿勢では、自ら押そうとする力も接触部の上腕に集中し、このままでは、右腕が潰れてしまいそうだった。

激痛から逃れようと、押す力を緩めると、アンナからの重圧で上体が起こされそうになった。

前傾姿勢だからこそ守られている部分もあり、上体を起こされれば、守れきれていない腹部がむき出しにされてしまう。

当然に、アンナはその隙をついてくるだろう。

香子は、再び押しに注力する。

右腕への負担も再開する。

このジレンマをアンナは見抜き、意地の悪そうな笑みを見せる。

「右腕が悲鳴を上げてるわ。さあ、どうするかしらね、おばさん」

香子は、憎悪に満ちた目つきで、アンナをにらむ。

香子の全身が赤く染まり始める。

固め技を引き離した時のように、発熱を試みようとしていた。

「バカの一つ覚えね。同じ手が二度通用しないことを知るべきだわ」

アンナの右脚から、ヒンヤリとした感触が流れてくる。

香子の発熱に対抗する冷却攻撃である。

お互いの譲れない攻防が、香子の右腕と、アンナの右脚の接触部で繰り広げられている。

「こういう場合は」と、香子が口を開く。

「『意志』の強弱が有利不利を生み出します。あなたと私の差が、ここで明確になります」

「確かにそうね」

アンナは、余裕の態度で、言葉を返す。

「それほど大きな差ではないけど、あなたと私の『意志』では、私の方に遜色が見られる分、不利な展開が予想されるわね」

アンナの右脚からジュウと焼けるような音と、水蒸気が上がるが、至って冷静に話を続ける。

「でも、あなたには量的な限界があるわ。『蓄積型(アキュムレイティブ)』ではないあなたは、体内蓄積分のMEを使い切ってしまえば、枯渇する」

アンナが言い終わるのに合わせるように、香子からの発熱が止まり、お互いの接触部分から上がっていた水蒸気が無くなった。

「うそ……」

香子は、思わず息をのんだ。

「こんなに早く枯渇が始まるなんて……」

「忘れたの?」

アンナは、勝ち誇ったような笑みを見せる。

「手放してしまった『十字棍』のこと」

「あ!」

香子から、もはや悲鳴に近い声が上がる。

「ずいぶんと注入していたわよね」

「ああ!」

香子は泣きそうな顔になった。

「もう……帰りたい……」

「ふん」と、アンナは鼻で笑う。

「帰れば」

その時、長めのホイッスルが鳴り響いた。

ハーモニー真樹がパーヴェルとヴィタリーの二人に倒された時だった。

「意外とやるわね、あの二人」

アンナは、素気なく評価する。

チームは形勢不利に転じたが、香子個人として、ここでの小休止はありがたかった。

枯渇寸前だった。

多少なりとも、MEの補給ができる。

「小さな安心ね」と、アンナが言う。

「ハーモニー真樹が退場するまでの停止よ。数十秒も無いと思うわ。まさか、そんな程度のことに希望を持とうとしてるんじゃないでしょうね」

「勝負は最後までわかりません」と、香子は反論する。

「それに、ここで少しでも貢献しておけば、きっと……」

「羽蕗 梨菜に認めてもらえるって言いたいんでしょ」

アンナの目つきは、明らかに侮蔑に満ちていた。

「あなたって、どうしようもない『ぶら下がり』ね。私と同一意志から生まれたとは思えない」

「良い働きをして認めてもらおうと努力してるのに、何が悪いと言うんですか?」

「いちいち説明しなきゃいけないところが、イラッとするわね」

アンナは、右拳を握りしめ、奥歯を噛みしめた。

「ここまで勝ち進んできて、まだわかってないっていうのが信じられない。たとえ負けても、どれだけ貢献できたかが評価される。認識が甘いわ。この闘技は歴史なのよ。負けたら、歴史から外される。勝つことが成果なんじゃないの?」

再び、長めのホイッスル。

闘技が再開した。

「あなたの認識なんか、私には関係ない」と、香子は言い返す。

「歴史から外されたから、どうと言うんですか? 私の人生が終わるわけじゃないです」

「一瞬の展開で、一巻の終りってこともあるのよ」

「だったら二巻目に挽回すれば良いじゃないですか」

「ダメだ……コイツ、バカすぎる」

アンナは、香子の顔面に向けて、正拳突きを繰り出す。

「何がバカだと言うんです? 一巻の次は二巻なんじゃ……」

香子は、まっすぐに来る攻撃をヒラリと交わす。

「私よりも大人なんだから、言葉の意味くらい理解しなさい」

アンナは、香子が避けた側の脇腹を狙って、蹴りを入れる。

香子は、接触箇所に『意志』を注入し、『硬化』させて、攻撃を跳ね返す。

「『覚醒』した外見が違うというだけで、あなたと私で老若の差はありません」

「同じ時間の経過が差を生んでいることに気づきなさいってこと」

アンナは、そこで力づくで押しこむ攻撃を止め、接触部から『発火(スパーク)』を注入した。

物理攻撃のみに対処していた香子は、完全に意表をつかれた。

何ら抵抗することもなく、全身に痺れが走り、またそれを『治癒(ヒール)』させるだけのMEが体内に残っていなかった。

「ついに枯渇したってところね」

「体が……動かない……」

香子は、意思とは無関係の震動に悩まされ、指先を動かすことすらできなくなっていた。

「かすり傷も『治癒』できないようね。ここで、私が全力の蹴りをあなたの頭にぶつけていったら、どうなるかしらね? 首の骨が折れて、あなたは死ぬか、ま、運が良ければ、全身麻痺状態の寝たきりで生きられるかも」

「……やめて……助けて……」

香子が涙を流して、命乞いをする。

アンナは容赦なしに全身をひねらせ、跳び蹴りの姿勢を取る。

力強い跳躍で、アンナの右膝が高く上がり、その爪先が香子のこめかみに迫ってくる。

ズンと重い攻撃が吸収される響き。

香子は、両目をつむっていた。

だが、痛みは彼女を襲わなかった。

ゆっくりと両目を開けると、苦痛に歪んだ梨菜の顔が間近に写った。

「は……羽蕗さん……」

梨菜は、香子を覆うように正面から抱きついていた。

「負けるのはかまいません」と、梨菜は香子に言った。

「でも、死んではダメです……」

梨菜の唇の縁から赤い血が流れ始めた。

アンナの右脚のつま先は、梨菜の背中の真ん中にくいこんでいた。

梨菜は白目を剥き、そのままうつ伏せに倒れた。

「……」

香子は、言葉を失っていた。

それは、アンナも同じだった。

長めのホイッスルが鳴った。


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