七十六
梨菜は、その後にラスカー・タムから同様の両足蹴りを受けていた。
正面から胸へ、全く同じパターンの攻撃を2回。
観客たちは信じられないという驚きの表情で、静まり返っていた。
まさか、2度同じ攻撃を繰り出してくるとは……
優れた『予測』を備えた梨菜でも、完全に意表をつかれた形だった。
だが警戒態勢は取っていた効果で、ダメージ認定は最初のBの後はAの判定で済んだ。
ラスカーは、休む余裕を与えないように、梨菜の上半身を狙って、突きや蹴りを仕掛けた。
梨菜は、最初の方は『予測』を気にしながら対処していたが、やがて本能的に交わすことができるようになり、ラスカーからの攻撃が20回に達したあたりには、完璧に交わせるようになっていた。
攻撃が決まらなくなったラスカーは、一旦動きを止め、息を整えた。
(さすがだな。格闘技術はボクの方が上だが、上達センスだけで回避できている。ボクの攻撃は読まれてしまって、もう通じない。時間をかけるほど強くなるタイプだ)
ラスカーは改めてファイティングポーズを構え、梨菜と向き合う。
(この勝負を仕掛けたのはボクの方だ。もともと勝てる見こみなど持っていなかった。それでも全力で戦うしかない)
ラスカーの今度の狙いは、梨菜の足元だった。
姿勢を低くして、梨菜の脛やくるぶし辺りを目掛けて、ローキックを連発した。
もし、うまく命中できたら相手を転倒させることができるかもしれない。
だが、ラスカーの攻撃は、梨菜をかすめることすらできなかった。
最初はぎこちなかった梨菜の動きも、次第にそつがなくなり、完璧に交わせるようになった。
(20秒くらいか……)
ラスカーは考えた。
(ボクの動きが完璧に読まれるまで20秒……ボクが体得している技を全て繰り出したとしても、2分はもたないことになる)
ラスカーは、そこで梨菜に向けて、フッと笑顔を見せる。
梨菜は、笑顔の示す意図がつかめず、警戒を強める。
(若いな……)
身体的に成長途上で、まもなくその頂点に達しようとしている梨菜を見て、ラスカーは率直に思った。
この『若い』は、未熟という意味ではなく、驚異という意味で使っている。
ラスカーは、アンナ・リリーホワイトが持ち帰った梨菜の情報を知っていた。
信じがたい苦難と災難を、この若さで乗り越え、自らの強さへと昇華させている。
梨菜を知ったラスカーは、自身の力では到底、梨菜を倒すことはできないと悟った。
(倒す必要はない)
ラスカーの目的は、梨菜に対して一本勝ちを決めたり、決定的なダメージを与えることでもなかった。
(5分間という闘技時間が終了する瞬間に、僅差でも永久凍土チームとしての評価が強天使チームを上回れば良いのだ)
真にどちらが強いかにこだわれば、それは間違いなく自分たちの敗けになるのは承知の上だ。
(終了時の瞬間、優位に立つことだけにこだわるんだ。ルール上の勝負に勝つ。それが、ボクの闘い方だ)
震えるようなホイッスルが響く。
梨菜に対して、時間稼ぎ禁止ルールに基づく罰則が警告された。
実は、これで2回目である。
バトル・ポイントは、永久凍土8ポイントとされた。
8ポイントの内で7ポイントが梨菜に起因している。
強天使は未だ0ポイントである。
梨菜は焦っていた。
相手の挑発に乗って、格闘戦に持ちこんでしまったのは、自身の力を過信しすぎていたと反省した。
ここで突きでも蹴りでも、自らが体得している格闘技術の範囲で攻撃を繰り出したとして、経験豊かなラスカーにダメージを与えられる自信がまるで無かった。
いくら最強の『意志』を備えていても、当たらなければ意味がない。
攻撃を交わされ、態勢がくずれた瞬間を狙って、ラスカーは抜け目なく反撃を繰り出してくる。
先ほど胸にダメージを与えられた時の激しい痛みが大波のように何度も盛り上がってくる。
攻撃の手が出ない。
三度目の罰則。
相手に10ポイント目を与えてしまった。
梨菜は、両膝を震わせた。
ラスカーがそれに気づいた。
(……震えている。ボクが怖いようだ。数々の辛い経験を乗り越えたはずの強者が、力量的に明らかに弱いはずのボクを相手に恐れをなしている)
それでもラスカーは、梨菜からの攻撃を警戒した。
その消極姿勢に対して、ラスカーにも罰則が告げられた。
10秒毎に、バトル・ポイントがそれぞれに2ポイントずつ加算されていく。
両者はにらみ合ったまま、攻撃を繰り出そうとしなかった。
永久凍土12ポイント。
強天使2ポイント。
点差は詰まることなく、このまま終了まで続けば、永久凍土の勝ち。
ラスカーは油断していなかった。
梨菜がこのまま敗北するとは思えない。
(必ず攻撃をしかけてくる。当然にボクはそれを交わす……)
その思考が働くのと、梨菜が右からの正拳突きを繰り出すのが、ほぼ同時だった。
梨菜の攻撃は、焦りから来る捨て身の判断によるものだった。
ラスカーには『予測』は無い。
故に、梨菜の攻撃は、本能的に交わしていたことになる。
そして、カウンター攻撃として、彼の右脚が上がり、前傾姿勢になった梨菜の胸の真ん中に膝の中心が入りこんだのも、本能に由来する動きだった。
梨菜は、逃げるようにラスカーから離れた。
ラスカーの動きは、ほとんど意思を通じさせたものではなく、自然に体が動いたとされるものだった。
ダメージ認定はC。
会場が悲鳴とどよめきに包まれる。
(単なるまぐれだ)
ラスカー自身に対する行動評価は厳しかった。
戦意は容赦なく正面の相手に向けられた。
だが、激痛に耐えながらも、必死に闘技を継続しようとする梨菜の姿を見て、健気さを感じずにはいられなかった。
(油断は禁物)
ラスカーは、心の中で両頬を平手で打ち、ますます全身に気合を注入した。




